決断
その夜、黒瀬は眠れなかった。
保健室のベッドに横になりながら、天井を見つめていた。体の傷は日に日に回復している。しかし頭の中は、ずっと同じところをぐるぐると回っていた。
72時間。
3日後に侵略者たちが動く。つまり政府の判断では、3日以内に異世界へ乗り込めばいいという計算になる。
しかし——
黒瀬は目を閉じた。
瞼の裏に、あの光景が浮かんだ。
薄暗い空間に立つ、巨大な木。黒い幹から伸びる枝に、無数の果実がぶら下がっている。その一つ一つの中に、人が閉じ込められている。そして果実は、少しずつ——消えていく。
日野原の顔が浮かんだ。
恐怖に歪んだ表情。口が動いていた。声は聞こえなかったが、黒瀬には分かった。
(黒瀬くん)
黒瀬は起き上がった。
3日は、待てない。
廊下に出ると、グラウンドの方に人の気配がした。黒瀬は足を向けた。
グラウンドには藤堂が一人で立っていた。夜風の中、目を閉じて何かを考えている。
「眠れないのか」
黒瀬が声をかけると、藤堂は目を開けた。
「お前もか」
2人はしばらく並んで立っていた。
「藤堂」
「分かってる」
藤堂は黒瀬の言葉を遮った。
「日野原さんの命が、3日持つかどうか分からない。そう思ってるんだろう」
黒瀬は答えなかった。それが答えだった。
藤堂は空を見上げた。
「俺も同じことを考えていた。ただ——今の俺たちの実力で、異世界に乗り込んで勝てるか」
「勝てなくても行く」
黒瀬は静かに言った。
「日野原さんが消える前に、顔を見せてやりたい。それだけでもいい」
藤堂は黒瀬を見た。
その目を見て、藤堂は小さく息を吐いた。
「……お前がそう言うなら、俺はついていく」
後ろから足音がした。
振り返ると、郷原と久我が立っていた。
「なんだ、みんな眠れないのか」久我が肩をすくめた。「俺も同じこと考えてたぞ」
郷原は腕を組んだ。
「早く行くんだろう。俺は構わない」
4人は顔を見合わせた。
言葉はいらなかった。
その時、校舎の入口に人影が現れた。
神城だった。
4人を見渡し、何も言わなかった。しかしその目は、4人が何を決めたかを既に分かっているようだった。
「神城さん」
黒瀬は一歩前に出た。
「今すぐ行きます」
神城は黒瀬を見た。
「3日待てない理由があるか」
「日野原さんの命が、3日持つかどうか分かりません。あの木の果実は、少しずつ消えていっています。俺には——待てないです」
神城はしばらく黒瀬を見ていた。
そして空を見上げた。
その時だった。
グラウンドの上空に、亀裂が走った。
パリン、という音とともに裂け目が広がる。そこから黒い影が次々と降ってきた。
侵略者だった。
その数、数十体。クラスBとCが混在している。そして——その中に、クラスA相当の大型個体が3体いた。
「来たか」
神城の声は静かだった。
「政府が感知したのは陽動だったということか。本命は修行場への奇襲」
藤堂が状況を即座に分析した。
「俺たちがここで足止めを食らっている間に、異世界側が動く——そういうことですか」
「そうなる」
神城はゆっくりとグラウンドに歩み出た。
侵略者たちが神城を囲み始める。大型個体の3体が、神城に向かって動いた。
神城は振り返らずに言った。
「行け」
黒瀬が駆け寄ろうとした。
「神城さん、一人では——」
「行けと言った」
神城の声が、低く響いた。
「お前たちがここで戦えば、日野原は間に合わない。俺はここで十分だ」
侵略者の一体が神城に向かって飛んだ。
神城は片手を上げた。
「波動・障壁」
見えない壁が侵略者を弾き飛ばした。衝撃波が広がり、周囲の侵略者が数体吹き飛ぶ。
その圧倒的な光景に、4人は息を呑んだ。
神城は4人を一度だけ振り返った。
その目に、普段の無表情とは違うものが宿っていた。言葉にはしない。しかしその目が、はっきりと語っていた。
——行ってこい。
黒瀬は奥歯を噛みしめた。
「絶対に、帰ってきます」
神城は答えなかった。
しかし——ほんの僅かに、口元が動いた気がした。
黒瀬は踵を返した。
「藤堂!ワームホールを開ける方法は分かるか」
「政府のデータに異世界への座標がある。少し待て」
藤堂がスマートフォンを取り出し、高速で操作する。
後ろでは神城が侵略者たちと戦っている音が響いていた。轟音、衝撃波、崩れる音。しかしその中に、神城の動揺した気配は一切なかった。
「——開いた」
藤堂が前方を指した。
空間に裂け目が生じ、白い光が広がっていく。その奥に、見たことのない景色が見えた。
4人は裂け目の前に立った。
「行くぞ」
黒瀬は一歩踏み出した。
白い光が4人を包んだ。
グラウンドに残された神城は、4人が消えるのを確認した。
そして再び侵略者たちに向き直った。
数十体の侵略者が、神城を取り囲んでいる。
神城は両手に魔力を集中させた。
「かかってこい」
静かな一言が、夜のグラウンドに響いた。




