神城伊月という男
その日、政府専用機は東京から大阪へ向かっていた。
機内は静かだった。総理は資料に目を通し、随行スタッフたちは各自の業務をこなしている。神城は総理の斜め後ろの席に座り、目を閉じていた。
眠っているわけではない。常に周囲の気配を読んでいた。
巡航高度に達した頃だった。
機内の空気が、僅かに変わった。
神城は目を開けた。
窓の外、機体の右翼付近に、空間の歪みが見えた。肉眼では確認できないほど微細な揺らぎ。しかし神城には分かった。
(来るか)
次の瞬間、機体が激しく揺れた。
乗客たちが悲鳴を上げる。資料が床に散らばり、スタッフたちが席にしがみつく。
「総理、伏せてください」
神城は静かに言いながら立ち上がった。
機体後部のドアが内側から破られた。冷たい空気が機内に流れ込む。そして、影が入ってきた。
侵略者だった。
人型をしているが、体表は黒く硬質化しており、両腕が刃のように変形している。その目には知性がなく、ただ殺意だけが宿っていた。
「神城さん!」
随行スタッフの一人が叫ぶ。
「全員、前方に移動してください。総理を守れ」
神城はそれだけ言った。
侵略者が動いた。刃と化した腕を振り下ろす。神城は一歩だけ横に動き、それをかわした。最小限の動作で、無駄が一切ない。
「波動」
神城が右手を前に出した。
掌から放たれた衝撃波が、侵略者の胸を直撃した。侵略者が後方に吹き飛び、機体後部の壁に激突する。
しかし次の瞬間、機体前部のドアも破られた。
2体目だった。
さらに窓が割れ、3体目が機内に侵入してくる。
神城は表情を変えなかった。
「3体か」
呟きながら、両手に魔力を集中させた。掌が淡く光り始める。
「波動・三連衝」
3方向に同時に衝撃波を放った。
1体目が通路で吹き飛ぶ。2体目が天井に叩きつけられる。3体目が窓から外に弾き出される。
しかし機体がバランスを崩した。破られたドアと割れた窓から、猛烈な風が吹き込んでくる。計器が狂い、機体が急降下し始めた。
「高度が下がっています!このままでは——」
パイロットの声が機内スピーカーから流れた。
神城は機体後部に向かった。破壊されたドアの縁を掴み、外を見る。眼下には雲海が広がっている。高度はまだ8000メートルを超えていた。
機内では侵略者が再び立ち上がっていた。
神城は振り返った。
「波動・収束」
両手を合わせ、全ての魔力を一点に集中させた。掌の光が白く輝き始める。周囲の空気が震える。
侵略者たちが一斉に向かってきた。
神城は動じなかった。
「——放」
一言だけ言った。
白い閃光が機内を貫いた。
3体の侵略者が同時に消滅した。砂のように崩れ、風に散った。
静寂が戻った。
しかし機体の損傷は深刻だった。エンジンの異音が響き、機体は制御を失いかけていた。
「脱出してください!」
パイロットの声が響く。
神城は機内を見渡した。総理、スタッフ、乗務員——全員で32名。
「全員立ってください」
神城の声に、震えながらも全員が立ち上がった。
神城は目を閉じた。全身の魔力を練り上げる。波動を、機内全体に展開する。
それは途轍もない集中力を要する技だった。一人一人の体重、位置、動き——全てを魔力で把握し、同時に支える。
「波動・全域展開」
神城が目を開いた瞬間、機体が空中分解した。
32名の体が、宙に投げ出された。
しかし誰も落ちなかった。
神城の波動が、全員を見えない膜で包んでいた。まるで重力を無視するように、32名は静かに宙に浮いている。
総理が呆然と周囲を見渡した。
「神城……お前は」
神城は答えなかった。ただ静かに、全員をゆっくりと地上へと降下させ始めた。
雲を抜け、街が見えてくる。
その時、神城の目に映ったのは——煙に包まれた街だった。
黒い煙が空を覆い、炎の光が揺れている。
神城の目が細まった。
(黒瀬たちの街だ)
着地と同時に、神城は総理に向かった。
「総理、申し訳ありませんが離れます」
総理は神城を見た。その目には、問いかける色があった。
「……行け」
一言だけ言った。
神城は頷き、走り出した。




