瓦礫の中の絶望
街は、黒瀬の知っている姿をしていなかった。
いつも通り過ぎる商店街は半壊し、通学路の電柱は根元から折れている。空気は煙と熱を帯び、息をするたびに喉が痛んだ。
黒瀬は痛む足を引きずりながら、瓦礫の中を進んだ。
救助隊員たちが各所で活動している。担架で運ばれる人、泣きながら名前を呼ぶ人、ただ茫然と立ち尽くす人。
(俺たちが、守れなかったから)
その言葉が、頭の中で繰り返される。
黒瀬は奥歯を噛みしめ、瓦礫をどかしながら進んだ。意識を失っている人を見つけては救助隊員に引き渡し、また次へと向かう。体の痛みは感じなかった。感じる余裕がなかった。
どれくらい経った頃だろう。
住宅街の奥から、細い声が聞こえた。
「——誰か、誰かいますか」
黒瀬は声の方へ走った。
倒壊した建物の前に出た。二階部分が崩れ、一階を押しつぶしている。その瓦礫の隙間から、小さな手が伸びていた。
「いるぞ!今助ける!」
黒瀬は瓦礫に手をかけた。どかそうとするが、重くて動かない。全身の傷が悲鳴を上げる。それでも構わず力を込めた。
「お兄ちゃん」
隙間から声がした。幼い女の子の声だった。
「お父さんが、動かないの」
黒瀬の手が止まった。
「大丈夫だ、今すぐ出してやるから」
声を絞り出しながら、再び瓦礫を動かそうとした。その時、後ろから救助隊員が駆けつけてきた。
「離れてください、危険です!」
「中に人がいる、早く——」
「分かっています、我々が対応します。あなたは下がってください!」
黒瀬は一歩引いた。救助隊員たちが機材を使って瓦礫を動かし始める。
数分後、瓦礫の中から女の子が引き出された。小学校低学年ほどの年齢で、頭に小さな切り傷があった。
そして次に、男性が運び出された。
意識はある。しかし足が瓦礫に挟まれていたらしく、立つことができない。
黒瀬はその顔を見た瞬間、息が止まった。
日野原の父親だった。
「——日野原さんの」
男性は黒瀬を見上げた。苦痛に歪んだ顔の中に、必死な色が浮かんでいる。
「凛は……うちの凛は、どこに」
黒瀬は答えられなかった。
日野原凛は今、異世界にいる。りんごの木の果実の中で、徐々に消えていこうとしている。その事実を、この父親に告げることが黒瀬にはできなかった。
「必ず……必ず、連れて帰ります」
それだけを言った。
男性は黒瀬をしばらく見つめ、それから目を閉じた。
女の子——日野原の妹が、黒瀬の袖を引いた。
「お姉ちゃん、帰ってくる?」
黒瀬は膝をついて、女の子と目線を合わせた。
「帰ってくる」
「……約束?」
「約束だ」
女の子は小さく頷いた。その目に、まだ涙が光っていた。
救助隊員に2人が連れていかれる。黒瀬はその背中を見送りながら、立ち上がれなかった。
膝をついたまま、瓦礫の山を見つめる。
街のどこかでまだ炎が上がっている。煙が空を覆い、夕日の色すら見えない。
(約束した)
しかし今の自分には、その約束を果たす力がない。ザイロスにも西条にも、全く歯が立たなかった。
黒瀬の拳が、瓦礫を叩いた。
痛みは感じなかった。
「——情けない顔をしているな」
背後から声がした。
振り返ると、神城が立っていた。煙に霞む街を見渡しながら、その目は静かだった。
「神城さん」
「立てるか」
「……立てます」
黒瀬はゆっくりと立ち上がった。足が震えていた。
神城はしばらく黙っていた。燃える街を見ながら、何かを考えているようだった。
そして静かに口を開いた。
「お前は今、何が悔しい」
黒瀬は即座に答えた。
「守れなかったことが、悔しいです」
「それだけか」
黒瀬は拳を握りしめた。
「……力が、なかった。あいつらに、何もできなかった。日野原さんを、街を、みんなを守れなかった。それが——」
声が詰まった。
神城は黒瀬を見た。その目に、普段の鋭さとは違う何かが宿っていた。
「ならその悔しさを、力に変えろ」
低く、静かな声だった。
「お前たちにはまだ時間がある。あいつらが次に動くまでの間に、俺が鍛えてやる」
黒瀬は神城を見上げた。
「本当に、強くなれますか」
神城は答えなかった。ただ黒瀬の肩に、無言で手を置いた。
それだけで十分だった。
黒瀬は瓦礫の街を見渡した。燃える景色の中に、日野原の妹の顔が浮かんだ。
(約束した。必ず連れて帰る)
その言葉が、黒瀬の中で静かに燃え始めた。




