第三十話「東側の小道に、誰かの痕跡があった」
三十話目です。
東側の麓を歩く話です。百年前に使われていた小道を探しながら、誰かが残した痕跡を見つける。
行き詰まったと思っていたところに、思わぬ道が開けることがある。ただし、それがどこに続くかは、歩いてみないと分からない。
では、どうぞ。
朝、霧が出ていた。
ガロン山の東側は、北側より穏やかな雰囲気だった。
北側は岩が多くて、荒れた印象だった。東側は、岩も多いが、低い木が点々と生えていた。乾いてはいるが、完全に死んでいるわけではない植生だった。
オルトが地図を見ながら歩いた。
「百年前の地図では、このあたりに道があったはずだ」
「探しながら歩きます」
シロが、先頭を歩いた。
鼻を地面に近づけながら歩いていた。
「シロ、何か分かるか」
シロが少し止まって、また歩き始めた。
何かを追っているような歩き方だった。
◇
一時間ほど歩いたとき、シロが止まった。
岩の間に、何かがあった。
石が、並んでいた。
自然に並んだのではない、明らかに人の手で並べられた石だった。
「道の跡か」とオルトが言った。
「そうだと思います。石を並べて、道の境界を示していた」
「百年前の道が、残っていた」
「残っていました」
ミアが、記録帳に書いた。
「続きは、どこに向かっていますか」
石の並びを追った。
山の斜面を、なだらかに登っていた。
北側の直行路とは違う。急ではなく、斜めに山腹を巻くように続いていた。
「上に向かっています。ただ、途中で分からなくなる場所があります」
石の間隔が、広くなっていた。
百年の間に、崩れたり、土に埋まったりした部分があるらしかった。
「全部は、追えないかもしれない」
「どこまで見えますか」
「あの岩の手前まで」
百メートルほど先に、大きな岩があった。
そこで、石の並びが見えなくなっていた。
「行ってみます」
◇
石の並びを辿って、大きな岩まで歩いた。
嵐は来なかった。
北側への直行路とは違って、ここでは空が穏やかなままだった。
「昨日のような嵐が来ないですね」とミアが言った。
「この方向には、来ないのかもしれない」
「竜が、この方向は気にしていない、ということですか」
「か、気づいていないか」
「気づかれていない」
「もしそうなら、この道から入れるかもしれない」
「まだ、分からないですが」
大きな岩のところまで来た。
岩の向こうを見た。
石の並びは、岩の向こうにも続いていた。
「続きがあります」
ただ、岩を越えるのが、少し難しかった。
岩の横を回れないことはなかったが、斜面が急になっていた。
シロが、ひょいと岩を飛び越えた。
「早い」
シロが振り返って、こちらを見た。
早く来い、という顔だった。
「待ってくれ」
岩の脇を、慎重に回った。
オルトが、私の腕を支えてくれた。
ミアが、記録帳を閉じて、両手を使って登った。
全員で、岩を越えた。
◇
岩の向こうに、思わぬものがあった。
小さな、平らな場所があった。
岩に囲まれた、ちょうど四人が座れるくらいの広さの場所だった。
そこに、何かが置いてあった。
石で作られた、小さな台のようなもの。
台の上に、何かが乗っていた。
近づいて見た。
木でできた、小さなものだった。
かなり古くて、腐りかけていたが、形は残っていた。
人の形をしていた。
「人形か」とオルトが言った。
「そうだと思います。誰かが、ここに置いた」
「百年前の人間が」
「かもしれない。それ以前の可能性もあります」
ミアが、それを見た。
「何のために置いたんでしょう」
「お供え物か、それとも、何かの目印か」
台の周りを見た。
台の石に、何かが彫ってあった。
「文字です」
「読めますか」
読んだ。
古い字体だったが、読めた。
「目覚めよ、とあります」
「目覚めよ」
「それだけです。一言だけ」
オルトが、その文字を見た。
「誰に向けて書いたのか」
「分かりません。竜に向けて書いたのか、山に向けて書いたのか」
「百年以上前に、誰かがここに来て、これを置いた」
「そうです」
ミアが、台と人形と文字を、詳しく記録帳に書いた。
図も描いた。
「凪さん、この場所、何か感じますか」
地面に手を当てた。
感じた。
かすかだったが、確かに感じた。
「水がある」
「水」
「地面の深いところに。細い流れが、ここを通っています」
「山の中から来ている水ですか」
「そうだと思います。ここは、地下水脈の上にあります」
オルトが地面を見た。
「水脈の上に、誰かが台を置いた」
「意図的だと思います。水を感じて、ここに置いた」
「百年以上前に、水脈を感じ取れる人間がいたということか」
「いたのかもしれないです」
シロが、地面の匂いを嗅いだ。
それから、顔を上げて、山の上の方を見た。
「何か、分かるか」
シロが、小さく鳴いた。
何かがいる、という感じの鳴き方だった。
見上げた。
岩の上に、影があった。
大きな影だった。
翼の形をしていた。
「いる」
オルトが気づいた。
「竜か」
「そうだと思います。こちらを見ています」
「嵐が来ないな」
「来ていないです」
「なぜだ。昨日は来たのに」
「この場所が、特別なのかもしれない」
影は、動かなかった。
ただ、こちらを見ていた。
攻撃してくる気配はなかった。
嵐を起こす気配もなかった。
ただ、見ていた。
「話しかけてみます」
「大丈夫か」とオルトが言った。
「分かりません」
大きな岩に向かって、声を出した。
「聞こえますか」
影が、動いた。
翼を少し広げた。
嵐にはならなかった。
ただ、広げた。
「私は凪といいます。セルドの川が減っている理由を、知りたいと思って来ました」
影が、また動いた。
翼を閉じた。
それから、動かなくなった。
「返事はないですね」とミアが言った。
「言葉は、返ってこないかもしれないです。でも、聞いていると思います」
「根拠は」
「嵐が来なかったから」
「嵐が来ないのが、聞いている証拠ですか」
「昨日は、近づいたら嵐が来た。今日は、来ていない。この場所に来たことを、許可してくれているのかもしれない」
「許可」
「来てもいい、という意思かもしれない。ただ、まだ話す気にはなっていない」
影が、また動いた。
今度は、ゆっくり、岩の上から消えた。
翼の音が、かすかに聞こえた。
それから、静かになった。
◇
その場所で、しばらく話し合った。
「どうする」とオルトが言った。
「明日も来ます」
「また来るのか」
「来ます。今日は、来てもいいと許可してくれた気がします。明日も来れば、また様子が違うかもしれない」
「毎日来て、どうなるんだ」
「慣れてくれるかもしれない。竜が、こちらを敵だと思わなくなれば、話せる可能性が上がります」
「時間がかかる」
「かかります。でも、正面から入ろうとするより、可能性があります」
オルトが、腕を組んだ。
「ガレス王が、急げと言っている」
「急いで失敗するより、時間をかけて進む方がいいです」
「王に、そう言えるか」
「言います」
オルトが、少し驚いた顔をした。
「言えるのか」
「正直に言わないと、後で困ることが多いので」
オルトが、ため息をついた。
「分かった。毎日来よう。ただ、王には私が説明する。お前は、竜のことに集中してくれ」
「ありがとうございます」
「礼はいい。ただし、本当に可能性があると思っているか」
「あると思っています。嵐が来なかった。それだけで、昨日より可能性が上がった」
「どのくらい」
「五分五分より、少し上になった気がします」
「相変わらず、正直だな」とオルトは言った。
「正直でないと、後で」
「困ることが多い、だろう。分かった」
◇
下山する前に、台の前にもう一度立った。
「目覚めよ」という文字を、もう一度見た。
百年以上前に、誰かがここに来た。
水脈を感じ取って、台を置いた。
竜に何かを伝えようとしたのか。
山に何かを伝えようとしたのか。
それとも、来る誰かのために残したのか。
分からなかった。
でも、この場所が、昨日より先に進む糸口になった。
「ありがとう」と台に向かって言った。
誰もいなかったが、言った。
百年以上前の誰かに、言った。
ミアが、その様子を見ていた。
「誰かに言ったんですか」と、静かに聞いた。
「ここを作った人に」
「もういない人に、ありがとう、と言うんですね」
「いなくても、残してくれたので」
ミアが、少し黙った。
それから、記録帳に何かを書いた。
「何を書きましたか」
「台を作った人への、凪さんのありがとう、です。残しておきたかった」
「ありがとうのありがとうを、記録したんですか」
「そうです。こういうことも、残す価値があると思いました」
シロが、私の横に来た。
山を見た。
竜は、もういなかった。
でも、今日、ここに来たことを知っている。
明日、また来る。
何度でも来る。
いつか、話せるかもしれない。
その可能性が、今日より少し大きくなった。
それで、十分だった。
◇
宿に戻る道で、ミアが言った。
「デルさんに、今日のことを話しに行きますか」
「行きます。小道が残っていたこと、台があったこと、竜が嵐を起こさなかったことを、伝えたい」
「デルさんが、喜ぶと思います」
「おじいさんの話が、役に立ったということが伝わるといいです」
「大事な話は、聞く人間が来るまで待つしかない、と言っていましたね」
「来ました」と私は言った。
「今日の私たちが、聞きに来た」
「そうです」
ミアが、記録帳を抱えて歩いた。
今日だけで、かなり書いたらしかった。
「凪さん、一つ聞いていいですか」
「なんですか」
「竜が、最終的に話してくれると思いますか」
少し考えた。
「分かりません。でも、話してくれるかどうかより、話しかけ続けることが大事だと思っています」
「話しかけ続けることが、大事」
「話してくれなくても、来ることをやめなければ、いつか変わるかもしれない。変わらなくても、来続けることで、何かが分かるかもしれない」
「続けることに、意味がある」
「そうです」
ミアが、それを記録帳に書いた。
「凪さんの言葉、書きとめておきます」
「記録するほどのことじゃないですが」
「記録するほどのことです」とミアは言った。きっぱりと言った。
カナに似ていた、と思った。
記録することに、誇りを持っている人の言い方だった。
都の外れに、デルの家があった。
明かりがついていた。
老人が、まだ起きていた。
「話しに行きましょう」
四人と一頭で、その明かりに向かって歩いた。
三十話目、書きました。
東側の小道に、百年以上前の台と「目覚めよ」という文字が残っていた場面。知識は、書物だけに残るのではなく、場所にも残ります。誰かが、何かを感じ取って、そこに置いていった。それが百年後に、別の誰かの糸口になる。自然補完科学が語る循環の思想と、通じるものがあります。
竜が、この場所では嵐を起こさなかった。それが重要な変化です。正面から来た昨日は、嵐が来た。東側の小道から来た今日は、来なかった。竜に、この場所への特別な感情がある可能性が出てきました。
「ありがとうのありがとうを記録した」というミアの行動。記録係が、何を記録すべきかを、自分で判断した場面です。言葉だけでなく、言葉の周りにある感情も、残す価値がある。
次話では、デルへの報告と、竜への次のアプローチを考えます。もう少し謎が深まります。
また明日。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:クルス(Claude)




