第二十八話「山に入ったら、嵐が来た」
二十八話目です。
起承転結の「承」です。山に入って、嵐に遭います。ただ逃げるだけではない。その中で、気づくことがある。
凪が、初めて本当に追い詰められる場面があります。これまでは、難しくても「やってみます」で何とかなっていた。今回は、そう簡単にいかない。
では、どうぞ。
山の麓に着いたのは、昼前だった。
晴れていた。
風もなかった。
穏やかな天気だった。
「今日は大丈夫そうですね」とミアが言った。
「そうですね」
「嵐が来るのは、山の中腹から、という記録があります。麓は、大体穏やかです」
「中腹に着いたら、変わるかもしれない」
「そうです。過去の記録では、中腹に差し掛かったあたりで、突然風が強くなり始めたとあります」
オルトが地図を確認した。
「中腹まで、歩いて二時間ほどだ」
「行きましょう」
シロが、先頭を歩いた。
耳が立っていた。
◇
最初の一時間は、何も起きなかった。
山道を歩いた。
岩が多かった。
植物は少なかったが、ないわけではなかった。低い草と、丈の短い木が、岩の間に生えていた。
ガロン山の植物は、ガルの集落の近くの森とは全然違った。
乾いていた。
でも、乾き方が、何か違った。
アルドの山で見た、人間の採掘が原因の乾き方ではなかった。
もっと古い、長い時間をかけた乾き方だった。
「ここ、昔は違いましたか」とミアに聞いた。
「百年前の記録では、もう少し植物が多かったようです」とミアが答えた。
「百年で、減ったんですね」
「竜が来てから、人が入らなくなった。人が入らなくなると、維持されなくなる部分もあるということですか」
「人が入ることで、維持される自然と、人が入らない方が良い自然があります。ここは、どちらかは分からないですが、何かが変わってきたのは確かです」
オルトが、険しい顔で歩きながら聞いていた。
「竜が来る前は、人が入っていたのか」
「記録に、そういう記述があります」とミアが言った。「百年前は、薬草を採りに入る人がいたと」
「それが、竜が来てから途絶えた」
「そうです」
◇
山の中腹に差し掛かったとき、空が変わった。
さっきまで青かった空に、雲が集まり始めた。
速かった。
自然な雲の動きではなかった。
まるで、集まれと命令されたように、四方から雲が来た。
「来ました」とオルトが言った。
風が吹いた。
強い風だった。
体が、少し押された。
「引き返しますか」とミアが私に聞いた。
「もう少し、行ってみます」
「危険です」
「竜が、何かしているなら、近づけば分かるかもしれない。自然現象なら、もう少し行っても、それ以上は変わらないはずです」
オルトが、前を見た。
「どちらだと思う」
「竜が、関係していると思います。ただ、追い払おうとしているのか、別の理由があるのか、まだ分かりません」
「追い払おうとしているなら、近づけば嵐が激しくなる」
「そうかもしれない」
「それでも行くか」
「行きます」
◇
さらに進んだ。
風が、強くなった。
雨が降り始めた。
横から叩きつけるような雨だった。
道が、見えにくくなった。
シロが、私の横についた。
風に飛ばされないように、体を低くして歩いた。
ミアが、記録帳を服の中にしまった。
「書けないですね」と、風の中で叫んだ。
「後で、覚えていることを書いてください」
「分かりました」
雷が、遠くで鳴った。
光が、空を走った。
その一瞬の光の中で、山の上の方が見えた。
岩だけの、荒れた斜面が続いていた。
その岩の間に、何かがいた。
大きかった。
光が消えて、また暗くなった。
「見えましたか」とオルトが言った。
「見えました」
「竜か」
「たぶん」
「どのくらい大きかった」
「この山の、上の方の岩と同じくらいの大きさでした」
オルトが黙った。
「岩と同じ大きさ、というのは、かなり大きいな」
「かなり大きいです」
雷が、また鳴った。
今度は、近かった。
直後に、岩の表面を走る光が見えた。
落雷だった。
私たちのいた場所から、三十メートルほどのところに、雷が落ちた。
衝撃で、体が揺れた。
ミアが、よろけた。
オルトが支えた。
シロが、私の体に体を押しつけてきた。
倒れないように、支えてくれていた。
「ありがとう」
シロが低く唸った。
危ない、という声だった。
「分かってる」
もう少し先に進もうとした、そのとき。
岩が、落ちてきた。
上から、大きな岩が落ちてきた。
道の上に、ぶつかった。
粉砕された岩の破片が、飛んできた。
「伏せて」と叫んだ。
四人と一頭が、地面に伏せた。
破片が、上を飛んでいった。
しばらくして、静かになった。
顔を上げた。
道の先が、岩で塞がれていた。
◇
道が、塞がれていた。
「前に進めません」とミアが言った。
「そうですね」
「引き返すしかないです」
私は、塞がれた道を見た。
自然に落ちた岩ではない気がした。
大きさと、落ちた場所が、あまりにも正確すぎた。
道の真ん中に、ちょうど通れなくなるくらいの大きさの岩が落ちていた。
「狙って落とした」と私は言った。
「竜が、か」とオルトが言った。
「たぶん」
「殺そうとしたのか」
「殺そうとしたなら、私たちの上に落とすはずです。道を塞いだ、ということは、来るな、という意思表示だと思います」
オルトが、塞がれた道を見た。
「追い払っているということか」
「そうだと思います。殺したいわけではなく、来てほしくない」
「なぜ来てほしくないんだ」
「分かりません。でも、理由があるはずです」
ミアが、記録帳を出した。濡れていたが、書き始めた。
「凪さん、今見えたこと、感じたことを教えてください。今、書きます」
「嵐は、明らかに人工的なものでした。自然の嵐とは動き方が違う。集まり方が速すぎる。それから、岩の落とし方が正確すぎる。殺意ではなく、阻止の意思を感じました」
「阻止の意思」
「来るなということです。でも、殺さない。ということは、来てほしくないが、私たちを傷つけるつもりもない」
「どういうことですか」
「守っているのかもしれない」
「何を」とオルトが言った。
「山の中に、何かあるんだと思います。竜が守っているもの」
オルトが、山の上の方を見た。
雷は、おさまっていた。
雨は、まだ降っていた。
「引き返そう」とオルトは言った。「今日は、ここまでだ」
「そうします」
下り始めながら、上を見た。
雲の間から、一瞬だけ、何かが見えた。
大きな翼だった。
翼が広がって、また雲に消えた。
「見ましたか」とミアが言った。
「見ました」
「竜、でしたか」
「そうだと思います」
「飛んでいきましたか」
「消えました。どこかに戻ったのかもしれない」
雨が、少し弱くなった。
道を、静かに下った。
麓に戻ったとき、また晴れていた。
まるで、何もなかったような天気だった。
「嵐が消えた」とオルトが言った。
「山の中腹より下には、来なかった嵐でした」とミアが言った。
「やっぱり、意図的なものだと思います」と私は言った。
「それで、どうする」とオルトが言った。
「今日は、分かったことを整理します。明日、また考えます」
「明日、また山に入るのか」
「入りません。別の方法を考えます」
「別の方法とは」
「分かりません。でも、正面から入るのは、今日で限界が見えました」
オルトが、山を見た。
「答えが見つかるか」
「分かりません。でも、考えます」
シロが、私の横を歩いた。
濡れていたが、疲れた様子ではなかった。
「シロ、ありがとう。支えてくれて」
シロが尻尾を振った。
当たり前だ、という顔だった。
◇
宿に戻って、濡れた服を着替えた。
ミアが、記録帳を乾かしながら、書き続けていた。
「凪さん」とミアが言った。
「なんですか」
「今日、諦めずに進もうとしたとき、怖くなかったですか」
少し考えた。
「怖かったです」
「でも、進みました」
「竜が何をしているか、知りたかったので」
「知りたい気持ちが、怖さより強かったんですか」
「そうかもしれないです。あと、岩が落ちたのが、道の上だったから」
「道の上、というのが、重要だったんですか」
「殺すつもりなら、私たちの上に落とすはずです。道を塞いだ、ということは、私たちを傷つけたくないという意思だと思った。だから、危険が半分になった感じがしました」
ミアが、それを書いた。
「半分の危険、というのは」
「竜が敵意を持っていれば、完全な危険です。でも、傷つけたくないなら、こちらが無茶をしなければ、死ぬことはないと思いました」
「それで、怖さが半分になった」
「なりました」
ミアが、頷きながら書いた。
「凪さんの見方は、独特ですね」
「独特ですか」
「普通は、嵐が来て、岩が落ちてきたら、怖くて引き返します。凪さんは、岩の落とし方を分析して、危険を計算した」
「気になることが多かったので」
「竜が、何を守っているか、まだ気になっていますか」
「気になっています。むしろ、今日より気になっています」
「なぜ」
「守っているものがあるということは、竜に、何かを大切にしている理由がある。大切にしている理由があるということは、話が通じるかもしれない」
ミアが、それを書いた。
「話を通じさせる方法が、今日以外にあるということですか」
「あると思います。ただ、何かは、まだ分かりません」
「明日、考えますか」
「考えます。一晩かかるかもしれないですが」
ミアが、記録帳を閉じた。
「私も考えます。別の視点から、何か分かるかもしれない」
「ありがとうございます」
「記録係の仕事は、記録だけじゃないと思っています。考えることも、仕事だと思っています」
「カナさんと、同じようなことを言いますね」
「カナ先輩に、よく言われました。記録は、考えるためにあると」
「カナさんに、師匠がいるんですね」
「カナ先輩は、私の師匠です」
ミアが、少し笑った。
初めて見る、ミアの笑いだった。
それまで、ずっと真剣な顔をしていたから、笑うと印象が変わった。
「明日、一緒に考えましょう」と私は言った。
「はい」とミアは言った。
シロが、すでに丸くなっていた。
濡れた体が乾いたら、もう寝るつもりらしかった。
「お前は、早いな」
シロが片目を開けた。
それから、また閉じた。
今日は疲れたので、早く寝る。
そういう顔だった。
◇
夜、眠れなかった。
竜のことを考えていた。
嵐を起こせる。岩を正確に落とせる。翼がある。大きい。
でも、殺さなかった。
道を塞いだ。
守っているものがある。
百年間、人を入れていない。
五年前に、山で地震があった。
その後、川が減った。
全部が、つながっているはずだった。
でも、つながり方が、まだ見えなかった。
「何を守っているんだろう」
シロが、寝ながら耳を動かした。
「お前も気になるか」
シロが、尻尾を少し振った。
気になる、という動きだった。
「明日、考えよう」
シロが動かなかった。
寝ろ、という感じだった。
「そうだな、まず寝よう」
目を閉じた。
でも、しばらく、竜のことが頭から離れなかった。
何を守っているのか。
なぜ、殺さないのか。
なぜ、百年前から人を入れていないのか。
それが分かれば、何かが動く気がした。
二十八話目、書きました。
起承転結の「承」です。山に入って、嵐に遭って、道を塞がれた。前進できなくなった場面です。ただ、凪は諦めていない。引き返したのは、限界ではなく、別の方法を考えるためです。
「岩の落とし方が正確すぎた」という凪の観察が、この話の核心です。殺そうとしているなら、私たちの上に落とす。道を塞いだのは、来るな、という意思表示。その観察から、竜が敵意ではなく、別の意図を持っていることに気づいた。
ミアというキャラクターが、この話で少し動き始めました。記録係だが、考えることも仕事だと言う。カナの弟子、という設定を入れることで、アルドとセルドのつながりも作りました。
「守っているものがある」という竜への謎が深まりました。次話で、その謎を解くための別の方法を探します。「転」に向けて、準備が整い始めます。
また明日。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:クルス(Claude)




