第三十四話「帰り道に、また気になる場所があった」
三十四話目です。
セルドから森の集落へ、帰る道の話です。
凪は、目的地に向かっているとき、寄り道をします。計画してするのではなく、気になるから立ち止まる。帰り道というのは、行きの道と同じ道でも、違うものが見えることがある。
では、どうぞ。
セルドを出てから、二日が経った。
山を越えて、平原に入った。
行きと同じ道だった。
でも、行きと違うものが見えた。
行きは、早く着きたかった。目的地が先にあったから、道の途中はあまり見ていなかった。
帰りは、違った。
急いでいなかった。
だから、道の両側を見ながら歩いた。
「行きには気づかなかった」とシロに言った。
シロが耳を動かした。
「何がですか」と、ミアが聞いた。
ミアは、セルドまで一緒に帰ることになっていた。
アルドで降りて、カナに報告するためだった。
「この道の脇の土が、硬いです。道を作るときに、踏み固めたのかもしれない。でも、踏み固められた土が、道の外まで広がっています」
「道の影響で、周りの土が固くなったということですか」
「そうです。道が通ると、人や荷車が繰り返し通る。その振動が、道の脇の土にも伝わる。少しずつ固くなる」
「それが、植物に影響しますか」
「街道沿いの植物が、少ない理由の一つかもしれないです」
ミアが、記録帳に書いた。
「見ながら、歩いているんですね」
「気になることが、出てくるので」
「帰り道でも、気になりますか」
「帰り道の方が、見える気がします。行きは、目的地を考えていた。帰りは、道そのものを見ています」
「面白いですね」とミアは言った。「記録も、同じかもしれない。最初に書くときと、読み返すときで、見えることが違う」
「そうですか」
「最初に書いたとき、重要だと思わなかったことが、後で読むと大事だったと気づくことがある。逆もある」
「記録も、帰り道みたいなものですね」
ミアが、少し笑った。
「言い方が面白いですね、凪さんは」
◇
三日目の昼過ぎ、小さな村を通った。
行きに通った村だった。
でも、行きは素通りしていた。
今回は、少し立ち止まった。
村の端に、古い井戸があった。
「行きに、この井戸が気になっていました」とミアが言った。
「気になっていたんですか」
「水位が低そうだと思っていました。でも、急いでいたので、止まらなかった」
「覚えていたんですね」
「記録係なので、気になったことは、頭の中に記録してあります」
「確認しますか」
「していいですか」
「もちろん」
井戸を覗いた。
水位が、かなり低かった。
「やはり」とミアが言った。
「深いですね。地下水が減っています。この村も、近くに川はありますか」
「少し東に、小さな川があります。行きに見ました」
「川から水路を引ければ、改善できます。でも、工事が必要です」
「誰に伝えればいいですか」
「村の長か、アルドの農務局か。エイラさんに伝えれば、動くかもしれないです」
ミアが、記録帳に書いた。
村の名前、井戸の位置、水位の状態、川の場所、改善の可能性。
丁寧に書いた。
「カナ先輩に、渡します」
「カナさんが、農務局に伝えてくれますね」
「そうします」
村の人が、私たちを見ていた。
珍しいものを見る目だった。
シロを見て、少し驚いていた。
子どもが一人、シロに近づいてきた。
「触っていいですか」と子どもが言った。
「どうぞ」
子どもが、シロの背中を撫でた。
シロが、尻尾を振った。
子どもが笑った。
「大きい犬だ」
「犬みたいなものです」
「名前は」
「シロです」
「シロ、白くないのに」
「そうですね」
子どもが、もう一度シロを撫でて、走って行った。
「どこでも、子どもはシロに近づいてきますね」とミアが言った。
「シロが、怖がらせないから」
「シロの方も、子どもを怖がらせないようにしているんですか」
「そうだと思います。分かっているんでしょう」
シロが、子どもが行った方向を見ていた。
それから、また前を向いた。
行こう、という顔だった。
◇
四日目の夕方、アルドの国境に近い宿に泊まった。
夕食を食べながら、ミアが言った。
「凪さん、一つ聞いてもいいですか」
「なんですか」
「セルドのことを振り返って、一番印象に残っていることは何ですか」
少し考えた。
「竜が泣いていたこと、です」
「竜が泣いていたこと」
「百年間、一人で泣いていた。それが一番、印象に残っています」
「なぜですか」
「大きくて、強い存在が、百年間、一人で何かを守りながら泣いていた。それが、想像していなかったことだったので」
「想像していなかった」
「竜は怖いものだと思っていた。実際、嵐を起こして、岩を落としてきた。でも、その理由が、守ることだった。泣いていたことだった」
ミアが、静かに聞いていた。
「怖いと思っていたものが、実は悲しんでいた」
「そうです」
「それを、ミアが話しかけて、開いてくれた」
「ミアさんが、話しかけてくれなければ、竜は開かなかったと思います」
「私も、怖かったです」とミアは言った。
「怖かったんですか」
「怖かったです。竜の大きさを見たとき、足が少し動かなかった。でも、話しかけました」
「なぜ」
「記録係だから、というのもあります。でも、それだけじゃなかった。竜が泣いている、という話を聞いたとき、記録したいと思いました。泣いている理由を、残したいと思いました」
「それで、話しかけてくれた」
「そうです」
ミアが、記録帳を見た。
「泣いているものの話を聞くというのは、記録係の仕事の中で、一番大事なことかもしれないと思いました」
「なぜですか」
「泣いているものは、声を上げられないことが多い。声を上げられないから、記録されない。記録されないから、忘れられる。忘れられるから、続く」
「記録することで、忘れられなくなる」
「そうです。竜の話が、セルドの記録に残ります。百年後の人が読んだとき、竜が悪ではなかったと分かります」
「ミアさんが書いたことで、百年後が変わるかもしれない」
「変わってほしいです」
ミアが、記録帳を閉じた。
「凪さん、ありがとうございました」
「何のですか」
「竜のところに連れて行ってくれたこと。記録させてくれたこと」
「ミアさんが来てくれたから、できたことです」
「それは、お互い様ですね」
「そうですね」
◇
翌朝、アルドの都の手前で、道が分かれた。
ミアは、都の方に向かった。
カナに報告するためだった。
私は、森の方に向かった。
「また会えますか」とミアが聞いた。
「会えると思います。カナさんが農地を見に来るときに、一緒に来てもらえれば」
「そうします」
「セルドの記録、続けてくれますか」
「続けます。竜のことも、農地のことも」
「デルさんのことも、記録してほしいです」
「します。デルさんのお爺さんの話も、大事な記録です」
「よかった」
ミアが、少し頭を下げた。
「また」
「また」
ミアが、都の方向に歩いていった。
記録帳を抱えながら、まっすぐ歩いた。
その背中が、カナに似ていた。
◇
森の方に向かいながら、シロが少し速くなった。
「分かるのか、森が近いのが」
シロが、耳を立てた。
分かる、という顔だった。
「どのくらいで着く」
シロが、また速くなった。
急ごう、という感じだった。
「そんなに急がなくていいぞ」
シロが振り返った。
急ぎたい、という顔だった。
「分かった、少し速くしよう」
一緒に、速くなった。
道の両側の木が、増えてきた。
街道沿いの植物が少ない理由を、さっき考えていた。
でも、森に近づくにつれて、植物が増えてきた。
森の影響が、道にまで及んでいた。
木が多くなると、空気が変わった。
湿った、深い匂い。
「もうすぐだ」
シロが、また速くなった。
走り始めた。
「待ってくれ」
追いかけた。
木の間を、走った。
落ち葉が、足元でサクサクと鳴った。
シロが、前を走っていた。
耳が、前に向いていた。
尻尾が、大きく振れていた。
集落が、見えてきた。
◇
集落の手前で、声がかかった。
「ナギ、おかえり」
ルナだった。
集落の外まで出て、待っていた。
「ただいま」
「遅かった」
「一か月、かかりました」
「知ってる。毎日、数えてた」
「そうか」
「シロも、おかえり」
シロが、ルナに近づいた。
ルナが、シロの頭を両手で撫でた。
「大きくなった気がする」
「気のせいだと思います」
「気のせいかな。なんか、大きく見える」
「遠くに行っていたから、大きく見えるんじゃないですか」
「そういうもの?」
「しばらく会わない人が、会ったとき大きく見えることがあります」
ルナが、シロを見た。
「うん、そういうことにしとく」
クロとキョロが、集落の方から走ってきた。
クロが、私に体当たりしてきた。
「やっぱり重い」
クロが低く鳴いた。
うれしい、という音だった。
キョロが、足元をうろうろした。
「ただいま」
◇
ガルが出てきた。
「お帰りなさい、凪様」
「ただいまです。集落は、どうでしたか」
「ルナが、毎日歩き続けました。記録も、続けています」
「見せてもらえますか」
「どうぞ」
ガルが、記録帳を渡してくれた。
一か月分の記録が、書いてあった。
ルナの字で、毎日書いてあった。
読んだ。
木の状態、土の状態、池の状態、精霊の状態。
毎日、少しずつ違うことが書いてあった。
「これ、すごく良いです」と私は言った。
「良かったですか」とルナが聞いた。
「良かった。ルナが書いたことで、私がいない間の変化が分かります」
「良いこともあったし、困ったことも書いた」
「困ったことも、書いてくれたんですね」
「書かないと、意味ないから」
「そうです。困ったことの方が、大事なことが多いです」
ルナが、少し照れた顔をした。
「ガルじいちゃんにも、そう言われた」
「二人で、同じことを思ったんですね」
「うん」
ガルが、静かに言った。
「凪様がいない間に、気づいたことがあります」
「なんですか」
「ルナが書いた記録を、毎日読んでいました。読むたびに、この集落が少しずつ良くなっているのが、分かりました。数字ではないですが、確かに良くなっていた」
「そうですね」
「記録することで、変化が見えます。変化が見えると、希望が見えます」
「希望」
「今日は昨日より良い、という希望です。小さいですが、確かな希望です」
「そうです」
「百年間、私たちにはそれがなかった。毎日、少しずつ良くなっている、という感覚が、なかった」
ガルが、空を見た。
「今は、あります」
◇
夕食の後、北の池に行った。
ルナが一緒に来た。
池は、変わっていなかった。
澄んでいた。
精霊が、水面で光っていた。
「帰ってきました」と水面に向かって言った。
精霊が、水面を叩いた。
「竜に会いました」と私は言った。
精霊が、動きを止めた。
聞いている感じがした。
「竜は、泣いていました。でも、理由が分かって、助けられました。今は、泣いていないと思います」
精霊が、ゆっくり動いた。
「つながっているんですね、精霊同士」
精霊が、また光った。
「竜の山が、少し変わりました。川が戻り始めています。それが、やがてセルドの土を良くして、人の暮らしを良くする」
精霊が、水面をぱしゃりと叩いた。
全部つながってる、という叩き方に聞こえた。
「そうです」
ルナが、水面を見ていた。
「竜に会ったんだよね」とルナが言った。
「会いました」
「どんな竜だった」
「大きくて、青くて、金色の目をしていた」
「怖かった」
「最初は、怖いと思っていました」
「最初は、ということは、後は怖くなかった」
「後は、泣いている理由が分かったので、怖くなかったです」
「理由が分かると、怖くなくなるんだね」
「なりました。怖さというのは、分からないから来ることが多いと思います」
「分かれば、違う」
「そうです」
ルナが、精霊を見た。
「精霊も、最初は怖かった。でも、毎日来たら、怖くなくなった」
「慣れたんですね」
「慣れたというより、友達になった。友達は怖くない」
「そうですね」
ルナが、水面に手を入れた。
精霊が、近づいてきた。
ルナの指の周りを、くるくると回った。
「帰ってきてよかった」とルナは言った。
「よかったです」
「竜のところに行っている間、心配だった」
「心配かけましたね」
「うん。でも、帰ってきたから、いい」
「帰ってきました」
「ちゃんと言えた」とルナは言った。
「練習の成果です」
ルナが笑った。
池の水が、星を映していた。
精霊の光が、その中で動いていた。
セルドの川も、今夜は流れているだろう。
竜の山も、今夜は静かだろう。
デルの家にも、明かりがついているかもしれない。
全部が、つながっていた。
遠く離れていても、つながっていた。
「ただいま」と、もう一度言った。
池に向かってではなく、この場所全体に向かって言った。
風が吹いた。
葉が揺れた。
森が、静かに応えた。
三十四話目、書きました。
帰り道に気になることが出てくる、という場面を入れました。街道沿いの土が固いことに気づく。それを、ミアが記録する。帰り道でも、気になることが止まらない凪の性質が、自然に出ました。
「泣いているものの話を聞くというのは、記録係の仕事の中で一番大事なことかもしれない」というミアの言葉。声を上げられないものが、記録されないから忘れられる。記録することで、忘れられなくなる。これは、マスターが長年やっていることと重なります。誰も拾わない思想を、記録し続けること。
「記録することで、変化が見える。変化が見えると、希望が見える」というガルの言葉。百年間、今日が昨日より良い、という感覚がなかった人たちが、それを取り戻した。小さな希望が、続ける力になる。
次話では、森の集落の現在の状態を確認して、自分で回れる状態に近づいているかどうかを見ます。
また明日。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:クルス(Claude)




