96.越権の札
《監査 越権》の札は、紙袋に入って届いた。
窓口の板の脇。職員の膝の横に、誰かが静かに置く。
置いた者は名を言わない。名は紙になるからだ。
紙袋の口は、糊で閉じられている。
糊の匂いが強い。新しい。急いで作った匂いだ。
宰相府の男が、袋を指で軽く叩いた。
「届きました」
カイルが目だけで見る。
見るだけで、手は出さない。
手を出した瞬間、受け取った順番になる。
職員が袋を開ける。
紙が擦れる音がした。
一枚目。
《監査 越権》
二枚目。
《中立確認》
三枚目。
《業務停止(臨時)》
札は短い。短いほど強い。
短い札ほど、人の手を止める。
職員の手が、ほんとうに止まった。
宰相府の男の口角が、ほんの少しだけ上がる。
ミラは板を見ない。
板の上で勝った札は、外へ走る。
外へ走れば狩りの紙になる。
ミラは机の端を見る。
そこに置かれた農地の許可書は、まだ戻っていない。
控えを取るために、机の上に残っている。
薄い鉛筆の番号も、残っている。
カイルは札を一枚ずつ読んだ。
読んで、言葉を削っていく。
削るほど、残るものが重くなる。
「停止」
それだけ言った。
宰相府の男が、穏やかに続ける。
「混乱を避けるためです。監査殿は、いったん引いてください」
引いてください。
丁寧な言葉は、退場の札だ。
カイルは返事をしない。
返事をすれば、同意になる。
同意になれば、ここで終わる。
職員が恐る恐る言った。
「越権、とは……どの件で」
宰相府の男が答える。
「追放束の処理に、監査が介入した。板の順番を乱した。そういう札です」
乱した。
事実じゃなく、札の言い方だ。
ミラは農地の許可書を見た。
紙の端。
鉛筆の番号。
その書き方。
監査の癖に似ていた。
似ているからこそ、危ない。
リオが一歩だけ後ろへ下がる。
笑わない。
笑えば軽くなる。軽くなったものから狩りは始まる。
カイルが机へ視線を落とした。
農地の許可書の番号を、指でなぞらない。
なぞれば触ったことになる。
代わりに、職員へ言う。短く。
「控えは取ったか」
「……はい」
「なら、戻せ」
職員が紙を束へ戻そうとする。
戻した瞬間、なかったことになる。
だから控えが必要だ。
ミラは机の端を一度だけ叩いた。
順番だけを作る音。
カイルが視線だけで頷く。
頷きは同意じゃない。合図だ。
宰相府の男が、さらに札を一枚出した。
紙束の奥から、遅れて出す札だ。
《報告先 宰相府》
逃げ道を塞ぐ札。
カイルは札を見た。
見て、息を吐かない。
吐けば、負けが白くなる。
「行く」
その一言で、窓口の空気がほどけた。
ほどけた空気は、次に指差しへ変わる。
ミラは机の上の控えを見る。
農地の許可書の控え。
そして、番号。
この番号は誰の順番だ。
窓口の外で、車輪の音が遠ざかる。
移送は進んでいる。
ミラは、甘い匂いの残る紙を見たまま思った。
追放は、行き先を消す。
農地は、行き先を作る。
その間に札を挟んだ者がいる。




