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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
北線の削除

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84/157

84.先に書かれた名前



閲覧簿は、役所の中でいちばん静かな紙だ。


読まれない。

貼られない。

声にならない。


だからこそ、ここが汚れると、全部が汚れる。


アークは開庁の列に混ざらず、裏廊下から閲覧庫へ向かった。

リオは離れて歩く。

ミラはさらに離れて、壁の貼り紙を読むふりをする。


三人で一緒に動くと、すぐ紙になる。


閲覧庫の扉の前で、カイルが待っていた。


鍵束は腰。

帳面は手。

指先は相変わらず汚れていない。


「来ると思っていました」


カイルが言う。


「あるか」


アークはそれだけ聞いた。


カイルは返さず、扉を少しだけ開けた。

中の空気が一瞬漏れる。

古紙と糊と、湿った墨の匂い。


「入らないでください」

「記録に残ります」


アークは頷かない。

その代わり、外套の内から紙片を出した。


欠け印の荷印紙。


右上。


カイルは目だけで見て、同じ位置を思い出した顔になる。


「昨日の奥の箱」

「欠けは右上でしたね」


「署名は」


アークが聞く。


カイルは閲覧簿を開いた。

ページをめくらない。

開く場所が決まっている手つきだ。


指が止まる。


「……あります」


声が低くなる。


「あなたの名が」


ミラの視線が、壁の貼り紙から一瞬だけ落ちた。

リオは息を止めた。


アークは眉も動かさない。


「いつの欄だ」


カイルは欄外の小さな刻を書いた場所を指で押さえた。


「今朝の欄です」

「開庁前の閲覧は本来、ありません」


リオが、角の向こうでわざと桶を倒した。

水の音が石畳を走る。


見張りの目がそちらへ向く。


その隙に、カイルが閲覧簿を一枚だけ抜く。

抜かない。

写し紙を差し込む。


「見てください」

「触らないで」


アークは写しを受け取った。

端を揃える。

署名欄だけを見る。


そこにある筆跡は、似ている。


だが、止めが違う。

いつもより角が立っている。

筆圧が一瞬強い。


アークの目が細くなる。


「俺じゃない」


カイルが小さく息を吐く。


「はい」

「似せています」


ミラが、壁を見たまま言った。


「署名の前に、線が引かれてます」


カイルが頷く。


「整理線です」

「署名欄の前に引かれる。監査側の手順です」


リオが桶を起こして戻りながら言う。


「監査の線で、貴族の署名を作るのかよ」


カイルは否定しない。


「だから危険なんです」


アークは写しの下端を見る。

欠け印が、薄く押されている。


押しは浅い。

縁だけが立っている。


見せるための印。


「署名と印を、先に決めてる」


アークが言うと、ミラが小さく頷いた。


「読む意味を先に固定して」

「あとで手続きを通す」


リオの口角が上がりかけて、止まった。


「……誰がやってる」


カイルは目を伏せた。

伏せたのは、知らないからじゃない。

言えないからだ。


「あなたの名を使うには」

カイルが言う。

「役所の中の線が要ります」


アークは写しを畳み、外套の内へ戻した。


「残したかったのは、証拠じゃない」

アークは言った。

「届く範囲だ」


カイルの目が上がる。


「測っていたんですね」


「測りは終わった」


アークは短く言った。


「先回りは、役所の中で完結してる」


ミラの指が袖の中で握られる。


「じゃあ……屋敷の帳場は」


言い切らない。

言い切れない顔だった。


アークはミラを見た。


「まだ断定しない」


「でも、戻る」


リオが噛みつく前に、アークは続ける。


「戻って、帳場の控えを一枚だけ変える」

「こっちが先回りされるなら、逆に先にずらす」


カイルが低く言う。


「あなたは……自分の名まで使って」


アークは答えない。

答えの代わりに、扉の隙間へ視線を落とす。


廊下の向こうを、小使いが一人通った。


靴の左だけ、乾いた泥。


役所裏の色だ。


その小使いは、閲覧庫の前で立ち止まらない。

目も向けない。


だが、指先だけが動いた。

腰の鍵束に触れた。


触れるだけ。

確認の癖だ。


アークは息を吐かずに言った。


「……口は、役所の中じゃない」

「鍵の外だ」


リオが一拍遅れて頷く。


「運ぶやつか」


ミラが小さく言う。


「先に消える足」


アークは写し紙の端を指で押さえた。


署名は偽。

でも欠け印は本物だ。


本物の手続きで、偽物の名を通している。


アークは歩き出した。


「戻る」


「屋敷へ」


一緒に出ることはしない。

だが行き先だけは同じだ。


役所の朝は、もう始まっている。


その朝のいちばん静かな紙に、

自分の名が先に書かれていた。

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