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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
北線の削除

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83.水の前室



役所の裏口は、鐘より先に濡れている。


石畳に薄い水の筋。

掃き出し口から流れた水が、排水溝へ吸い込まれていく。


アークはその筋の先を見ていた。

奥の箱が通るなら、足は水を踏む。

踏めば泥が変わる。


「来ます」


ミラが、壁の陰で言った。


役所の裏廊下から小使いが二人出てくる。

片方は空の木箱。

もう片方は、蓋を縄で縛った小さな箱。


箱の側面に、黒い角印。


欠けは右上。


リオが、桶を運ぶふりのまま近づいた。

目は箱を見ない。

足元の水筋だけ見る。


「軽いな」


小使いの歩幅が揃っている。

揃っているのに急がない。

この道を何度も通っている足だ。


ミラが小さく息を吐く。


「箱の縄、結びが違います」


アークは頷いた。


「締める結びじゃない」

「開け直す結びだ」


二人の小使いは排水溝の先、石段を降りる。

役所の裏庭を抜けて、低い扉へ向かった。


扉の前に、見張りがいる。

腕章はない。

だが立ち方が役人のそれだ。


扉を開けたのは、その見張りだった。

中の空気が一瞬だけ外へ漏れる。


水と、糊と、古い紙の匂い。


ミラの視線が動く。


「……ここです」


アークは答えない。

足だけで距離を測った。


扉の脇に木札。


《前室》


役所の言葉で、待ちの部屋だ。

だが匂いが違う。

ここは待たせる部屋じゃない。

紙を整える部屋だ。


リオが、桶を置くふりで壁に寄った。


「入る?」


アークは首を振った。


「まだ」


扉が閉まる。

鍵が回る音はしない。

内側から棒で落とした音だけがした。


「鍵じゃない」


アークが小さく言った。


「中の人間が、開けてる」


ミラが袖の中で指を握る。


「じゃあ、外からは止められない」


「止めるなら」


アークは視線を排水溝へ戻した。


「開ける手を取る」


リオがいつもの軽口を出しかけて、やめた。

水の筋を踏まないように、足を置き直す。


「……で、どうやって」


アークは答えなかった。


前室の扉の上に、小さな窓がある。

明かり取りの窓だ。

そこから漏れる灯りが、壁に細い四角を作っていた。


その四角の中で、影が一度だけ揺れる。


紙を広げる影。

紙を畳む影。

そして、箱の縄をほどく影。


ほどいた縄は、すぐ結び直される。

さっきミラが言った結びだ。


アークは一歩だけ下がった。

見えた分で足りる。


戻る途中、役所の掲示板の裏を通る。

剥がされた紙が丸められ、木箱に放り込まれていた。


ミラが指先で紙の端を拾う。


濡れていない。

乾いている。


「また抜かれてます」


ミラが言う。


「読める紙だけ」


アークは紙を見ない。

箱の内側を見る。


底に、薄い板が一枚。

閲覧簿の紙質と同じだ。


ミラが板を持ち上げ、裏を見る。

欄外に、細い線が引いてある。


署名欄の前の整理線。


「……ここにも」


ミラの声が低くなる。


リオが鼻で笑う。


「役所の中が、ぜんぶ同じ手順か」


アークは板を受け取り、折り目だけ確かめた。


折り目が、新しい。


今日、ここで折られた紙だ。


アークは板を外套の内へ入れる。


「カイルの言った通りだ」


ミラが聞く。


「箱は二つ」


「表の箱は見せる」

アークは言った。

「奥の箱で、意味を決める」


リオが小さく言う。


「で、先回りの口は」


アークは返さない。

代わりに、役所の正門を見る。


開庁の列ができ始めている。

そこへ向かう人の中に、見慣れない男がいた。


歩幅が一定。

靴の左だけ、乾いた泥。


役所裏の色だ。


その男は、掲示板の前で立ち止まり、紙を読むふりをした。

読まずに、周りの顔だけ見た。


アークは息を吐かずに言った。


「……あれだ」


リオが一拍遅れて頷く。


「先に消えるやつ」


ミラが小さく言う。


「追いますか」


アークは答える。


「追うな」

「先に、名を残せ」


ミラが目を上げる。


「名を」


アークは掲示板の釘を見た。


紙はまだ打たれていない。

だが、順番はもう作られている。


「今日の閲覧簿に」

アークは言った。

「俺の署名があるか確かめる」


その一言で、リオの顔から血の気が引いた。


「……誰が書くんだよ」


アークは歩き出した。


役所の朝は、もう始まっている。

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