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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
北線の削除

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65.足で拾う



広場を離れた男は、急がなかった。


急がない人間は追いやすい。

そう見せるために急がない人間は、逆に面倒だ。


リオは通りの反対側を歩きながら、男の肩の高さだけを見ていた。

顔は見ない。顔を見ると、視線は止まる。止まった視線は相手に刺さる。


男はパン屋の角で一度立ち止まり、掲示板の方を振り返った。

広場の空気を確認しただけだ。

自分が投げた石が、どこまで波を作ったかを見る顔だった。


リオは果物屋の軒先で立ち、並んだ籠を眺めるふりをした。


赤い実が少しだけ目に入る。

季節にはまだ早い。

値も高い。


店主が「見るだけならただだ」と言ったので、リオは肩をすくめて笑う。


「今日は見るだけ」

「売れる日に買うよ」


軽口を置いて、また男を見る。


男はそのまま南へ下った。

役所から二本外れた通り。朝の配給列ができる道ではない。仕事に行く人間が抜ける道だ。


――金の受け渡しなら、もっと人の多い場所でやる。


リオはそう考えた。

人の多い場所なら、財布の動きは目立たない。

だが今日は違う。あの男の役目は広場で終わっている。次は“確認”か“受け取り”だ。


男は井戸端を通り過ぎ、小さな乾物屋の前で止まった。


店はまだ半分しか開いていない。

暖簾も出ていない。

客を迎える顔ではなかった。


男は中に入らない。

軒下に立ったまま、店の奥へ向かって言った。


「今朝、北が一枚」


短い。

買い物の言い方ではない。


店の奥から、年配の女が出てきた。

乾物屋の店主に見える。

実際、店主なのだろう。手に昆布の粉がついている。


女は男の顔を見ず、桶の脇にあった木札を裏返した。

表には「仕込み中」。

裏には何も書かれていない。


それから、声を落として言った。


「南は二声で足りた」

「余計な名は出てないね」


リオの目が細くなる。


二声。

余計な名。


数え方も、気にしている内容も、ただの世間話じゃない。


男が鼻で笑う。


「今朝は楽だ。紙に“窓口”がある」


女は頷き、棚の下から小袋を出した。

銅貨の音はしない。乾いた音もしない。

代わりに、紙の擦れる音がした。


男が受け取って、袋の口を少しだけ開ける。


中に入っていたのは札だった。

役所の配給札より小さい、硬い紙。

端に青い線が一本入っている。


女が言う。


「三日」

「北門は朝だけ通る」


通行札だ。


リオは果物屋の陰で、心の中だけで舌を鳴らした。


――金じゃない。


金より厄介だ。

生活に効く。

家に持ち帰れば、家族が助かる。

助かった家族は、その札がどこから来たかを問わない。


男は小袋を懐へ入れた。


「次は昼」

「港の前、紙が出たあと」


女は答えない。

代わりに、昆布の束を整え始める。

会話を終わらせる手つきだ。


男が去る。

リオは二呼吸置いてから動いた。


男を追うか、店を見るか。


一瞬だけ迷って、リオは店を選んだ。

男はまた使われる。だが、中継の店はそう簡単に顔を変えられない。


乾物屋の前を通り過ぎるふりで、値札を見る。

昆布、豆、干し魚。どれも普通だ。

だが入口の脇に、妙に新しい板が立っていた。


【本日の配給相談は役所窓口へ】


役所の文言と同じ調子。

民に向けた店の札なのに、言い回しが役所くさい。


リオは通り過ぎながら、店の奥に積まれた木箱も見た。

乾物屋の箱にしては薄い。

紙束を運ぶ箱の厚みだ。


「兄ちゃん、買わないのかい」


店主の女が声をかけてきた。

普通の客引きの声だった。だが目は笑っていない。


リオは足を止め、振り返る。

にこやかな顔を作る。


「今度な。今日は配給の列を見に行く」

「北が遅れてるって、みんな騒いでる」


女は肩をすくめた。


「騒ぐのが早いよ、この街は」

「紙が出る前から決めたがる」


言いながら、女は視線を一度だけ通りの角へ飛ばした。

誰かを警戒した目だった。


リオはその視線の先を見ない。

見れば、相手は「見られた」と思う。


代わりに笑って返す。


「決めるのが早いのは、役所も同じだろ」


女の口元が、ほんの少しだけ硬くなった。


当たりだ。


リオはそれ以上踏み込まず、手を振って通りを離れた。

ここで刺すと、次から札が変わる。店が変わる。人が消える。


角を曲がって、人目が切れたところで歩幅を上げる。


港前。

昼。

紙が出たあと。


男の言葉は取れた。

通行札の線の色も見た。

乾物屋の店主が中継だとまでは言い切れないが、少なくとも“配る側”に寄っている。


それだけあれば、十分だ。


坂の途中で、リオは壁にもたれた子どもを見つけた。

靴磨きの箱を抱えている。顔を上げるのが早い。街の動きをよく見ている目だ。


リオは子どもの前にしゃがみ、靴を差し出した。


「磨けるか」


子どもは靴より先にリオの顔を見た。

値段をふっかけるかどうかを測る目だ。


「急ぎなら高い」


「じゃあ丁寧で」


リオは笑って、片足を箱に乗せた。


子どもが布を動かし始める。

周りから見れば、ただの靴磨きだ。


リオは前を見たまま、小声で言う。


「昼、港前の掲示板。変な声が立ったら、誰が最初か見ろ」

「終わったら、北の石橋の下に来い」


子どもの手は止まらない。

顔も上げない。


「二人いたら?」


「先に言った方」

「言い直したやつがいたら、そっちも」


子どもは布を返しながら、同じ小ささの声で言った。


「紙を読む前に騒ぐやつ、最近多い」


リオは答える代わりに銅貨を二枚置いた。

相場より少し多い。


子どもは一枚だけ取り、もう一枚を箱の端へ押し戻した。


「まだ靴、片方」


リオは目を細める。


「まじめだな」


「うちはそれで食ってる」


いい返事だった。


リオはもう片方の靴を乗せながら、広場の方角を振り返る。

役所の鐘が一度鳴る。


午前の紙は、もう人に移った。

次は昼の紙だ。


そのとき、通りの向こうを見慣れた影が横切った。


アークではない。

ミラでもない。


役所前で最初に声を上げた男だ。


もう次の場所へ向かっている。

懐に三日の通行札を入れたまま。


リオは口の端を上げた。


「……忙しいな、お前ら」


子どもが怪訝そうに見たので、リオは何でもない顔で空を見た。


晴れている。

晴れている日の方が、紙はよく走る。


濡れないからじゃない。

人が外にいるからだ。


人がいるところに、最初の声は置かれる。


リオは磨き終わった靴を受け取り、立ち上がった。


「昼までに一本、拾う」


誰に言うでもなく呟いて、港の方へ歩き出す。


足で拾う。

目でつなぐ。

口は、最後に使う。


それが今日の仕事だった。

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