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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
手続きが正義を作る

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52/157

52.名を置く場所



夜の屋敷は、昼より音が多い。


見回りの靴音。扉の蝶番。火を足す音。

それぞれは小さいのに、重なると「誰が起きているか」が分かる。


アークは机の上に紙を三枚だけ並べた。


港で拾った荷札の写し。

分岐の控えから抜けていた番号の控え書き。

そして、宰相府が昼に出した掲示の文面。


紙の質は違う。書いた手も違う。

なのに、並べると同じ癖が見える。


数字の切り方。

言い切る位置。

人の不安を先に決める順番。


「……同じ人間が書いた、ではない」


アークは小さく言った。


「同じ型で書かせてる」


扉の外で、足音がひとつ止まった。


ノックは二回。間を置いて、一回。


リオだった。


「入れ」


アークが言うと、リオは静かに入ってきた。夜の色の上着。襟元だけ整いすぎていて、役所の匂いがまだ残っている。


「遅かったな」


「遅くしたんです」


リオは先にそう言って、机の紙を見た。


「見られて困る人間が、まだ廊下にいました」


言い方は軽い。だが目は笑っていない。


アークは椅子を勧めず、港の荷札の写しを一枚だけリオのほうへ寄せた。


リオの視線が数字を追う。二行目で止まる。


「これ、北線の事故の日の番号ですね」


「分かるか」


「癖があります。港の帳場は、荷の順で書く。でもこれは違う。先に“消したい荷”を上に持ってきてる」


アークは黙ってリオを見る。


リオは紙から目を離さないまま言った。


「……宰相府の文官がよくやる並べ方です。報告書でも同じです。上から読んだ人間に、先に結論を飲ませる」


言い終えてから、リオは顔を上げた。


「俺、言いすぎました?」


「いや」


アークは短く返す。


「足で拾った話だ。価値がある」


リオの肩から、わずかに力が抜ける。


その抜け方を見て、アークは逆に警戒を強めた。安心した人間は本音を出す。本音は武器にも、穴にもなる。


アークは三枚目の紙――掲示文を指先で押さえた。


「問題はこっちだ」


「昼の紙ですか」


「紙そのものじゃない。出る速さだ」


リオが頷く。


「事故のあと、町が息をのむ前に出てる。つまり、書いて待ってた」


部屋が少し冷えた気がした。


アークは窓の外を見た。闇の向こうに、町の灯がある。

あの灯の下で、人は紙を読む。読んだあとで、隣を見る。

誰のせいにするかを決める顔になる。


「狩りを止めるには、嘘を暴くだけじゃ足りない」


アークが言う。


「次の紙が出る前に、出どころを押さえる」


リオはすぐに答えなかった。

机の端に指を置き、考えてから聞く。


「刷り場、ですか」


「半分」


アークは首を振る。


「紙を刷る場所は潰せる。だが文を決める手が残る」


「じゃあ、文官の部屋」


「それも半分だ」


リオがわずかに口角を上げる。


「今日は“半分”が多いですね」


アークは視線を戻した。


「名簿だ」


リオの表情が消える。


「誰に、どの紙を、どの順で回すか。そこを握ってる名簿がある」


「配布名簿……」


「紙が走る国なら、まず足を切る。文より先に、足だ」


リオは息を呑んだあと、低く言った。


「それ、宰相府の中です」


「分かってる」


「取りに行けば、帰れない人が出る」


アークは少しだけ間を置いた。

その間に、火の音が小さく鳴る。


「だから、帰れる形でやる」


「そんな形、ありますか」


「作る」


リオはそこで初めて、はっきりアークを見た。

疑いと、期待と、少しの呆れが混じった目だった。


「……あなた、そういう顔するときだけ、誰の言葉も聞かない」


「聞いてる」


「聞いた上で、やる顔です」


言い切られて、アークは否定しなかった。


廊下の奥で、別の足音が過ぎる。

二人とも黙る。足音が遠ざかってから、リオが声を落とした。


「ひとつ、気になることがあります」


「言え」


「昼の掲示、印の位置がいつもと違いました」


アークの指が止まる。


「どこだ」


「右下じゃなく、本文の終わりに近い。読む人の目が止まる位置です。……あれ、わざとです。『命令』じゃなく『見せる紙』にしてる」


アークは紙を引き寄せ、記憶の中の配置と重ねた。

確かに違う。役所の紙の押し方ではない。読ませる押し方だ。


「誰かが変えた」


アークが言う。


「秩序のためじゃない。狩りを長引かせるために」


リオは短く頷いた。


「なら、名簿を見れば“どこから燃やしたいか”も見えるかもしれない」


アークは立ち上がった。

椅子が小さく鳴る。


「今夜は動かない」


「え」


「動く前に、戻り先を決める」


リオが眉を寄せる。


アークは机の端の小箱を開け、封蝋のない細い紙片を一枚取り出した。


「明日、もし俺が戻らなかったら、これをミラに渡せ」


「俺が?」


「お前が一番、余計な言葉を足さない」


リオは紙片を見ない。受け取るか迷っている顔だ。

それを見て、アークは紙片を持つ手を引かなかった。


「命令だ」


アークが言うと、リオは苦い顔で受け取った。


「……こういうの、嫌いです」


「知ってる」


「戻ってきてくださいよ」


「戻るために、先に決める」


リオはしばらく黙っていたが、やがて紙片を内ポケットへ入れた。


「分かりました。じゃあ俺は、明日の“足”を見ます」


「足?」


「配り手です。誰がどの路地を回るか。名簿まで行けなくても、外側から形は取れる」


アークは初めて、わずかに頷いた。


「いい」


「褒めました?」


「急ぐな。明日使う」


リオが笑った。今度は目まで少し笑った。


「それ、褒めてます」


扉の前でリオは立ち止まり、振り返らずに言った。


「……アーク様」


呼び方が、さっきまでと違った。


「なんだ」


「もし明日、町がまた“誰か”を欲しがったら」


リオはそこで一拍置いた。


「先に名前を置くのは、俺でもいいです」


扉が閉まる。


部屋に残った火の音の中で、アークはしばらく動かなかった。


机の上には三枚の紙。

どれも軽いのに、触るたびに人が重くなる。


アークは最後に、掲示の写しを半分に折った。

捨てるためじゃない。持ち歩くためだ。


敵の言葉を覚えておく。

次の紙が出る前に、足を止める。


そのための夜だった。

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