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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
手続きが正義を作る

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48. 戻り片の机



夜の刷り場は、昼より静かで、昼より怖い。


音が減るぶん、残る音だけがはっきりする。

紙を揃える音。紐を引く音。木箱を置く音。

どれも小さいのに、仕事の順番を守っている音だ。


俺とリオは、昼に見た通路より一本奥の廊下を歩いていた。


昼は人の流れに紛れられる。

夜は、紛れる相手が減る。


だから歩幅を揃える。

迷って見えない速さで、急いでいるようにも見えない速さで。


角の手前で、リオが足を止めた。


指を二本だけ下げる。

待て、の合図だ。


俺は壁についたまま、息を浅くする。


向こうを誰かが横切った。

台車を押す音。箱が二つ。上に紙束。下に布袋。

見回りではない。運びだ。


台車の音が遠ざかってから、リオが小さく言う。


「いまの袋、昼は見えませんでした」


「戻りか」


「たぶん」


リオは先に出ない。

先に出る役を、こっちへ渡してくることがある。

その渡し方が上手い。


俺は角をのぞいた。


昼に見た前段の机は、もう空いている。

代わりに、奥の部屋に灯りが残っていた。


扉は半分だけ開いている。

中に机が三つ。

真ん中の机に、札が立っていた。


北門

中央広場

南東通り


札の前に、それぞれ紙片の束。

昼に配っていた控え片より小さい。角が折れている。急いで戻された紙の形だ。


「集計机」


俺が言うと、リオが頷いた。


「戻り片の机です」


昼の最後に言っていた“紐”は、すぐに見つかった。


真ん中の机の脚に、細い麻紐が結ばれている。

紐の先には木札が三枚。札には墨で小さく印がある。


再掲

据置


机の上で迷った紙を、いったん脚の札へ落とすための紐だ。

手元で積み分けるより速い。

落とした先を、あとでまとめて回収できる。


「……これか」


俺が小さく言うと、リオも同じ高さの声で返した。


「はい。昼に見えたのは、こっち側でした」


“机の脚だ”の意味が、ようやく形になる。


狩りは見出しで始まる。

だが、強くするか、止めるかは、こういう机の下で決まる。


部屋の中には、文官が二人いた。


一人は数を読む役。

もう一人は、札へ落ちた紙を拾って束にする役。


「北門、通報十七。騒ぎ四。再掲」

「広場、通報三十一。騒ぎ十二。再掲」

「南東、通報六。騒ぎ一。据置」


数字だけを読んでいるのに、

どこで明日の紙が強くなるかが、声で分かる。


リオが視線だけで左を示した。


壁際に、もう一つ机がある。

札がない。箱だけある。


箱の蓋には、何も書いていない。


ああいう無記名の箱は、だいたい“表に出さないもの”が入る。


俺は口を動かさずに聞いた。


「見えるか」


リオは、わずかに首を傾ける。


「角度が足りません。もう半歩」


半歩で足りるなら、半歩で取る。


俺は通路の影から、台車置き場へ回るふりで動いた。

木箱を一つ持ち上げ、場所を変える。

ただの手伝いに見える動きだ。


そのまま箱の陰から、部屋の奥を見る。


無記名の箱に、戻り片とは違う紙が入っていた。


幅が少し広い。

紙質も違う。

そして、角に赤ではない、黒い点が打ってある。


黒点。


以前見た門の印と同じ形。

役所の正規の印でも、現場の殴り書きでもない。

“別の流れに回す”ときの印だ。


文官の片方が、その紙を一枚だけ取り上げた。


読み上げない。

数も言わない。


黙って、無記名箱の横に置いた帳面へ何かを書く。


「……あれは戻り片じゃない」


俺が言うと、リオが答える。


「戻りの中から抜いた分です」


「何の基準で」


「昼のうちに決めた見出しに合わない反応、か。

 逆に、合いすぎる反応、か」


リオの言い方は曖昧だ。

曖昧にしか言えない場所だからだ。


だが意味は通る。


都合の悪い反応は、集計から外す。

都合のいい反応は、別箱へ回す。

そうやって“民意”を作る。


この国は、紙で嘘をつくだけじゃない。

紙に戻ってきた声まで、形を変える。


文官がまた読み上げた。


「広場、通報三十八。騒ぎ十五。再掲」

「北門、据置」

「港、止」


港。


俺はそこで目を止めた。


昼の動きでは、港は“止め”にしていた。

それ自体は不自然じゃない。

だが、いま引かれた紙には、黒点が打ってある。


止めるだけの紙に、黒点は要らない。


「リオ」


「見えてます」


答えが速い。


「港止めの紙、黒点です。

 通常の集計じゃありません」


「誰に回す」


リオは一拍だけ黙った。


「……宰相府の確認机か、その前の内線です」


確認。


あの題そのままの仕事が、ここで生きている。


確認は、確かめるために来るんじゃない。

書き換えるために来る。


俺は箱を元の位置へ戻した。

音を立てない高さで置く。


部屋の中の文官がこちらを見た。


「何してる」


面倒そうな声だ。警戒ではない。

まだ入れる。


俺は箱を指して言う。


「下の紐、ほどけてた。台車が引っかける」


文官は机の脚を見て、舌打ちした。


「触るな。そこは集計だ」


正解だ。


触るなと言われた場所ほど、順番の中心に近い。


俺は頭を下げ、すぐに下がった。

やり合う場面じゃない。


廊下へ戻ると、リオが小さく息を吐いた。


「いまので充分です」


「いや、もう一ついる」


「何を」


俺は奥の無記名箱を思い出しながら答えた。


「黒点の紙が、どこから来たかじゃない。

 誰の名を避けるために抜かれたかだ」


リオの目がわずかに動く。


「……セレナさんの線ですか」


“さん”をつけた。


こういうときのリオは、わざと距離を置く。

名前に手を伸ばしすぎないためだ。


俺は頷く。


「行き先を消した手は、一回で終わらない。

 消したあとも、戻ってくる声を見てる」


「反応を測ってる」


「そうだ。

 どこまで消しても騒ぎにならないか。

 どの見出しなら、別の名に移せるか」


リオは壁に背を預け、短く言った。


「なら次は、無記名箱の移し先です」


「今夜か」


「今夜です。朝になると、帳面だけ残ります」


俺は通路の奥を見た。

灯りの線が床に落ちている。


上で決める机。

配る机。

戻りを数える机。

抜いて回す箱。


紙の狩りは輪で回る。

その輪は、机の上だけじゃない。

机の下で、さらに細く分かれている。


そこに手を入れれば、

セレナの行き先そのものはまだ掴めなくても、

“誰が消し続けているか”には触れられる。


遠くで鐘が一つ鳴った。


遅い時刻を知らせる音だ。

働く側には、区切りの音。

追う側には、始まりの音。


俺は壁から背を離した。


「行くぞ」


リオが頷く。


「無記名箱、誰が運ぶかを見ます」


歩き出したところで、部屋の中からまた数字を読む声が聞こえた。


通報件数。

騒ぎの数。

再掲の要否。


人の口から出たはずの声が、

数字になって戻ってくる。


数字になった瞬間、

誰が最初に何を見たかは、もう消える。


だから先に見た。


今夜は、それだけで価値がある。


そして次は――

あの箱を持つ手を見る。

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