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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
手続きが正義を作る

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47.戻り片が集まる机



夜の役所は、昼より静かで、昼より忙しい。


人の声は落ちる。

そのかわり、紙の音が増える。


めくる音。

重ねる音。

束を机へ置く音。

赤鉛筆が短く走る音。


俺とリオは、昼に通った裏手の搬入口からもう一度入った。


昼より人が少ないぶん、目立てば終わる。

だから歩幅を合わせる。急がない。止まりすぎない。


「戻りは上か」


俺が小さく聞く。


リオも前を見たまま答える。


「上です。見出しを決める机のさらに奥。昼の“配り”と、夜の“戻り”は分けます」


「理由は」


「混ぜると、数が合わなくなるからです」


実務の答えだ。

こういう答えは嘘じゃない。だから使われる。


階段を上がると、空気が少し乾いた。

下の刷り場の熱と油の匂いが薄くなり、代わりにインクと紙埃の匂いが立つ。


廊下の角で、リオが足を止める。


「ここから先、机が三つ並びます」


「三つ」


「左が配り先の控え。真ん中が広場札の文言。右が戻り片の集計です」


俺は頷いた。


「右だけ見ればいいわけじゃないな」


リオがほんの少しだけ口元を緩める。


「はい。右の数字は、左と真ん中で作られます」


紙の狩りは、街で始まるんじゃない。

机の順番で始まる。


角の向こうを覗くと、まだ灯りが点いていた。


長机が三つ。

言った通りだ。


左の机には、配り先ごとの控え片が束で並んでいる。

昼に見た刻みのある紙と同じ形だ。


真ん中には、広場札の下書き。

赤鉛筆の消し跡が多い。文言を強くしたり、弱くしたりした跡だ。


右の机には、小さな紙片が広げられていた。

大きさが揃っていない。

現場から戻ってきた紙だ。


通報六件。

再掲一回。

騒ぎ拡大。

見物多し。

鎮静済み。


短い言葉ばかりが、机の上を埋めている。


「……あれか」


俺が言うと、リオが小さく頷いた。


「戻り片です」


右の机には二人いた。


片方は昼に見た若い文官。

もう一人は年嵩の男で、字を書く手が速い。

読むより先に欄を決める手つきだ。


年嵩の男が、戻り片を一枚つまみ上げた。


「三一七、北門先行、広場即時……通報が先に伸びたな」


若い文官が答える。


「はい。広場の差替え、効いてます」


効いてます。


その言い方に、俺は目を細めた。

事故の話じゃない。人の動きの話だ。

人の恐れが、予定どおり動いたかどうかの確認だ。


年嵩の男が右机の端にあった板を引き寄せる。

薄い木板に紙を貼った集計表だ。


列がある。


配り先。

文言。

通報数。

再掲。

次回。


次回。


俺はその欄で目が止まった。


「……次回まであるのか」


リオも見たらしい。声をさらに落とす。


「一度の紙で終わらせてない」


年嵩の男が赤鉛筆で欄を埋める。


三一七/北門→広場/外部混入の疑い/通報六/再掲要/次回:市場口(朝)


市場口。


俺の胸の奥が冷えた。


市場は人が集まる。

声が広がる。

朝の最初の空気に混ぜるには、いちばん都合がいい。


若い文官が別の戻り片を出す。


「こっちは弱いです。南東、昼便。通報一、見物のみ」


年嵩の男は迷わない。


「文言が弱い。“確認中”を切れ。次は“目撃情報あり”で組む」


「証拠は」


若い文官が聞く。

年嵩の男は顔も上げない。


「戻りが弱いのが証拠だ。強くする理由になる」


俺は息を止めた。


これだ。


証拠があるから強くするんじゃない。

反応が弱いから、次の紙を強くする。


狩りの設計図だ。


リオが袖の中で指を一度だけ動かした。

止めるための合図じゃない。覚えるための動きだ。

俺も視線だけで机を追う。


左の控え。

真ん中の文言。

右の戻り。

そして「次回」。


輪じゃない。

工程だ。

人の怒りを、順番に加工している。


そのとき、廊下の奥で足音がした。


兵ではない。

靴底が軽い。運び役だ。


若い男が右の机へ来て、頭を下げる。


「広場、二枚追加でください。人が残ってます」


年嵩の男が顔をしかめる。


「遅い。もう寝る時間だろ」


若い男は困った顔を作る。


「寝る前にもう一回見に来る連中がいます。さっきの文だと弱いって」


“弱い”。


民がそう言ったのか。

それとも、言わせたのか。


年嵩の男は舌打ちして、真ん中の机の紙を引き寄せた。


「じゃあ一段だけ上げる。『目撃情報あり』。断定はまだ書くな」


若い文官が赤鉛筆で書き換える。


目の前で、明日の広場札が強くなった。


リオが俺にだけ聞こえる声で言う。


「三一七の戻りで、次の札が変わった」


「見えたな」


「はい」


俺は机の脚を見る。


昼に結んだ紐の印は——残っていた。


差し替えは、まだしていない。

少なくとも、あの机自体は昼のままだ。


つまり、いま上がっている戻り片は本物の流れに近い。

ここで見た順番は使える。


若い運び役が追加の札を受け取り、去る。

年嵩の男は次の戻り片へ手を伸ばした。


「次。港止め」


港。


俺とリオの視線が一度だけ合う。


昼に“港止め”の文言は出ていた。三一七とは別線だ。

もしここで港の戻りが強く扱われるなら、港側の誰かが狙われる。


年嵩の男が読み上げる。


「通報二。騒ぎ一。現場確認なし……弱いな」


若い文官が言う。


「港は顔見知りが多いです。紙が走っても、すぐには裂けません」


年嵩の男は赤鉛筆を置いた。


「なら名を混ぜろ」


若い文官の手が止まる。


「名、ですか」


「通り名でも役名でもいい。顔が浮かぶ言葉を一つ入れろ。人は“こと”より“誰か”で動く」


俺の背中に冷たい汗が落ちた。


名を混ぜる。


それがここで決まるのか。


事故でも、証拠でもなく。

どの名を紙に乗せるかで、街の矛先を決める。


リオの声が、かすかに硬くなる。


「……見ました」


「ああ」


「港を先に触ると、ミラさんの線に近い」


俺は短く答えた。


「今日は触らない」


リオが一瞬だけ俺を見る。


「追わないんですか」


「追う。だがここで動くな」


年嵩の男はまだ机に向かっている。

若い文官は字を直している。

いま一枚抜けば、明日の紙に“盗み”が載る。


それは向こうの望みだ。


俺は視線を戻り片から外し、机の並び全体を見た。


左で配り先を決める。

真ん中で言葉を調整する。

右で反応を数える。

次回の欄で、次の狩り先を選ぶ。


そして必要なら、名を混ぜる。


「……人を裂く手順書だな」


口に出た言葉は小さかった。

だがリオには届いた。


リオが息を吐く。


「はい。しかも、誰か一人の悪意に見えない形で回してます」


それが厄介だ。

机にいる連中は、たぶん全員、自分の仕事をしているつもりでいる。


年嵩の男がまた怒鳴る。


「遅い! 戻りは先に時刻で分けろ! 混ぜるな!」


若い文官が慌てて紙を並べ替える。

右机の端に、時刻印の小さな木片が置かれているのが見えた。


押印。

時刻。

戻りの順番。


俺はその木片の形を目に刻む。

丸ではない。角が欠けた四角だ。


リオも気づいたらしい。


「戻り片に印がある」


「配りだけじゃないってことだ」


「はい。戻りの改竄にも使えます」


そこまで聞いたところで、廊下の反対側から低い声が飛んだ。


「誰だ、そこ」


巡回だ。


俺たちは同時に壁へ半身を寄せる。

逃げる足音は出さない。

ただ、見えない角度へ一歩だけずらす。


灯りが揺れた。

靴音が近づく。


リオが先に口を開いた。現場の下っ端の声色だ。


「紙運びです。三階へ回せって言われて——」


巡回の男が苛立った声を返す。


「今じゃない。上は締める。下へ行け」


「はい」


リオがすぐに頭を下げる。

俺も顔を上げないまま、荷を持つふりで手を添える。


巡回の靴音が離れた。


まだ追ってこない。


俺は小さく言う。


「十分だ。下がる」


リオが頷く。


「集計机、見えました。次回欄も」


「港の“名を混ぜろ”もな」


リオの返事が一拍遅れる。


「……はい」


廊下を戻る途中、俺は振り返らなかった。


振り返れば、机をもう一度見たくなる。

見れば、手を出したくなる。


だが今夜は違う。

今夜取るのは紙じゃない。手順だ。


階段を下りる。

刷り場の音が戻ってくる。

熱と油の匂いが喉に貼りつく。


下の暗がりで、俺は足を止めた。


「リオ」


「はい」


「明日の朝、市場口の札を見る」


リオがすぐ答える。


「三一七の次回欄の確認ですね」


「それだけじゃない」


俺は壁に背をつけ、低く言った。


「“名を混ぜる”前に、港側を先に静かに押さえる」


リオの目が上がる。


「ミラさんへ」


「ああ。騒ぎにするな。先に知らせる」


リオは短く頷いた。


「なら、港に行く前に一人だけ当たります。夜番の帳簿係です。あの人は数をごまかすのを嫌います」


「名前は」


リオは首を振る。


「ここでは言いません」


その答えでいい。


名は、口にした場所のものになる。

この建物の中で名を言えば、紙に近づきすぎる。


俺は歩き出した。


「外で聞く」


「はい」


搬入口の扉を抜けると、夜気が冷たかった。


町は静かに見える。

だが静かな町ほど、朝の紙がよく効く。


遠くで鐘がひとつ鳴る。


俺はその音を聞きながら、右手の指で掌を軽く押した。

昼の紐、机の脚、右机の欄、時刻印の木片。


持ってきたのは紙一枚じゃない。

それでも、今夜は前に進んだ。


どこで強くし、

どこで名を混ぜ、

どこで次を決めるか。


狩りの手順が見えたなら、

止め方も、同じ順番で考えられる。

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