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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
北線の削除

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154/157

154.閉まる前に

下扉の継ぎ目が、石を擦りながら横へずれた。


遅くない。

だが、全開でもない。

人ひとりが身を滑らせれば入れる。

躊躇えば終わる幅だった。


黒い外套の男は、鉄輪を引いたままアークを見ている。


「答えろ」

「誰の手だ」


白手袋の女が立ち上がる。

椅子が倒れた。

鎖輪の男も第三台の前で振り向く。


三人とも、今起きていることの意味は同じだった。

第七の線に、知らない手が入った。


アークは答えない。


代わりに、右手の白木の手環を石室の床へ投げた。

《エレナ》

《北四》


白い輪が灯りの下で跳ねる。


白手袋の女の目が、反射でそちらへ落ちた。

黒外套の男も一瞬だけ視線を切る。


それで足りた。


アークは机を蹴った。

白札の束が舞う。

布帯が飛ぶ。

油灯が傾き、床へ光の筋が走る。


「――っ!」


白手袋の女が声を上げた瞬間、アークはその脇を抜けた。

真正面じゃない。

閉まりかけた下扉へ、斜めに飛び込む。


黒外套の男が止めに入る。

腕を伸ばす。

アークの肩布を掴んだ。


強い。


ただの帳場役じゃない。

掴み方に、現場の手がある。


アークは掴まれたまま、肘を後ろへ叩き込んだ。

男の肋へ入る。

鈍い音。

だが離れない。


「通すな!」


男の怒声で、鎖輪の男が反射で右の輪を逆に回した。

下扉の閉まる速さが少しだけ増す。


間に合わない。


アークは床へ落ちた《エレナ》の手環を左手で拾い、そのまま黒外套の男の口元へ叩きつけた。


木環は軽い。

だが、顔へ飛べば十分だ。


男の目が閉じる。

その一瞬で、掴む力が緩んだ。


アークは肩布を裂かれるようにして前へ滑り込む。


石の縁が腕を擦る。

肘が削れる。

背中側で、下扉の端が服を噛んだ。


それでも、入った。


次の瞬間、背後で石が噛み合う重い音がして、下扉が閉まった。


暗い。


いや、真っ暗じゃない。

前方の低い通路の先に、青白い灯りが一つだけ揺れている。


アークはすぐ立たない。

閉じた扉へ半歩寄り、耳を当てる。


向こうで声が重なっていた。


「追うな!」

「下へ触るな!」

「右線を先に動かせ!」


右線。


その言葉だけを頭へ刻んで、アークは前を向いた。


通路は狭い。

人が横にすれ違えない幅だ。

壁は湿っている。

足元には鉄の細い溝が一本、まっすぐ伸びていた。


箱を滑らせるための溝だ。


ここは通路じゃない。

人を歩かせるついでに、箱を流す道だ。


アークは走る。

灯りは低い位置にある。

井門の下だからだろう。

天井も低く、息が石へ跳ね返る。


角をひとつ曲がると、壁へ小さな札差しがあった。

白札が二枚、半分だけ見えている。


《北四》

《静養》


同じ字だ。


東井門下の白手袋の女が書いた帳片だけじゃない。

この先の壁にも、もう北四の札が差してある。


本当に通す線だ。


アークは札を抜かない。

今抜けば、あとで向こうが気づく。

代わりに位置だけを見る。

右の角。

二つ目の灯りの下。

覚えれば足りる。


その先で、鉄の低いきしみが鳴った。


誰かがいる。


アークは足を殺す。

前方の通路が少しだけ広がり、石の台が左右へ分かれていた。

左に空箱が二つ。

右に布を被せた細長い箱が一つ。


その箱の脇に、男が一人しゃがんでいた。

青布の腕章。

南三でも第三台でも見ていない色だ。


青布便。


152話で出た名が、ようやく現物になった。


男は箱の差し込み口へ細札を入れている。

口元で数字を数えていた。


「七……」

「割り込み、確認」


割り込み。

やはり第七のことだ。


アークは石台の陰から見た。

箱は閉まっている。

白布じゃない。

今度は青布が半分だけ掛かっている。

帳面箱に見せるための色だ。


男が次の札を取り出す。


《北四静養 受入前》

《夜内》


その二行が、灯りで白く浮いた。


もう北四の受け手の直前だ。


アークの喉が熱くなる。

ここまで来ている。

今、箱を取れれば線ごと掴める。


だが、まだ一人いる。


青布腕章の男の向こう、半開きの木戸の内側から、女の声がした。


「第七、まだ?」


近い。

しかも落ち着いている。

待っている側の声だ。


男が返す。


「今、受入前を差す」

「北四の札はもう回ってる」


北四の札はもう回ってる。


つまり、上で箱を取り逃しても、下の北四では“来る前提”で部屋が開いている。


アークは木戸を見る。

戸の下から、白い灯りが漏れている。

部屋だ。

しかも静養房のような見せ方をするためか、薬草の匂いまで混ぜてある。


作りが徹底していた。


そのとき、青布腕章の男が箱の掛け金へ手をかけた。


開けるのか。

いや、違う。


男は掛け金を確かめるだけで、蓋は開けない。

そのまま、箱の脇にある細い木片を引いた。


すると箱の内側から、かすかに鈴が鳴る。


一度。

短く。


中へ合図を送った。


アークの背筋が冷える。


生きている。

そして、中にいる相手へ「もう着く」と知らせている。


木戸の内側の女が言う。


「返事は?」


青布腕章の男が耳を寄せる。


箱の中から、ほんの小さく、何かが鳴った。

鈴ではない。

木の内側を、指か爪で叩いたような音。


二度。


男が頷く。


「起きてる」

「でも、まだ声は立たない」


その瞬間、アークの中で何かが固まる。


箱の中は、荷じゃない。

ただの人でもない。

ちゃんと意味を持って、返事をしている。


アークは石台の陰から一歩だけ出た。

距離を測る。

青布腕章の男まで三歩。

箱まで四歩。

木戸までは六歩。


取れる。


だが、次の瞬間、

閉じたはずの後ろの通路から、低い金属音が響いた。


かちゃん。


アークは振り返らない。

振り返らなくても分かる。


別の下扉が開いた。


右線だ。


さっき向こうで聞いた言葉が、今ここへ追いついた。


青布腕章の男も音に気づき、顔を上げる。


「……何だ?」


木戸の内側の女が聞く。


「来たの?」


違う。

本来の相手じゃない。


アークはもう隠れられないと判断した。


青布腕章の男へ一気に踏み込む。


男が札を離す。

遅い。


アークはその手首を掴み、箱の角へ叩きつけた。

骨が鳴る。

男の口が開く。

声が出る前に、アークは肩で胸を押し切る。


箱が揺れる。

内側で、短く二度、叩く音が返る。


木戸の内側の女が悲鳴を呑んだ。


「だれ――」


その声を切ったのは、右線から現れた足音だった。


速い。

迷わない。

しかも一人じゃない。


アークは青布腕章の男の胸元から細札を抜く。

《北四静養 受入前》《夜内》


次に箱の掛け金へ手を伸ばす。


あと一つ外せば、開く。


だが、その瞬間。


右線の角から現れた黒外套の男が、冷えた声で言った。


「蓋に触れたら、その中身ごと落とす」

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