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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
北線の削除

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152/157

152.半札の相手

重い車輪の音は、細車のそれとは違った。


石を押すたびに、軸の奥で鈍く鳴る。

人ひとりを寝かせて運ぶだけの軽さじゃない。

木枠ごと、何かを隠して運ぶ重さだった。


アークは扉の脇に立った。

右手には、さっき奪った半札。

《東井門 受——》


切り口は荒い。

だが、相手側の札と合わされば、それで道が開く。


女官は灰の上着を羽織っていた。

さっき押さえた女のものだ。

灯りを落とした廊下なら、胸の札までは見分けにくい。

声さえ短く済ませれば足りる。


宰相は扉の内側。

女王はさらに奥。

捕らえた男女は布を噛ませ、寝台の陰へ伏せられている。


今から来るのは、本車だ。


女王の声が低く落ちる。


「アーク」

「あなたが受けます」


「はい」


「合わせたあと、相手に先を言わせなさい」

「こちらから聞きにいくのではありません」


アークは頷いた。


向こうの段取りで喋らせる。

それがいちばん早い。


車輪が扉の前で止まる。


今度は合言葉も短い。


「第七、受ける」


男の声だった。

低い。

前触れの二人より、ずっと迷いがない。


アークは扉の隙間へ半札を出した。


「受」


それだけ言う。


向こうで一拍。

次に、木片が差し込まれる。

もう半分の札だ。


《——渡》


切り口が合う。


木が触れた瞬間、

扉の向こうの男が安心したのが分かった。


「遅い」

「半鐘を跨ぐなと言ったはずだ」


アークは札を引いたまま返す。


「中が静かすぎた」

「念を見た」


短く。

余計なことは言わない。


向こうの男はそれで通した。


「いい」

「今夜は下が急いでいる」


下。


アークの目だけが細くなる。


扉が少し開く。

先に見えたのは車だった。


細車より幅がある。

両脇に板が立ち、上から白布を掛けてある。

一見すると、帳面箱か荷札箱を運ぶ台車に見える。

だが違う。


車の中央に、細い空気穴が三つ並んでいた。


人を入れる箱だ。


押してきた男は二人。

ひとりは札役。

もうひとりは車を押す手だ。

札役は黒い手袋をしている。

車役のほうは袖が短く、前腕に擦り傷が多い。

どちらも夜番の札はつけていない。


札役が半札を受け取りながら言う。


「前触れは」


女官が灰の上着の陰から低く返す。


「中で見てる」

「半服は入る」


声を変えていた。

乾いた声だ。

長くは持たない。

だが一言なら十分だった。


札役は頷く。


「なら早い」

「二つ目の前に、箱だけ替える」


箱だけ。


アークはその言葉を逃さない。


「本人は」


札役は、受け手に説明する口調で答えた。


「下だ」

「南三は顔を消す部屋だろ」

「ここからは箱へ変えるだけだ」


その一言で繋がった。


南三は終点じゃない。

顔と名を切るための中継だ。

そこから先は、人としてではなく、箱として動かす。


アークは半歩下がって扉を広げる。

本車がゆっくり入る。


車輪が石を噛む音。

重い箱が灯りの下を通る。


箱の脇には、細い差し込み口があった。

そこへ札を入れるのだろう。

中を確かめるためじゃない。

箱と行先だけを繋ぐための口だ。


車役の男がぼそりと言う。


「第七は軽いのか」


札役が答える。


「知らん」

「こっちは数で受けるだけだ」


数。

また顔じゃない。


アークは箱の角へ目をやる。

白布の下、木箱の縁に、薄い墨の擦れが並んでいた。



そして、その下にだけ新しく、



七つ目の印だった。


前の六つが、ここを通っている。


アークの胸の奥が冷える。

だが顔は動かさない。


女王が奥で一歩も動かずに立っているのが分かる。

宰相の気配も硬い。

今、切れば取れる。

だが、まだ先を吐かせられる。


アークは箱の差し込み口を顎で示した。


「行先札は」


札役が懐から細札を出す。


「これから入れる」

「東井門で合わせる前に、下札を差す」


下札。


アークは手を出した。


「見せろ」


札役は怪しまない。

半札を合わせた受け手なのだから当然だと思ったのだろう。

細札を渡してくる。


アークは灯りの下で読む。


《東井門下 荷降》

《第三台》


東井門そのものじゃない。

その下だ。


井門の下に、荷降ろし台がある。

しかも第三台。

一つじゃない。


女官の呼吸が一瞬だけ止まる。

だが声は出さない。


札役が先を急がせる。


「差せ」

「二つ目が鳴る前に、下扉の番が変わる」


下扉。


また一つ、具体になった。


アークは細札を差し込み口へ入れるふりをした。

その瞬間、箱の内側から、ごくかすかな音がした。


こつ。


木に、内側から何かが当たった音だ。


車役がすぐ白布の上から拳を置く。

黙らせる手つきだった。


「まだ起きてるじゃないか」


札役が舌打ちする。


「半服だけじゃ浅い」

「下で口布を二重にしろ」


アークの喉が一度だけ動く。


中は空じゃない。


だが、ここで箱を開ければ終わる。

この場の一人は取れても、下の線は切れる。

アークはそれを飲み込んだ。


代わりに言う。


「先に札を」

「箱が騒ぐと角で見える」


札役はそれも正しいと思ったらしい。

顎を引いた。


「分かってる」

「だから下へ落とす」


その言い方に、アークの目が止まる。


運ぶ、じゃない。

落とす。


東井門の下は、ただの台じゃない。

高低差がある。


宰相が扉の陰でわずかに息を呑む。

女王だけが動かない。


札役がさらに続ける。


「第三台が空いてなければ、第二へ回せ」

「今夜は青布の便が先に通る」


青布。


アークの脳裏に、別の帳場が一瞬で繋がる。

青布の簿冊。

青だけ残す、と言ったあの流れ。

別の場所で見えていた手順が、今夜ここへ結びついた。


この国は、同じ箱で人も紙も運んでいる。


アークは細札を握ったまま、低く返す。


「青布が先なら、うちは後ろだな」


「いや」


札役が首を振る。


「第七は割り込みだ」

「上から落ちてきた」

「だから、今夜だけは青布の前を切る」


上から落ちてきた。


誰かが、急に順番を変えた。

しかも現場判断じゃない。

上の線だ。


女王の気配が、その一言で鋭くなる。


アークはもう足りたと判断した。


細札を箱へ差し込むふりのまま、

逆の手で札役の手首を掴む。


強く、捻る。


骨の鳴る音がした。


同時に宰相が扉の陰から飛び出し、車役の喉元へ肘を打ち込む。

男の体が箱へぶつかる。

白布がずれる。


箱の横板が見えた。

外から掛け金。

内側には届かない位置だ。


札役が叫ぼうとした。

だが遅い。


「声を出すな」


アークが低く言って、そのまま額を扉の柱へ叩きつける。

男の膝が落ちる。


車役はなおも箱を引こうとした。

女官が灰の上着の裾から短針を抜き、その手の甲へ突き立てる。

男が取り落とす。

宰相が肩を押し切り、床へ伏せさせた。


部屋の中の空気が一気に動く。


白布が半分落ちる。

箱の蓋の端に、別の小札が貼ってあった。


《第七》

《声禁》


その二行を見た瞬間、

アークの奥歯がきしんだ。


女王が前へ出る。


「箱を開けるのはまだです」


アークが振り返る。


「陛下」


「ここで開ければ、下が散ります」

「今は道を取りなさい」


それは正しかった。

正しいから、重い。


女王は床に落ちたもう一枚の木札を拾う。

さっきの細札より小さい。

裏返す。


《下扉 第二鈎》

《起こし番 右》


宰相がその字を見て顔色を変える。


「第二鈎……」


「何です」


女王が問う。


「東井門下の荷降ろし台へ降ろす鎖輪です」

「右を起こせば、第三台へ降りる」


箱を人の手で運ぶんじゃない。

鎖輪で下へ降ろす。


アークは箱を見た。

内側から、もう音はしない。

だが、さっき確かに叩いた。


いる。


そして今、ここで手を止めれば、

また“第七”に戻される。


女王がアークへ木札を渡す。


「行きなさい」


「箱は」


「宰相と私で押さえます」


宰相がすぐ頷く。


「下で動く手は、今しか取れない」


アークは木札を握った。

《東井門下 荷降》《第三台》

《下扉 第二鈎》《起こし番 右》


行先も、開け方も揃った。


そのときだった。


南棟の床のさらに下。

石の奥から、低い鉄のうなりが響いた。


遠くない。


下で、

もう第二鈎が起こされている。

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