表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
北線の削除

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

151/157

151.1つ目の車輪

扉の隙間から差す廊下の灯りが、寝台の白布を細く照らしていた。


女官は足音が近づくより先に、寝台へ手を入れていた。

枕を二つ重ね、掛布を折り、肩のふくらみだけを作る。

人の形に見える最低限の影だ。


それで十分だった。


この部屋を見に来る者は、最初から顔を確かめない。

確かめなくて済む手順で来る。


アークは寝台の横へ身を沈めた。

宰相は扉の陰。

女王は壁際の暗がりに立つ。

女官だけが小机の脇へ灯りを低く置いた。


車輪の音が近づく。


小さい。

荷車の大きな輪じゃない。

狭い廊下を通すための、細い二輪だ。


止まる。


扉の向こうで、女の声がした。


「南三、夜預」


すぐあとに、男の声。


「第七、暁前搬出」


短いやり取りだった。

合言葉みたいに、意味だけを置いていく言い方だった。


扉が少し押される。

長鍵は抜いていない。

だから、外から見れば使い手がまだ来ていない半開きの戸に見える。


女の声がもう一度した。


「灯りがある」

「まだ寝ているなら、都合がいい」


男が低く返す。


「眠り札は持ってる」

「今夜は顔を見るなと言われてる」


顔を見るな。


その一言で足りた。


死者を運ぶ手順じゃない。

生きた人間を、名と顔を切り離して運ぶ手順だ。


扉がさらに開く。

細い車が先に入ってきた。


白布を掛けた細長い車だ。

寝かせたまま一人を運べる幅。

揺れを殺すためか、木枠の内側に布が巻いてある。

取っ手の下には、短い革帯が二本。

さらに、口元を押さえるための幅広い白布まで見えた。


アークの目が冷える。


女が入ってきた。

三十代半ば。

灰色の上着に、南棟夜番の細い札をつけている。

だが足元は夜番の歩き方じゃない。

慣れている。

何度も、こういう部屋へ来た足だった。


男は無口だった。

荷を押す腕だけが太い。

視線を上げない。

上げないまま、寝台の影へ一度だけ目をやる。


「まだ起きてないね」


女が小さく笑う。

笑い方が軽い。

怖がっていない。

いつもの仕事の顔だ。


「よし。札を合わせる」

「別照を出して」


男が袖の内から細い蝋引き袋を出す。

袋の口には黒糸が巻いてある。


アークはまだ動かない。


女が寝台へ近づく。

ふくらみを一瞥する。

それだけで、本物だと思ったらしい。

顔も、手首も、見ない。


袋へ手を伸ばす。


「死亡側はもう閉じてる」

「こっちは生体別照だけでいい」


その瞬間だった。


「その通りに」


暗がりから、女王の声が落ちた。


「誰を運ぶつもりでしたか」


女の肩が跳ねる。


男が反射で車を引こうとした。

だが遅い。


アークは寝台の横から立ち上がり、そのまま細車の取っ手を蹴った。

車輪が石床で鳴る。

白布の車体が横へずれ、扉の開き口を塞ぐ。


男が体当たりで抜けようとする。

宰相が扉の陰から出て、肩を正面からぶつけた。

鈍い音がした。

男の背が壁へ叩きつく。


女は蝋引き袋を灯りへ投げ込もうとした。

アークが手首を掴む。

細い。

だが爪だけは強い。

袋を離さない。


「離せ!」


「そっちだ」


アークは短く言って、女の手首を壁へ押しつけた。

指が緩む。

その一瞬で女官が袋を奪った。


女王の声がすぐ飛ぶ。


「燃やすな」

「開けなさい」


女官が黒糸を切る。

中から折った札が三枚落ちた。


一枚目。

《生体別照 第七》


二枚目。

《眠り札 半服》


三枚目。


《本車確認後 半鐘二つ》


部屋の空気が変わる。


女が顔色を失う。

今落ちた三枚のうち、いちばん重いのが三枚目だったらしい。


アークが聞く。


「本車?」


女は口を閉ざす。


男は壁に押さえ込まれたまま、歯を食いしばっていた。

だが宰相の手が首元の上着を締めると、息が詰まる。


「答えろ」


宰相の声は高くない。

それでも、部屋の中でいちばん逃げ場のない声だった。


男は目を逸らしたまま言う。


「……俺たちは前触れだ」


「何のための」


「部屋が空いてるか」

「札が残ってるか」

「起きて騒ぐ気配がないか」


女王がすぐ問う。


「では、本車は何をする」


今度は女が先に口を割った。

割らないと、自分たちだけが切られると分かった顔だった。


「受けるんです」

「こっちは準備だけ」

「本車が来たら、眠り札を飲ませて、布で口を押さえて、そのまま車を替える」


アークの目が三枚目の札へ戻る。


《本車確認後 半鐘二つ》


二つ目の半鐘。

つまり、今はまだ一つ目だ。


女官がさらに袋の底を探る。

指先に何か触れたらしい。

細い木片を引き抜く。


札の半分だった。

切り口がぎざぎざになっている。


表にはこうある。


《東井門 受——》


受渡の半分。

残り半分は、本車側が持つ形だ。


女王が言う。


「合わせ札」


宰相が頷く。


「前触れと本車で半分ずつ持つ」

「二つが合わなければ、門も受け手も動かない」


アークは女を見た。


「名は知らないんだな」


女は首を横に振る。


「知らされません」

「第七だけです」

「いつもそうです」


いつも。


その一語が石みたいに落ちた。


アークがもう一度聞く。


「“いつも”何人だ」


女は少しだけ迷った。

迷って、それでも答えた。


「……七まで見ました」


第七。

偶然じゃない。

積み上げだ。


女官の持つ《生体別照 第七》が、急に重く見える。


女王の声が低くなる。


「前の六人は」


「知りません」

「南三までです」

「そこから先は、別の手です」


「東井門の先は」


男が吐くように答えた。


「門の内です」

「外へは出ません」

「井門で車を替えるだけだ」


城の中で、死者にされた者を、さらに別の車へ積み替える。


紙の上でも。

扉の上でも。

一人を見えなくするための線が、二重に走っていた。


アークは拳を握った。

怒鳴らない。

だが、声だけがさらに低くなる。


「本車は何人だ」


「二人」

女が答える。

「押す手と、受け札の手」


「武器は」


「大きいのは持ちません」

「持てば目立つから」


宰相が男の袖を探る。

細い針が一本出てきた。

短い。

刺して眠らせるためのものだ。


「これで十分だな」


吐き捨てるような声だった。


そのとき、南棟の廊下の遠くで、金属の小さな音が鳴った。


半鐘だ。


一つ。

短く。

乾いた音。


部屋の中の全員が、その音へ耳を向ける。


女の唇が白くなる。


「……まだです」

「まだ一つ」


誰に言い聞かせる声でもなかった。

自分が知っている手順に、まだ追いつけると思いたい声だった。


アークはすぐ動く。


小机の上の半札を取る。

《東井門 受——》の木片。

次に《生体別照 第七》を懐へ入れる。


「女王陛下」


「分かっています」


女王の返答は速かった。


「この二人は分けて押さえる」

「半札はあなたが持ちなさい」

「本車には、あなたが受け手として立つのです」


女官が顔を上げる。


「御前、それは危険です」


「危険でなければ、ここまで来ていません」


女王は言い切った。


宰相が男の腕を後ろへねじる。

女官は女の口へ布を当てる。

声を上げさせないためじゃない。

歯で舌を切らせないためだ。


アークは扉のほうを向いた。


半鐘の余韻が、まだ石壁に残っている。


本車は二つ目の半鐘で来る。

だが、その前に――


今度はもっと近くで、

さっきより重い車輪の音が、南棟の角を曲がった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ