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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
北線の削除

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150/157

150.長鍵の先

南第三隔離房は、王城の南棟でもいちばん端にあった。


廊下は狭い。

灯りは少ない。

壁の石が夜気を溜めこんでいて、立っているだけで指先が冷える。


だが、今夜いちばん危ないのは寒さじゃない。

この扉の向こうが、もう片づけられていることだった。


女官が前を歩く。

その半歩後ろに宰相。

アークはさらに後ろへつく。

振り返らなくても、女王が来ている気配は分かった。

足音は重くない。

けれど、誰も先に進もうとはしない。


南三の扉は、他の戸より厚かった。

黒い木に鉄の帯が二本。

鍵穴はひとつだけだが、その周りに白い擦れ跡が円になっている。

何度も長鍵が差し込まれた跡だ。


女官が止まる。


「ここです」


宰相が袖の内から鍵を出した。

長い。

前控で聞いた通り、短鍵とは比べものにならない長さだ。

柄の先にだけ、小さな銀の印がある。


女王の声が後ろから届く。


「開けなさい」


宰相は黙って鍵を差し込んだ。

重い音がした。

一度では回らない。

押し込み、少し戻し、もう一度ゆっくり回す。


鉄の奥で、固いものが外れる音が二つ続いた。


アークは扉の下を見る。

隙間に埃は少ない。

長く閉ざされていた扉じゃない。


宰相が手を離す。


「開きます」


「先に触れるのはあなたです」


女王が言う。


149話で言われた通りだった。

アークではない。

宰相が最初に手をかける。


黒い扉がゆっくり開く。

中の空気が廊下へ流れた。


冷たくない。


そこに、アークの目が止まった。


死者を置く部屋なら、冷える。

けれど南三の中は違った。

薄く温い。

火を落としたあとの匂いが残っている。


部屋は広くない。

石床。

壁際に低い寝台が一つ。

小机。

水差し。

白布を掛けた桶。

それに、奥の壁へ打ちつけられた細い鉄環。


死者の部屋じゃない。

生きた人間を、声を立てさせず、すぐ動かせる形で置く部屋だ。


アークは一歩入った。

寝台の端へ触れる。

布は冷えている。

だが板の下に手を入れると、まだ微かにぬくもりが残っていた。


「……今夜だ」


声が低く出る。


宰相が聞く。


「分かるのか」


「死者に寝台の下の熱は要らない」


アークは答える。


「桶も水差しもある」

「布も替えがある」

「ここは置き場じゃない」


女官が白布を掛けた桶へ寄る。

布をそっと持ち上げる。


中には、折った布帯が三本入っていた。

白いが、端だけ少し灰色に汚れている。

縛るための布だ。

だが縄じゃない。

皮でもない。


女王が部屋の入口で言う。


「傷をつけないための留め具ですね」


宰相が答えない。

答えなくても、その沈黙で十分だった。


アークは寝台の脇を見る。

床に細い擦れ跡がある。

まっすぐじゃない。

爪先で床を探ったような、短い線がいくつも残っていた。


立ち上がろうとした跡だ。


しかも、床の左側に寄っている。

右ではない。


アークの視線が少し止まる。

それだけで決める気はない。

だが、ただ運ばれた物の跡じゃない。


小机の上には何もない。

何もないはずだった。

けれど灯りを寄せると、木の表面に丸い輪が二つ見える。


器の跡だ。

ひとつは水差し。

もうひとつは、浅い椀。


女官が言う。


「食べさせています」


「死者には要りません」


女王が返す。


部屋が静かになる。

静かだが、もう読みは戻らない。


アークは寝台の白布をめくった。

その下に、細い糸が一本落ちていた。


赤い。


派手な赤じゃない。

擦れて色の落ちた、くすんだ赤だ。

布の端を解いたときに残るような短い糸。


宰相が言う。


「それだけで決めるな」


「決めてない」


アークは即座に返した。


「だが、ここにいたのは“死体”じゃない」

「それで足りる」


女王が一歩だけ中へ入る。

扉の外から見ていたときより、声が近くなる。


「まだ続きがあります」

「探しなさい」


女官が小机の引き出しを開ける。

空だ。

次に寝台の下を見る。

何もない。


宰相は奥の壁へ向かった。

打ちつけられた鉄環の横に、細い木札が差し込まれているのを見つける。

壁と同じ色で、遠目には見えない。


抜く。


札というより、差し込み票だった。

半分に折られ、上だけに穴が開いている。


宰相が灯りへ寄せる。

女官も覗き込む。


アークは奪うようには取らない。

ただ、宰相の手元をそのまま読む。


上段。

《南三 夜預》


中段。

《保護名義 第七》


下段。

《暁前搬出》


その三行で十分だった。


女官の息が止まる。


「搬出……」


宰相の指が、最後の行で止まる。


「まだ終わっていない」

「ここで留めて、夜明け前に出す手順だ」


女王が問う。


「行先は」


宰相は票を裏返す。

裏に小さく、さらに一行ある。


《東井門 受渡》


アークの目が鋭くなる。


東井門。

正門じゃない。

荷も、人も、目立たせず通すための小さい門だ。


「城の外か」


アークが言う。


宰相は首を横に振る。


「まだ断定できない」

「東井門は内庭側にも抜ける」

「だが、少なくとも南三で終わりじゃない」


女官がすぐ扉の外へ振り返る。


「井門を封じますか」


「まだです」


女王が止めた。


「封じれば、向こうに気づかれる」

「今は受ける側ではなく、迎えに来る側を見ます」


アークは票を見たまま聞く。


「暁前はいつだ」


宰相が答える。


「この棟では、夜明けの一刻前です」

「鐘で言えば、あと一度」


まだ間に合う。

だが、止まってはいられない。


アークは部屋を見回す。

寝台。

桶。

布帯。

水差し。

差し込み票。


そこまで見て、ようやく奥の壁の低い位置に、小さな格子窓があるのに気づいた。

人が抜ける大きさじゃない。

受け渡し用でもない。

声を聞くための穴でもない。


その下に、細い木台が置かれている。


台の上には、白い粉が少しだけ落ちていた。


女官が指で触れる。


「眠り薬の溶き残りです」


宰相の顔がさらに硬くなる。


「騒がせずに運ぶつもりだったな」


アークは格子窓の縁へ指をかけた。

木の角に、薄く爪が当たった跡がある。

新しい。

しかも二本、強く。


ここにいた誰かは、最後まで起きていた。


女王が言う。


「南三は証拠になりました」

「では次です」


「東井門へ?」


女官が聞く。


「いいえ」


女王の返答は速い。


「ここを空に見せたまま、迎えの手を待ちます」


宰相が顔を上げる。


「御前、それは」


「票が残っているのです」

「つまり、まだ受け取りに来る者が、ここを“未回収”だと思っている」


アークはようやく女王の意図を掴む。


東井門へ先回りするより早い。

ここへ来る手を、そのまま掴む。


女王は続ける。


「灯りを半分落としなさい」

「扉は閉める」

「長鍵は抜かない」


女官がすぐ動く。

油皿の火を一つ落とす。

部屋が少し暗くなる。


宰相が黒い扉へ手をかける。

アークは寝台の横へ立った。

隠れるためじゃない。

扉が開いた瞬間、部屋の奥まで見える位置だ。


票は小机の上へ戻された。

布帯も、そのまま。

水差しも、そのまま。


何も触っていないように見せる。


扉が閉まる。

長鍵は差したまま。

完全には回さない。

外から見れば、まだ封じていないように見える角度で止める。


廊下の灯りが細く差す。


全員が息を潜めた、そのときだった。


遠くで、鐘が一つ鳴る。


夜明け前の合図だ。


その音が消えるより先に、

南棟の角から、小さな車輪の音が近づいてきた。

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