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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
北線の削除

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145/157

145.切替印



王城北棟の照会室で、アークは三つのものを机に並べていた。


一つ目は、死亡確認控。

薄い黄紙に、王城の確認印が二つ並んでいる。


二つ目は、銀の髪留め。

小さな花の細工が入った、本物だ。

曲がり方も、留め具の癖も、見間違えようがない。


三つ目は、北二番控室から上がってきた引渡し文書の写しだった。


《引渡し対象》

《南七区 遺児本人 一名》


その一行が、机の上で妙に白かった。


照会室は狭い。

窓は高く、外の空しか見えない。

壁際には青布と灰布の返却棚があり、真ん中に細長い机が一つ。

机の右端には、公爵家の印箱と赤い印泥、細い札切りが並んでいる。


アークは死亡確認控を見た。

次に、銀の髪留めを見る。


否定できない。


確認役の押印も、

遺品も、

紙の流れも、

全部そろっている。


セレナはもう死んだとしか、受け取れない。


その事実を喉へ押しこんだまま、アークは三つ目の紙へ目を戻した。


《移送先 北上層 第三保護室》


その下に、別紙の綴じ穴が二つ並んでいる。

何かを急いでつけて、急いで外した浅い穴だった。


机の前に立つ家の書記が言う。


「添付札が一枚、先に切られています」

「下で群衆に見られたあと、写しだけ上げた形です」


アークは紙の端を指で押さえた。


「何がついていた」


書記は革皿から小札を差し出した。

回収された写しの控えだ。


灰色の細札。


《旧公爵家関係遺児 保護移送候補》


そこまで書いてある。

下に、薄く引いた線が一本。

次の文字を書き足す前に、札だけ外した跡だった。


アークの目が止まる。


保護移送候補。


言葉だけなら柔らかい。

だが、北二番控室でやっていることを知っていれば、意味は逆だ。

前へ呼び、横へ並べ、上へ流す。

そのための言い方だった。


「ほかは」


書記はもう一枚、白い細札を出した。

手首札だ。

紐がまだ輪の形で残っている。


《南七区 遺児本人》


白い札は軽い。

なのに、人ひとりの行先を一気に狭くする重さがある。


書記が続ける。


「兵六名」

「通行止札二枚」

「副士長が直読みに入っています」


「階段は」


「北上層へ上がる石段を先に閉じています」


早い。


北二番控室で紙の形を作り、

白い手首札で名を切り、

第三保護室へ上げる。

そこまで、もう一本になっている。


アークは引渡し文書を開いた。

下端の余白に、小さな追記欄がある。


《確認方法》

《立会二名を以て即時》


さらに下。


《対象不安定時 保護移送に切替》


紙の上で、もう形ができていた。

リオを真ん中に座らせる。

左右に二人を置く。

その場で紙を作る。

そして、上へ切る。


照会室の外で、靴音が一つ止まった。

伝令だ。


書記が扉を少し開ける。

若い伝令が封筒を差し出した。

封の色は灰。

宛先は細い字でこう書いてある。


《北上層第三保護室前 一件》

《照会室返答 急》


アークは封を切る。


中には、白い紙が一枚だけ入っていた。

短い照会文だ。


《旧公爵家関係分につき、当主側見解の提出可否を問う》


当主側見解。


止めるための文言じゃない。

巻き込むための文言だ。


北二番控室の件を、

公爵家当主の口へつなぎ、

紙の上で家の問題へ戻すための穴だった。


書記が低く言う。


「返答を出せば、家の線に戻ります」

「出さなければ、あの子だけが上へ切られます」


アークは答えない。


机の左には死亡確認控。

右には銀の髪留め。

真ん中には、リオへ掛けるための白い手首札。


視線を落とす順番まで悪かった。


セレナはもういない。

その紙は動かない。


だが、リオはまだ動いている。

生きたまま、上の手続きへ切られようとしている。


アークは灰色の候補札をもう一度見た。


《旧公爵家関係遺児 保護移送候補》


その文の前にある「旧公爵家関係」が、目に刺さる。


昔の傷を、

今の手で、

新しい紙に変えている。


ここでリオが上へ切られれば、もう戻らない。

部屋に入れて、

左右へ立会人を置き、

「親を失った子」という過去まで、

その場で一つの役へ固定される。


そうなれば、下の廊下で何を見たかも、

誰が札を切ったかも、

全部一段下の話になる。


上に残るのは形だけだ。


アークは赤い印泥の蓋を開けた。

乾いていない。

今日は朝から何度も印が押されている。


書記が一歩だけ寄る。


「返答を出しますか」


アークは引渡し文書の写しを机の中央へ置いた。

その上に、灰色の候補札を重ねる。

さらに白い手首札をその横へ並べる。


三つの紙が、一つの流れになる。


リオを上へ上げる流れだ。


アークは細い札切りを取り、候補札の下へ滑らせた。

切るためではない。

紙の端をまっすぐ揃えるための動きだ。


それから、短い返答紙を一枚引いた。


《返答》


そこへ、迷わず書く。


《北上層第三保護室への引渡しを停止》

《旧公爵家関係分は、当主直答へ切替》


一度止める。

その下へ、さらに書く。


《引渡し対象》

《南七区 遺児本人 一名》

そこへ一本、横線を引く。


消し切らない。

読める形で消す。


その下に書く。


《公爵家当主 アーク・レインヴァルト 一名》


書記の息が止まる。

だが、口は挟まない。


アークは続けた。


《立会二名不要》

《北二番控室の聴取停止》

《旧公爵家関係分は、家印照会に一本化》


これで下の部屋は空く。

代わりに、家の線が太くなる。


止めるための紙ではない。

自分へ切り替える紙だ。


書き終えてから、アークは一瞬だけ銀の髪留めを見た。


セレナが死んだとしか受け取れない世界で、

まだ一人だけ、上へ切られようとしている。


なら、そちらは切らせない。


だが、真実のためでもない。

救いのためでもない。


自分へ寄せるためだ。


書記が低く言う。


「それを出せば、家が前へ出ます」

「下では、公爵家があの子を引き取ったと見えます」


「見せればいい」


アークは返した。


「三人を並べて紙にするな」

「切るなら、俺だけに切れ」


書記はもう何も言わない。

赤い印泥を寄せる。


アークは家印を取った。

重い印だ。

普段は荷路と配給の承認に使う。

人ひとりの行先へ押す印ではない。


だが今日は、人の行先に押す。


赤い印泥へ沈める。

紙へ下ろす。


鈍い音がした。


《公爵家当主直答》


印が乾く前に、アークは白い手首札を取った。

表にある《南七区 遺児本人》を見て、裏返す。


裏は白紙だ。


そこへ、短く書く。


《切替済》


それだけ書いて、返答紙に添える。


若い伝令が、両手で受け取った。

白い札も、灰色の候補札も、返答紙も、全部まとめて持つ。


「どこへ」


アークが聞く。


「北二番控室前です」


「副士長へ直接渡せ」

「読み上げるな。見せろ」


伝令は頭を下げ、走って出ていく。


扉が閉まる。


照会室に残ったのは、

死亡確認控、

銀の髪留め、

そして印泥の匂いだった。


書記が静かに言う。


「これで、あの子は上へ上がりません」


アークは答えない。


上がらない代わりに、

今度は自分が前へ出る。


北二番控室でつくるはずだった形を、

もっと大きい形へ変えるだけだ。


机の上の死亡確認控が、風もないのに少し鳴る。


セレナはもういない。

その事実は変わらない。


変わらないまま、

アークは次の紙を引いた。


宛先欄に、先に書く。


《宰相府 誓約庫前控》


その五文字が並んだところで、照会室の空気が変わった。

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