144.引渡しの細札
北二番控室の前へ来た兵は、六人だった。
重い靴。
揃った歩幅。
先頭の二人は槍ではなく、白い板札を持っている。
板札には、太い字でこう書いてあった。
《確認中 通行止》
兵は渡り廊下の両端へ散った。
一人が手すりに白縄を渡す。
もう一人が板札を縄へ掛ける。
戻すための動きじゃない。
ここを閉じる動きだった。
中年役人が、ほっとした顔をした。
「遅い」
兵の先頭にいた副士長が答える。
「引渡し文書の確認に手間取った」
副士長は革筒から細長い紙を抜いた。
折り目の多い紙だ。
片端に赤い小印が三つ並んでいる。
「押収対象」
「席札三枚」
「供述表紙束三」
「候補札一」
「控室内綴り具一式」
そこで一度、声を切る。
次の一行を読むときだけ、廊下の空気が変わった。
「引渡し対象」
「南七区 遺児本人 一名」
石洗場の女が、はっきり顔をしかめる。
「私じゃないのかい」
「最初から違う」
ミラが低く言った。
「あなたと古宿の出入り人は、横に置くためだった」
「取りたいのは最初からリオだけ」
若い下働きの男が、箱を抱えたまま青くなる。
「じゃあ、さっきの席札は……」
「座らせる順番だね」
ミラは答えた。
「左に石洗場の女」
「右に古宿の出入り人」
「真ん中にリオ」
「その形で紙を作るための札だよ」
副士長は読み終えた紙を戻さない。
そのまま、リオのほうへ向けた。
「聞いたな」
「引渡し対象はお前一人だ」
「前へ出ろ」
リオは動かなかった。
代わりに、石洗場の女と若い下働きを、自分の後ろへ半歩下げる。
「その紙、行先は」
副士長が眉を動かす。
「必要ない」
「必要ある」
リオは短く返した。
「引き取るなら、どこへ持っていくか先に読め」
兵の一人が前へ出た。
だが、副士長は手で止める。
群衆の前で乱すな、という止め方だった。
その一瞬で、ミラは副士長の紙を見た。
全部は読めない。
だが、下端の欄だけは見えた。
《移送先 北上層 第三保護室》
そこまで見えれば十分だった。
北二番控室は終点じゃない。
ここで紙の形を作り、その先へ上げるつもりだ。
「行先、出てるね」
ミラが言う。
副士長の目が動く。
「北上層第三保護室」
「ここで終わらせる気じゃない」
群衆の前列から声が出る。
「保護室?」
「じゃあ、任意の確認じゃないのか」
「もう次の部屋まで決まってるのか」
中年役人がすぐ割り込む。
「混乱を避けるための保全措置だ」
「保全なら、通行止を先に掛けない」
ミラは兵が渡した白縄を指した。
「戻る道を閉じてから保護と言っても、信じる人は少ないよ」
石洗場の女が吐き捨てる。
「少ないじゃないね」
「私は信じないよ」
副士長の顔は変わらない。
だが、次に出したものは変わった。
腰の革袋から、細い白札を一本抜く。
指二本分の幅。
紐のついた手首札だ。
表に、もう字が書いてある。
《南七区 遺児本人》
女書記が息を呑む。
「手首札……」
若い下働きの男が、かすれた声で言った。
「第三保護室へ上げる人につける札です」
「階段のところで、名前じゃなく札で通します」
副士長がその男をにらむ。
「余計なことを言うな」
その男の肩へ、兵の一人が手を伸ばした。
その前に、リオが入る。
若い男の前へ体をずらす。
背中でかばう。
「その人に触るな」
「対象ではない」
「下がっていろ」
「下がらない」
副士長が手首札を持ち上げる。
「対象はお前だ」
「話を複雑にするな」
「十分もう複雑だ」
リオは札を見る。
次に、副士長の紙を見る。
そして、部屋の中の三つの椅子を見る。
「部屋がある」
「席札がある」
「紙がある」
「次の部屋まで決まってる」
一つずつ、はっきり言う。
「これでまだ“確認”と言うのか」
兵の後ろで、年嵩の男が低く言った。
「確認じゃないな」
「運ぶ段取りだ」
前列の何人かがうなずく。
小さいが、はっきりした動きだった。
副士長はそこで初めて、群衆のほうを見た。
「直轄の手続きだ」
「妨げれば業務妨害になる」
「じゃあ、読めばいい」
ミラが言う。
「その紙の下まで」
「引渡し文書なら、下端まで読めるはずだよね」
副士長の指が、紙の下端を少しだけ隠す。
そこに行先があると、自分で教える動きだった。
ミラはさらに言う。
「移送先を読まない」
「帰りの札も出さない」
「手首札だけ先に出す」
白い細札を指す。
「それで“任意”は通らないよ」
そのとき、靴磨きの子が床を見て言った。
「濡れてる」
「どこ」
ミラが聞く。
「階段側」
白縄の向こう、渡り廊下の奥。
北上層へ上がる石段の手前に、水が二滴落ちていた。
ただの水ではない。
砂を混ぜた、白く濁る水だ。
署名砂を払ったあとの跡だった。
女書記がすぐ反応する。
「さっきの控室の砂と同じです」
「もう誰か上に上げてます」
副士長の視線が、一瞬だけ階段側へ流れる。
遅い。
ミラはそこを見逃さない。
「第三保護室、もう空じゃないね」
「先に誰か入れてる」
群衆の向きがまた変わる。
リオひとりではなく、上の階段を見る目が混じり始める。
石洗場の女が、リオの後ろから言う。
「その札、手首につけたら戻れないやつかい」
若い下働きが答えた。
「札番が変わります」
「下の帳場じゃなくて、上の帳場で受けます」
つまり、ここでの人ではなくなる。
上の手続きに渡る。
それを聞いて、リオは副士長の白い細札を見た。
《南七区 遺児本人》
名前ではない。
人をその場で一つの役に固定する札だ。
副士長が一歩出る。
「最後に言う」
「前へ出ろ」
同時に、兵が左右から少しずつ寄る。
槍は向けない。
だが、白縄の内側へ押しこむ形だ。
石洗場の女が息を呑む。
若い下働きの男が動けなくなる。
靴磨きの子は手すりの影へ下がる。
女書記は紙束を胸へ強く抱えた。
リオは動かない。
その横で、ミラが低く言った。
「札をつけられたら上へ切られる」
短い。
でも、それで十分だった。
副士長の指が、白い細札の紐をほどく。
輪ができる。
手首へ掛けるための大きさだった。
廊下の空気が、そこで細く締まった。




