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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
北線の削除

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143/157

143.廊下の三つ椅子



北二番控室の前で、リオは動かなかった。


前には中年役人。

その横に黒い腕章の男が二人。

半開きの扉の向こうには、三つの椅子と一つの机。

ミラの手には、白い紙表紙をかぶせた三つ目の束がある。


後ろには見物人がたまっていた。

渡り廊下は狭い。

誰かが前へ出れば、全員の目がそこへ集まる幅しかない。


「紙を返せ」


中年役人が言った。


「部屋へ入れ」

「ここで騒ぐな」


「騒いでるのはそっちだ」


リオが返す。


「席札を三枚作って」

「紙の上まで埋めて」

「まだ“任意”だと言うのか」


中年役人は答えない。

代わりに、扉の中を顎で示した。


「中で話せば済む」


「中で済ませたいんだろ」


リオは扉を見た。

三つの椅子。

机の上の印泥。

書き板。

濡れた署名砂。


「だから、ここでやる」


言い終わるより先に、リオは部屋へ一歩入った。


黒い腕章の男が止めようと腕を出す。

その腕を肩でずらして、真ん中の椅子をつかむ。


重い木椅子だ。

床をこする音が鳴る。


「何をしている!」


中年役人が声を荒げる。


リオは答えない。

椅子を一脚、廊下へ引きずり出した。

続けて、左の椅子。

右の椅子。


三つの椅子が、渡り廊下の真ん中へ並ぶ。


群衆の目が、一斉にそこへ集まった。


部屋の中に隠れていた形が、廊下の上へ出たからだ。


ミラがすぐ動く。


箱の中の三枚の席札を取る。

木の札だ。

字はもう書いてある。


一枚目を左の椅子へ置く。


《石洗場裏 湯番女》


二枚目を右の椅子へ置く。


《東三路 古宿出入人》


三枚目を真ん中へ置く。


《南七区 遺児本人》


石洗場の女が、息を呑んだ。

年嵩の男も、札の並びを見る。

女書記の目が、紙と椅子を行き来する。


ミラは白い紙束を持ち上げた。


「この部屋でやるつもりだったのは、これだよ」


高く掲げはしない。

前列の人間に読める高さで止める。


「左に石洗場の女」

「右に古宿の出入り人」

「真ん中にリオ」


その順で、椅子を指す。


「その形を先に決めてから、紙を書くつもりだった」


中年役人が吐き捨てる。


「見せ方の問題だ」

「確認をしやすくするための配置だ」


「じゃあ、聞き取る前から何で名前が入ってる」


ミラは紙束の一枚目を開いた。


《対象 南七区 遺児本人》

《立会一 石洗場裏 湯番女》

《立会二 東三路 古宿出入人》


そこまで、もう書いてある。


下の申述欄だけが白い。


前列から声が出る。


「ほんとだ」

「上が先に埋まってる」

「話を聞く前の紙じゃない」


黒い腕章の男が、今度はミラの手の紙を奪いに来た。


横から速い。

だが、リオのほうが早い。


男の前へ半歩入る。

胸で押し返さない。

ただ、腕が届く位置へ自分の肩を入れる。


「触るな」


「証拠物だ!」


「見せたら困る紙だろ」


短い。

だが、群衆の前で言うには十分だった。


そのとき、さっきの若い下働きが、まだ箱の横で固まったまま言った。


「……椅子、毎回その並びです」


全員の目が向く。


若い男は喉を鳴らした。

逃げたい顔だ。

でも、もう黙れない顔でもある。


「真ん中に、呼ばれた人」

「左右に、場所を知ってる人か、見た人」

「それで紙を書いて……」

「終わると、裏階段へ紙だけ運びます」


中年役人が怒鳴る。


「黙れ!」


その声と同時に、黒い腕章の男が若い下働きへ向かった。


リオが割って入る。


若い男の前へ立つ。

背中でかばう。


「その人に触るな」


「虚言だ!」


「虚言なら、椅子を戻せば済む」


リオは廊下の三脚を指した。


「何で部屋の中じゃなく、廊下に出されたら困る」


誰もすぐに答えない。


答えないことが、また一つ答えになる。


ミラは紙束をめくった。

二枚目。

三枚目。

同じ見出しの紙が何枚も入っている。


《対象 南七区 遺児本人》

《立会一》

《立会二》


「一回分じゃないね」


ミラが言う。


「同じ形で、何枚も作る気だった」


女書記が紙の端を見る。


「右上に、控え番号があります」

「一枚目だけじゃない」

「二枚目、三枚目にも振ってある」


つまり、たまたま用意した紙ではない。

この形で何度も回す前提の束だ。


石洗場の女が椅子を見る。

自分の名札。

真ん中の《南七区 遺児本人》。

右の《東三路 古宿出入人》。


「私を左に座らせて」

「その子を真ん中にして」

「もう一人を右へ置く」


女は低く言った。


「それで何を書きたいんだい」


ミラは答える前に、紙の下を一枚だけずらした。

申述欄のさらに下。

薄く罫線が引いてある。


欄名がある。


《追記》

《保護移送の要否》


女書記の顔色が変わる。


「保護移送……」


中年役人が、一歩前へ出た。


「そこは関係ない」


「関係あるよ」


ミラが返す。


「部屋の中で三人を並べる」

「その形で紙を作る」

「その下に“保護移送の要否”がある」


椅子をもう一度、順に指す。


「真ん中にリオを座らせて」

「左右に“知っている人”を置いて」

「最後に、保護の名目でどこかへ動かす」


年嵩の男が眉をしかめた。


「保護、ねえ」

「前から帰す気がない部屋でか」


石洗場の女も吐き捨てる。


「連れていく紙だろ、そりゃ」


靴磨きの子が、部屋の中を見ていた。


「縄、三本ある」


椅子の背に掛かる細い黒縄。

書き板を膝へ固定するための縄だ。


だが、見た目はきれいでも、人を動きにくくするには足りる。


「逃げにくくする気だね」


ミラが言う。


中年役人が、初めてはっきり声を荒げた。


「いい加減にしろ!」

「その紙も席札も、全部押収する!」


その瞬間、黒い腕章の男が二人同時に動いた。

一人はミラの紙へ。

もう一人は石洗場の女の腕へ。


リオが先に石洗場の女の前へ入る。

肩を返し、男の手を外す。


「その人は渡さない」


同時に、ミラは紙束を女書記へ渡した。

女書記は胸へ抱え、すぐ壁際へ下がる。

靴磨きの子も一緒に動いた。

紙を取るための動きじゃない。

紙を見失わせる動きだ。


若い下働きが、箱の中を見て震えた声で言う。


「まだあります」


「何が」


ミラが聞く。


若い男は、箱の底を指した。


底板の下に、もう一枚、薄い板札がはさまっていた。

女書記が引き抜く。


白木の札だ。

字はまだ乾ききっていない。


《旧公爵家関係遺児 保護移送候補》


その下に、細い字が二つ。


《南七区 遺児本人》

《優先》


廊下の空気が、そこで変わった。


石洗場の女が札を見る。

年嵩の男が目を細める。

若い下働きは、もう役人を見ていなかった。

自分が何を運んでいたのか、ようやく分かった顔だ。


リオはその札を見た。


相手が欲しかったのは、ただの証言ではない。

ただの立会でもない。


「公爵家に追われた遺児」

「保護の名目で動かす相手」


その形で、自分を紙に固定したかったのだ。


廊下の奥で、さらに靴音が増えた。


今度は重い。

兵の靴音だった。

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