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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
北線の削除

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142/157

142.帰り道のない部屋



北二番控室の前で、増えてきた靴音が止まった。


渡り廊下の奥から来たのは三人だった。

一人は黒い腕章。

一人は鍵束を下げた中年の役人。

もう一人は、黒い革挟みを抱えた書記だ。


先頭の中年役人が、半開きの扉を見て眉をしかめる。


「何を騒いでいる」


黒い腕章の男がすぐ答えた。


「確認対象が抵抗しています」

「群衆も寄ってきています」


「群衆じゃない」


ミラが言った。


「張り出し台の裏の机と、この箱が見えてきただけだよ」


中年役人の目が細くなる。

だが返事はしない。

代わりに、箱を抱えた下働きの若い男へ顎を振った。


「運べ」

「中へ入れろ」


若い男の肩がびくりと揺れる。


さっきリオに支えられた男だ。

まだ腕に力が戻っていない。

それでも、命じられて一歩出る。


その足が止まった。


リオが、箱の前へ立ったからだ。


「その箱、先に中を見せろ」


中年役人が低く言う。


「どけ」


「どかない」


短い返事だった。


中年役人は、今度は石洗場の女を見る。


「あなたも来なさい」

「任意の確認だ」

「すぐ終わる」


女は首を振る。


「さっきから、そればっかりだね」

「すぐ終わるなら、何で席札が三枚も要るんだい」


年嵩の男が後ろで「その通りだ」と小さく言う。

群衆の前列が、また一歩だけ近づく。


中年役人は顔色を変えずに言った。


「誤解です」

「座る相手を間違えないための札です」


「じゃあ、帰る札は」


リオが聞いた。


「どの紙で、どの扉から帰す」


役人は答えない。


その沈黙の間に、ミラは半開きの扉へ寄った。

指先で、扉をもう少しだけ押す。


きしむ音がした。


北二番控室の中が、さっきより見える。


机は一つ。

椅子は三つ。

書き板は三枚。

机の手前には、白い紙表紙をかぶせた薄い束が三つ、ぴたりと並んでいる。


その奥、部屋の左奥に、もう一枚の扉があった。


細い。

人が一人ずつしか通れない幅だ。

扉の下に、黒い靴跡が続いている。

向こうは階段らしく、段の角だけが少し見えた。


裏階段だった。


ミラの目が止まる。


内扉の脇に、細い木札が下がっている。


《北裏階段》


書いてあるのは、それだけだ。


「帰り道、前じゃないね」


ミラが言った。


中年役人が、初めてはっきり顔をしかめる。


「勝手に中を見るな」


「見えるように開いてる」


ミラは返した。


「それに、前から出す部屋なら、裏階段の札は要らない」


石洗場の女が扉の奥をのぞく。

その顔が険しくなる。


「ほんとだね」

「入る札はあっても、前へ戻る道がないじゃないか」


女書記も続けて見た。


「机の下に、湿った署名砂があります」

「一つだけじゃない」

「三つ並んでます」


書いたあと、すぐ乾かすための砂だ。


一人分ではない。

三人分だ。


靴磨きの子が、床を指さした。


「黒い粉、二本」


廊下の床から、部屋の中へ。

部屋の中から、裏階段の扉へ。

細い線が二本、続いている。


箱の底についていた煤と同じ黒だ。


「紙を運ぶ線だね」


ミラが言う。


「前の扉から人を入れて」

「裏の階段から紙を下ろしてる」


そのとき、箱を抱えた若い男が小さく息を吸った。


誰もまだ見ていないのに、見つかった顔だった。


中年役人がすぐ振り向く。


「お前、何を知っている」


若い男は答えられない。

喉だけが動く。


黒い腕章の男が一歩寄った。


「昨日も運んだな」

「言うなよ」


その前に、リオが若い男の前へ入る。


「その人に言わせるなら、ここで言わせろ」


「部外者は黙っていろ」


「黙らせる方が早いと思ってるから、裏階段を使うんだろ」


廊下が静かになった。


若い男の目が、リオへ向く。

さっき箱を落としかけたとき、自分ごと支えられた目だ。


ようやく口が開く。


「……昨日も、同じ箱を運びました」


中年役人が「黙れ」と言う。

だが、もう遅い。


若い男は続けた。


「三人、前の扉から入りました」

「出てきたのは紙だけでした」

「人は……見てません」

「でも、終わったあと、裏階段の下で泣き声がしました」


石洗場の女の顔から血の気が引く。


女書記が息を呑む。

年嵩の男の手が、手すりを強く握る。


中年役人が若い男の肩をつかもうとする。


その手を、リオが払った。


強く打たない。

だが、肩に届く前で外す。


「もう触るな」


「虚言だ」


「じゃあ、箱を開けろ」


リオは言った。


「部屋も開けろ」

「虚言なら、見せれば終わる」


群衆の前列から、「開けろ」と声が出る。

一人ではない。

二人、三人と重なる。


中年役人の視線が廊下の奥へ揺れた。

応援を待っている目だ。


ミラはその隙に、箱の蓋をさらに開いた。


中には、141話で見えた三枚の席札のほかに、白い紙表紙をかぶせた薄い束が三つ入っていた。

表紙の右上には、それぞれ墨で書いてある。


一つ目。


《石洗場裏 湯番女》


二つ目。


《東三路 古宿出入人》


三つ目。


《南七区 遺児本人》


ミラは三つ目の束を開いた。


中の一枚目は、もう上の欄が埋まっている。


《対象 南七区 遺児本人》

《立会一 石洗場裏 湯番女》

《立会二 東三路 古宿出入人》


そこまで書いてあった。


下の申述欄だけが、まだ白い。


石洗場の女が、はっきり顔をしかめる。


「私を横に座らせる気だったのかい」


女書記が言う。


「立会人まで先に入っています」

「聞いてから決める紙じゃない」


「形を先に作ってる」


ミラが返した。


「石洗場の女を左に置く」

「古宿の出入り人を右に置く」

「真ん中にリオを座らせる」

「その形で紙を作る気だよ」


リオは、白い紙の束を見た。

次に、部屋の中の三つの椅子を見た。


椅子の並びまで同じだった。


真ん中の椅子だけ、座面の布が少しへこんでいる。

先に何度も人を座らせた跡だ。


「証言が欲しいんじゃないな」


リオが低く言った。


「この並びが欲しいだけだ」


中年役人が、とうとう声を強めた。


「押収する」

「その紙も、箱も、全部こちらへ戻せ」


「戻したら、また裏へ流すだけだろ」


ミラは三つ目の紙を閉じない。


その下の頁を一枚だけずらした。


そこにも、同じ見出しが印刷されていた。

何枚も作る気だった証拠だ。


《南七区 遺児本人》

《立会一》

《立会二》


繰り返し使うための紙だった。


靴磨きの子が、部屋の中をさらに見て言う。


「椅子の後ろ、縄ある」


細い黒縄が三本、椅子の背にかかっていた。

人を縛る縄ではない。

書き板を膝に固定するための縄だ。

だが、座らせて動きにくくするには足りる。


石洗場の女が一歩下がる。


「行かないよ」

「絶対に」


中年役人が前へ出る。

黒い腕章の男も並ぶ。

鍵束の音が鳴る。


その向こうで、廊下の奥からさらに人が来る気配がした。

今度は多い。

四人以上だ。


ミラは紙束を抱えたまま、短く言う。


「リオ」

「もう“任意”で押しきる段じゃない」


リオはうなずいた。


そして、石洗場の女と若い下働きの二人を、自分の後ろへ下げた。


前には、北二番控室。

後ろには、渡り廊下の見物人。


その間で、リオは三つ目の紙を見た。


《南七区 遺児本人》

《立会一 石洗場裏 湯番女》

《立会二 東三路 古宿出入人》


相手が欲しい形が、紙の上にもう出来ていた。


あとは、自分をその椅子へ座らせるだけだった。

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