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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
北線の削除

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136/157

136.読まれた一行



旧記録庫から地上へ出ると、役所の中の空気が変わっていた。


下の石段は冷えていた。

だが、上の廊下は人の声でぬるい。

北の中庭のほうから、何度も同じ言葉が流れてきている。


ミラが先に石段を上がる。

その後ろで、リオが青布の簿冊を両腕で抱えていた。


古い帳簿は厚い。

紙の端も固い。

急いで持って歩くには向かない重さだ。


「中庭で読ませる気だね」


ミラが言った。


「青布の簿冊そのものを出すとは限らない」

「中の一行だけ切って、白い紙で回してるかもしれない」


「分かってる」


リオは短く返した。


石段を上がりきったところで、靴磨きの子が柱の横から出てきた。

顔は上げているが、目は人の足元を見ている。


「北の中庭、もう人が集まってる」

「木箱を重ねて、読み上げ台を作ってた」

「黒い腕章が先に三人いた」


「白い紙は」


ミラが聞く。


「あった」

「持ってるのが三人」

「青い布は見てない」


やはりそうだ。

青布の簿冊をそのまま見せるつもりではない。

中から切った行だけを先に読ませるつもりだ。


「急ぐよ」


ミラが歩幅を広げる。


下廊下を抜ける手前で、怒鳴り声が聞こえた。


「誰に棚番を教えた!」

「どこから持ち出した!」


廊下の壁際に、若い女書記が押しつけられていた。

黒い腕章の男が二人いる。

一人が女書記の袖をつかみ、もう一人が床の紙片を靴先で踏んでいた。


女書記は青い顔で首を振っている。


「持ち出していません」

「棚番を聞かれて、答えただけです」


「答えたなら同じだ!」


男の声が廊下に響く。

もう確かめる顔ではない。

一人を犯人役に決めた顔だ。


床に落ちた紙片へ、ミラの目が止まる。

紙片の端に、青い繊維が一本ついていた。


簿冊を包んでいた布の毛羽だ。


その瞬間、リオが前へ出た。


男の手首をつかみ、女書記の袖から引きはがす。

殴るためではない。

離させるための動きだ。


「離せ」


男が振り向いた。


「何だ、お前」


リオは女書記の前へ半歩入る。


「その人じゃない」

「まず床の紙を見ろ」


声は大きくない。

だが、言葉がまっすぐで、廊下の空気が一度止まった。


もう一人の男が吐き捨てる。


「見たから言ってる」

「公爵家の帳簿から出た紙だろうが」


「帳簿が本物でも」

「いま誰が、どの行だけ切って読ませてるかは別だ」


「別じゃない」

「公爵家の帳簿なら、公爵家の罪だ」


「三行だけ読んで決めるな」


その一言だけ、リオの声が硬くなった。


女書記の肩が少し落ちる。

ようやく息ができたみたいな落ち方だった。


男は舌打ちした。

だが、ここで揉めれば廊下の人目が集まる。

自分たちのやり方まで見られるのが嫌なのだと分かる引き方だった。


「もう遅い」

「中庭で読まれてる」


二人はそう言い残して、北の中庭へ急いだ。


男たちが去ると、女書記は壁に手をついたまま頭を下げた。


「すみません……」


「謝らなくていい」


ミラがしゃがみ、床の紙片を拾う。


「何を取られたかだけ教えて」


女書記は机の下を指さした。

そこに、もう一枚、白い紙が落ちている。

右端がまっすぐ切られ、左端だけが少し破れていた。


「簿冊そのものは持っていっていません」

「中を開いて、三か所を書き写して……」

「そのあと、ここで短く切ってました」


「どの三か所」


女書記の唇が震える。


「南七区 運搬従事者夫婦」

「遺児一名」

「それから……旧処理移管 公爵家承認」


リオの手が、青布の紐を強く握る。

だが、何も言わない。


ミラが先に聞く。


「原因欄は」


「写していません」

「そこは空いているところもありました」

「でも、その人たちは“そこはいらない”って」


十分だった。


本物の簿冊から、

群衆が一番早く怒る三行だけを抜いたのだ。


ミラは机の上を見る。

細い札切りの刃が置いてある。

刃先に赤茶の汚れがついていた。


印泥だ。


下の受け渡し口で見た赤茶の汚れと近い色だった。


「これで切ったの」


女書記がうなずく。


「切ったあと、端に印をつけてました」

「配る束が混ざらないようにって」


ミラは床へ目を落とす。

白い切りかすが、廊下の角へ向かって三つ落ちている。

その先に、赤い点が一つ。

さらにその先にも、切りかすが二つ。


「追える」


ミラが言った。


「読み上げ台まで線ができてる」


女書記が、はっとした顔になる。


「あと、札も持っていきました」


「どの札」


「白い閲覧札です」

「三段左、って書いてある札を」


リオとミラの目が同時に動いた。


三段左。


アークが青布の簿冊のそばへ置いた閲覧札だ。

あれを白い切り紙の横へ立てれば、群衆は「本物の棚から出した紙だ」と思いこむ。


「行くよ」


ミラが立ち上がる。


「相手は簿冊だけじゃなく、札まで使ってる」

「本物に見せる気で全部揃えてる」


北の中庭へ向かう渡り廊下は、もう人で詰まり始めていた。


役人。

配給列から離れてきた女。

荷車を止めてのぞきにきた男。

みんな歩きながら、同じ言葉を口にしている。


「公爵家の帳簿が出たらしい」

「南七区って言ってたぞ」

「遺児って、誰のことだ」


まだ台の前まで行っていないのに、言葉だけが先に広がっている。


靴磨きの子が床を見た。


「同じ靴がいる」


「どの靴」


リオが聞く。


「鍵束を持ってる人の靴」

「下の保管扉の前にいたやつと同じ」


保管係の靴だ。

棚を開け、札を戻し、帳簿を出し入れする側の靴である。


「外の噂じゃない」


ミラが言う。


「役所の中で切って、役所の中で読ませる形にしてる」


渡り廊下の角で、ミラはもう一度しゃがんだ。

白い切りかすが四つ。

その横に赤い印泥の点が二つ。


読み上げ台まで、はっきり線が続いている。


「青布を運んだんじゃない」


ミラが言う。


「青布から三行だけ抜いて運んだ」


その先に、中庭が見えた。


木箱を二つ重ね、その上に板を渡しただけの台が立っている。

臨時の読み上げ台だ。


台の前に、群衆が半円に固まっていた。


黒い腕章の男。

役所の下働き。

買い物籠を抱えた女。

縄のついた手をまだ洗っていない荷運び。

顔は違うのに、目だけが同じ向きをしている。


台の横には、白い閲覧札まで立てかけてあった。


《三段左》


その札の横で、読み上げ役が白い切り紙を高く持ち上げていた。


青布の簿冊ではない。

簿冊から抜いた三行だけを写した紙だ。


大きい字で二行。


《南七区 運搬従事者夫婦》

《遺児一名》


その下に、小さめの字で一行。


《旧処理移管 公爵家承認》


そこしかない。


原因欄は落としてある。

何が未記載かも落としてある。

誰がこの紙を作ったかも落としてある。


残したのは、

群衆が公爵家を憎むのに足りる三行だけだった。


読み上げ役が息を吸う。


「見ろ!」


声が中庭に響く。


「これが公爵家のやり方だ!」


群衆が前へ寄る。

肩がぶつかる。

誰かが「やっぱりな」と言い、別の誰かが「だから今回もだ」と重ねる。


その端で、さっき助けた女書記が追いついてきた。

だが、人に押されて足をもつれさせる。


倒れる。


その前に、リオが手を伸ばした。

青布の簿冊を片腕で抱えたまま、もう片方の手で女書記の肩を支える。


女書記が息を呑む。


「すみません……」


「下がって」


リオはそれだけ言った。


それから、台の上の白い紙を見た。

顔色は変わらない。

だが、目だけが変わる。


自分の古傷を、

知らない手が勝手に並べ替えて、

群衆に読ませていると知った目だった。


読み上げ役が、もう一度声を張る。


「南七区の夫婦は処理された!」

「遺児だけ残して、公爵家が回した!」


群衆のざわめきが大きくなる。


そのとき、前列にいた年嵩の男が、リオの顔を見て止まった。

白い切り紙を見る。

次に、リオの顔を見る。

もう一度、紙を見る。


見比べる目だった。


「……おい」


男の指が、ゆっくり上がる。


「遺児って、こいつか」


リオが一歩、前へ出た。

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