表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
北線の削除

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

134/157

134.置かれた棚


役所の底は、冷えていた。


ミラとリオは地面の下へ続く石段を下りた。

上のざわめきは、三段下りるごとに薄くなる。

代わりに、水の匂いが強くなる。

壁は湿っていて、手すりは冷たい。


石段の下に、鉄扉があった。


重い扉だ。

だが、鍵はかかっていない。

引けば、少しだけ重く鳴って開いた。


ミラの目が細くなる。


「開いてる」


「誰かが先に来てる」


リオが答える。


中は暗い。

棚が三列。

左に古い帳簿、右に差し戻し控え、奥に木箱。

手前の机には油皿が一つだけ置いてある。

火は小さい。

さっきつけたみたいに、まだ芯がまっすぐだ。


机の上に、白い札があった。


三段左


たったそれだけ。


誰でも分かる書き方だ。

迷わせる気がない。

むしろ、早く見つけさせるための札だった。


ミラは札を取らない。

先に左の棚を見る。


三段目。

いちばん左。


そこに、青い布の簿冊が一冊だけ前へ出ていた。

隣の灰布と茶布は奥へ引っ込んでいる。

青だけが、手を伸ばせば届く位置にある。


「置かれてる」


ミラが言う。


リオはもう、その簿冊を見ていた。

表紙の端に、薄れた字が残っている。


《旧処理控》

《公爵家》


はっきり読める。


リオの手が伸びる。

止めない。

でも、ミラはすぐ横についた。


「開くなら、一緒に見る」


リオは黙って頷いた。

青布の紐をほどく。

中の紙は思ったより多い。

抜かれていない重さだった。


一枚目。

古い処理の目次。


二枚目。

配給停止の控え。


三枚目。

移送の差し戻し。


四枚目で、リオの指が止まった。


《南七区 運搬従事者夫婦》

《死亡後処理》

《遺児一名》

《旧処理移管》


短い。

短いが、足りる。


南七区。

運搬従事者夫婦。

遺児一名。


リオの顔から音が消える。


ミラは横から紙を見た。

行の右端に、乾いた赤印がある。

古い家印だ。

いまの赤より鈍い。

だが、形は残っている。


公爵家の印。


リオが低く言った。


「……うちだ」


ミラはすぐには返さない。

返すより先に、下の行を見た。


《原因欄 空白》

《処理承認 公爵家》


そこが大事だった。


原因は書いていない。

死んだ理由はここにない。

あるのは、そのあと誰が処理を通したかだけだ。


ミラは紙から目を離さずに言う。


「殺したとは書いてない」


リオが動かない。


「でも、通してる」


「そう」

「通してる」


ミラは否定しない。


古い傷だ。

紙の上に、ちゃんと残っている。

見なかったことにはできない。

だが、それと“誰が殺したか”は同じじゃない。


リオは次の頁をめくる。

指先が少しだけ硬い。


次の頁にも、似た行が並んでいる。

事故後処理。

配給切替。

遺族移送。

旧処理移管。


全部の右端に、公爵家の承認印。


家の仕事だ。

家の処理だ。

先代の頃から続いてきた、冷たい手続きの跡だ。


その中で、リオは一行だけを見つめていた。


《遺児一名》


そこだけが、急に紙じゃなくなる。

昔の自分の背丈みたいに見える。


靴磨きの子が、扉のところから中をのぞいた。

珍しく声を小さくする。


「中、まだ新しい靴跡ある」


ミラが振り向く。


石の床に、うっすら泥が残っていた。

古い埃の上に、新しい靴跡が二つ。

一つは大人の革靴。

もう一つは若い書記の軽い靴だ。


どちらも、まっすぐ机へ行き、棚へ寄って、また扉へ戻っている。


迷っていない。


場所を知っていた足だ。


ミラは机の白札を見た。

次に、青布の簿冊を見る。

そして、棚の奥の灰布と茶布を見る。


青だけが出ている。

青だけが読める。

青だけが“公爵家”につながる。


分かりやすすぎる。


「……これ、本物だ」


ミラが言う。


「でも、本物だからって、勝手に出てくる場所じゃない」


リオがようやく顔を上げた。


「誰かが置いた」


「見つけさせるために」


その答えはすぐそこにあった。

簿冊の下に、紙の跡が残っている。

長くそこに置かれていた色じゃない。

たった今ずらした明るさだ。


最近、動かされた。


しかも、青だけ。


リオが机のほうを見る。

白札には、まだ新しい墨の艶が残っている。


三段左


迷わせない。

探させない。

最短で、この一冊へ来させるための札だ。


リオの声が乾く。


「じゃあ、これは……」


「古い傷は本物」


ミラが先に言う。


「でも、今それを俺たちに見せた手は新しい」


リオはもう一度、頁を見る。

《南七区 運搬従事者夫婦》

《遺児一名》

《旧処理移管》


そして右端の、公爵家の印。


これだけ見れば、人は決める。

家の罪だ、と。


しかも今、街にはもう“公爵家”の声が先に入っている。


古い紙。

新しい声。

つながり方が、きれいすぎた。


靴磨きの子が床の奥を指した。


「もう一個ある」


奥の棚の下に、短い紐の切れ端が落ちていた。

赤茶の古い紐だ。

鍵束を結んでいたのと同じ結び方をしている。


リオが拾う。


「ここでほどいたんだな」


「内棚の鍵だけ外したのかも」


ミラは棚の横を見た。

小さな鍵穴がある。

だが、そこには鍵が刺さっていない。


全部開けっぱなしじゃない。

見せる場所と隠す場所を分けている。


そのとき、上の階からかすかに音が落ちてきた。

人の走る音だ。

まだ遠い。

だが、下へ向かっている。


追手か。

それとも、別の紙を取りに来た人間か。


時間がない。


リオは青布の簿冊を閉じない。

閉じられない。

開いた頁のまま、もう一度だけその一行を見る。


《遺児一名》


ミラはその視線を見た。

見たうえで、短く言う。


「持つ」


リオが顔を上げる。


「これを?」


「青は持つ」

「でも、それだけで決めない」


そこが線だった。


青布の簿冊は本物だ。

だから持ち出す価値がある。

でも、青だけ見て終われば、相手の思う形に乗る。


リオは数を数えるみたいに息を吸って、吐いた。


「……分かった」


ミラは白札を机から取った。

三段左。

それを半分に裂く。

迷い札は、もういらない。


上から、今度ははっきりと足音がした。


誰か来る。


リオは青布の簿冊を抱える。

ミラは扉へ向く。

靴磨きの子は、もう先に石段の影へ消えていた。


出る前に、ミラは一度だけ棚を振り返る。

奥の灰布と茶布は、まだ暗いままだ。


本当に見なければいけないものは、

たぶんまだ、そこに残っている。


だが今は違う。


今ここで持ち出すべきなのは、

街の声といちばん強くつながる一冊だった。


ミラたちは旧記録庫を出る。


青布の簿冊を抱えたまま。

古い傷の重さごと、上へ持ち上げるために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ