109.代の名義
「代」は、責任の宛名だ。
代理人の名前じゃない。あとから罪を被せるために置く「身代わり名」だ。
商会の奥は、音が薄い。
薄い音の中で、紙だけが擦れる。
ミラは廊下の壁に沿って歩き、立ち止まった。
扉は半分開いている。
半分開いているのは、出入りがあるからだ。
出入りがあるのに、鍵の音がしない。
鍵を使わない扉は、内側の扉だ。
扉の外に、板が一枚立て掛けられていた。
《控え》
控えは原本じゃない。
控えは「正しさ」を作るための写しだ。
板の上に、欄が三つ並んでいる。
《受領》──受け取ったことにする欄。
《代理》──本人以外が受け取ったことにする欄。
《代》──あとで責任を被せる「身代わり名」を置く欄。
ミラは視線を上げずに、欄の端だけ読む。
《代》の欄は小さい。
小さいのに、そこだけ紙が新しい。
新しい紙は、今日貼り直した紙だ。
貼り直しは、閉じ直しと同じ匂いがする。
リオが影から現れ、息だけで言う。
「鍵番、ここを通ってる。紐の端が短い結び方」
結び直す癖。
封を閉じ直す癖。
ミラは控え板の端を見る。
端が揃いすぎている。
裁ち台の端だ。
刷り場で切った板だ。
でも紙質が硬い。
札と同じ硬さだ。
硬い紙は回る。
回った紙は、すぐ「正しさ」になる。
扉の中で、紙をめくる音がした。
一度。
二度。
三度。
三度目が遅い。
遅いめくり方は、ページを選んでいるめくり方だ。
選んでいるのは、名前だ。
ミラは扉の隙間を見ない。
見れば見返される。
代わりに、床の紙粉の筋を見る。
筋が一本、扉の外へ伸びている。
紙粉の筋は、帳面を運んだ筋だ。
運んだ先は受領所。
受領所で《確認不要》が貼られる。
貼られた瞬間に、狩りの順番が走る。
ミラは《代》の欄の下に貼られた小さな紙片を見る。
一語だけ書いてある。
名前じゃない。
呼び名だ。
「靴」
ミラは声に出さない。
声に出せば、紙が走る。
靴──顔じゃなく靴で識別される誰か。
“目撃の言い訳”として一番使いやすい相手。
つまり《代》は、犯人の名じゃない。
「犯人にされる名」だ。
リオが、床の隅の紙片を足で寄せながら言う。
「この一語、誰でもいいんだな。固定じゃない」
「固定じゃないから増やせる」
ミラが答える。
「増やせるから、門が増える」
門札が落ちるたびに、身代わり名が増える。
身代わり名が増えるほど、狩りは当たり前になる。
ミラは控え板の《代》欄を、もう一度だけ見た。
ここが机の刃だ。
彼女は袖の内側で決める。
次は、この一語を書いている手を取る。
書く順番を折れば、代は増やせない。




