106.門を増やす札
風は、紙の味方をする。
受領所の台の上で、札がもう一度めくれた。
《確認不要》
薄い札の端が浮く。
浮いた端は、戻らない。
戻らない端は、落ちる。
ミラは視線を上げない。
上げると、“見た”が顔に出る。
顔に出た見た、は責任になる。
責任は紙で寄せられる。
列の前の腕章が、声を強くした。
「受領代理で回す! 確認は不要だ!」
不要だ、は楽だ。
楽な言葉ほど、列が息を吐く。
息を吐いた瞬間に、手が動く。
札を受け取る手。
札を畳む手。
札を握り潰す手。
握り潰す手は、特別を知っている手だ。
その手の群れの中で、台の上の端が、ふっと滑った。
落ちる音は小さい。
小さいのに、ミラには刺さる。
紙片が台の縁を越え、床へ落ちた。
黒い角。
黒点の色。
ミラは息を止めない。
止めると、体が硬くなる。
硬い体は目立つ。
目立てば、門が閉じる。
影が一つ、床へ溶ける。
リオだ。
手を出さない。
足だけで拾う。
足先で紙片を蹴り、靴の内側へ滑らせる。
滑らせた瞬間に、列の視線が一度だけ床へ落ちる。
落ちた視線は、すぐ台へ戻る。
台へ戻るのが大事だ。
台に戻れば、狩りの主役は紙のままだ。
こちらが主役にならない。
ミラは柱の陰で、台の結び目を見る。
箱札を結ぶ紐。
固いのに芯が甘い。
甘い芯は、一度ほどけた芯だ。
その芯を、腕章の男は見ていない。
見ていないのに、結び目だけが固い。
固い結び目は、見せるための固さだ。
見せるための固さは、必ず雑が出る。
ミラは雑を見る。
結び目の端の毛羽立ち。
毛羽立ちに、赤い粉。
封蝋の粉。
閉じ直し。
「……終わらせる紙」
ミラが唇の内側で言うと、リオの影が柱の陰へ戻ってきた。
戻ってきても、息を切らしていない。
切らしていないのに、目だけが光っている。
「拾った」
リオは声を出さずに、靴の内側から紙片を引き出す。
引き出す手が見えない位置で、ミラの掌へ落とした。
紙片は軽い。
軽いのに、紙質が硬い。
硬い紙は、台の札じゃない。
札屋の紙だ。
ミラは指で触らない。
触れば、指の粉が付く。
代わりに、紙片の縁を見る。
縁が揃いすぎている。
揃いすぎた縁は、裁ち台の縁だ。
「刷りたて」
ミラが息だけで言う。
リオが頷く。
「連番の束と同じ裁ち方だ」
ミラは紙片を裏返さない。
裏返す動きが見えれば、腕章の目が動く。
見えない角度で、紙片の裏の“押し跡”だけ拾う。
円が二重。
外周が太い。
商会印。
その下に、細い刻印。
数字。
三桁が、揃って並んでいる。
連番。
受領代理札と同じ連番体系だ。
同じ体系の札が、黒点を持っている。
黒点は“門の鍵”じゃない。
門の鍵なら、連番でばら撒かない。
鍵は数を絞る。
これは逆だ。
「……門を増やす札」
ミラが言うと、リオの瞳が細くなる。
「門札の“配布用”か」
配布用。
配布用は、街へ落ちる。
落ちるから拾える。
拾えれば、机へ戻れる。
腕章の男が台の端を叩いた。
「順番を守れ! 受領は終わりだ!」
終わり、と言った。
終わりを先に言うのは、紙の勝ち方だ。
ミラはそこで、逆の言葉を列へ置く。
声を張らない。
母親へだけ届く声で、短く言う。
「配給は」
母親が反射で顔を上げる。
「……配給、まだよね」
その一言で、列の口が一度だけ生活へ戻る。
戻った瞬間、腕章の声が少しだけ鈍る。
鈍った隙に、リオが踵を返す。
巣へ戻る足を拾うために。
ミラは紙片を袖の内側へ隠した。
隠すのは証拠のためじゃない。
順番のためだ。
順番が取れた。
黒点札は落ちた。
落ちた札は、机へ繋がる。
ミラは台の上の《確認不要》を見る。
端がまだ浮いている。
浮いている端は、もう一枚落ちる。
落ちる札が増えれば、門は増える。
増える前に、机を取る。
ミラは唇の内側で決める。
「……次は、刷り場の机」




