8話
文化祭が終わった翌週。
教室には、まだ少しだけ非日常の空気が残っていた。
ポスターの端が剥がれかけていて、舞台の余韻が黒板の隅に漂っている。
「文化祭、楽しかったね」
佐伯美羽が、佳奈子に話しかけた。
「うん。脚本、みんなが褒めてくれて嬉しかった」
「佳奈子ちゃん、すごかったよ。演者より目立ってた」
「それは……ちょっと言いすぎ」
佳奈子は笑った。でも、その笑顔は少しだけ曇っていた。
舞台の裏で、照明を操っていた和也の姿が、ずっと頭に残っていた。
放課後。
佳奈子は、体育館の照明室に向かった。
誰もいない。スイッチの並んだパネルが、静かに佇んでいる。
「ここにいたんだよね、鈴木くん」
その夜、和也はベランダで星を見ていた。
「艦長、任務完了ですか?」
「いや……報告書を書いてるところ」
「文化祭の成果は?」
「“誰かのために動くと、ちょっとだけ自分が好きになる”って書いておこう」
翌朝。
佳奈子は、登校中にぽつりとつぶやいた。
「文化祭、楽しかったけど……鈴木くんがいないと、ちょっとつまらなかった」
和也は、少し驚いた顔をした。
「俺、裏方だったけど」
「うん。でも、照明のタイミングとか、舞台の空気とか……全部、鈴木くんが作ってた」
「それ、俺の妄想じゃなくて、現実?」
「現実。ちゃんと見てたよ」
和也は、少しだけ黙った。
誰かに“見られていた”こと。
誰かに“必要とされていた”こと。
それが、こんなに胸に響くなんて。
「俺、名前で呼ばれるの、好きかも」
「え?」
「“鈴木くん”って言われると、ちょっと距離あるけど、“和也”って言われると……なんか、俺でいいんだって思える」
「じゃあ、これからは“和也”って呼ぶね」
「うん。俺も、“佳奈子”って呼ぶ」
その日の昼休み。
教室の隅で、和也はノートに新しい落書きを描いていた。
“鈴木艦長、名前で呼ばれるとエネルギーが回復する”
副官がうなずいている。
「艦長、それは感情のエネルギーです」
「うるさいな。でも、ありがとう」
放課後。
佳奈子は、委員会室で佐伯と話していた。
「鈴木くんって、最近ちょっと変わったよね」
「うん。なんか、オトナっぽくなった」
「佳奈子ちゃんの影響じゃない?」
「……だったら、ちょっと嬉しいかも」
マンションの前。
「じゃあね、和也」
「うん、また明日、佳奈子」
名前で呼び合う声は、今日も変わらず響いた。
でも、その響きは、少しだけ温度を帯びていた。
それは、“自分でいい”と思える安心と、
“誰かに見られている”という誇りが重なった音だった。




