第五章 砂埃
初老の男はまるで驚いたような顔をして、それから笑みを浮かべた。タケミは立ったままそれを机の向こうに見る。
「よくやってくれた、タケミくん。正直、本当に二ヶ月でやってくれるとは思っていなかった。さすがはリーグループの殺し屋というところか。感謝しよう」
「そこまで言っていただけて、光栄です」
タケミは無表情に頭を下げた。そのまま目を上げた先には、男と、その傍らに立つ少年の姿があった。
「残りの金は全て振り込もう。出来高として色も加えておく」
「ありがとうございます」
タケミは頭の中で、上司である友人の、悪魔のような笑みを見た。
ところで、と男がわずかに身を乗り出す。
「この〇二一はどうだったかね? いい腕を持っているだろう?」
タケミは表情を変えないまま深く頷いた。
「ええ。正直彼には感服しました」
その言葉に、男は満足したようだった。上がる口角を隠さない。
「それはそうだろう。私の今一番の自慢のサイボーグだからな」
タケミはその言葉に逆らわず頷いて、それから口を開いた。
「それで、お話があるのですが。そのサイボーグを、買い取らせていただけませんか」
男の目が見開いた。その後ろで、黙っていた少年も瞬きをした。タケミはことさらに表情を作って、男に向かって少し目元を緩めた。
「なにも悪いようにはしません。私は彼が気に入ってしまったのです。これからの、仕事の相棒に、と考えています」
男は渋面を作り、首を振ろうとした。それを遮るように、タケミは言葉を被せる。
「値段は、私の今回の報酬の倍額でどうでしょう。ご相談によっては四倍ほど」
男はそっと机のふちを撫でた。考える仕草を、タケミはじっと見つめた。しばらくしてから、男が、仕方がない、というように笑う。
「わかった。そこまで言ってもらえるとは、製作者の私も〇二一も光栄だろう。〇二一、わかったか、今からお前は、この男が主人となるんだ」
男はそう言って少年を流し見、顎でタケミを指した。少年は何度も瞬きをし、それからゆっくりと笑った。
「くれぐれも大切にしてくれよ。それと、講座番号は君のアドレスに送ろう」
「わかりました」
タケミはそう言って頭を下げると、少年に向かって指を立てて手まねきをした。少年は子犬のように駆け寄ってくる。男が感心したように小さく呟いた。
「これはまた、随分と手懐けたようだな」
タケミはそれに一瞬だけ笑って、それから「失礼します」と部屋を出た。少年はその後をぴったりとついてくる。バタン、と背後で扉が閉まった。
「これで、お前は俺のもんだ」
タケミが冗談っぽく笑うと、少年は大きく笑い返した。それが泣きそうな顔に見えてしまって、タケミはくしゃり、と頭を撫でた。
「ねえタケミさん、これからどこへ行くんですか」
ホテルの一室へ帰ってから、スーツケースに荷物を詰めているタケミに向かって、少年が不思議そうに尋ねた。タケミは一瞬振り返って言葉を返してやる。
「俺の家だ」
え、と少年が驚いた気配がした。タケミはにやり、と笑う。
「折角、相棒になったんだ。俺の街に来るくらいいいだろう」
少年はぶるぶると震えて、それから顔を伏せると嗚咽をもらしだした。タケミは黙ったままゆっくりと立ち上がってその元へ行ってやる。
もう、自分の思いを隠すことはなかった。怒りでも同情でもない、深い悲しみ。この少年はその感情を一つの形にしたようだ、とタケミは思う。
「この、この街に十一で連れて来られてから、出るなんて初めてです」
そうか、とタケミは言って、冷たい首筋を撫でた。けれどそこには、血の流れが感じられた。
タケミは左ハンドルの車を制限速度ギリギリの速さで飛ばす。砂ぼこりの舞う高速は空いていて、街と街との間にある荒野には人間は一人もいない。その光景が、少年には改めて不思議なようだった。じっとウィンドウの外を見る。
「そんなに珍しいか。街の外側に行けば同じ景色は見えただろう」
「そうです、けど。いつの間にか、こんなに荒れ果ててしまったんですね」
この星は、という言葉を、少年は口の中で呟いた。タケミは聞こえないふりをする。
「俺の街まで行けば、人工緑地帯くらいはある。待ってろ、嬢ちゃん」
そう言ってスピードを上げると、少年は笑いながら悲鳴をあげた。
「で、それがてめえが報酬の代わりに連れてきたサイボーグってわけか」
リーは皮肉気に言って長い人差し指で少年を指した。机の上に組んだ足を乗せていて、すらりと長い体はどこか刃物を連想させる、とタケミはいつも思う。いつか、銃でなくその体で人を殺してしまうんじゃないだろうか。
「そうだ。金は俺が出す。文句はないだろう」
「ありまくりだ、このクソが!」
リーは怒鳴って、わざとらしく溜め息をついた。白い電灯にふちなしのレンズがギラリと反射する。その仕草にいちいち少年がびくついているのに気がつくと、タケミはそっと少年を背後にかばった。
「サイボーグなんてつまりは殺人兵器じゃねえか。いつ電子脳吹っ飛んで俺らを殺すかわかんねえんだぞ」
「こいつの脳は人間のままだ」
タケミはそれだけ言い返すと、改めて息を吸った。
「それに、こいつはすぐに俺が殺す。問題はない」
はあ? とリーは目を見開いた。低く怒鳴る。
「それこそ何言ってやがるんだ。てめえはわざわざ殺してやるために、そいつをバカな額出して買い取ったっていうのか?」
リーは金のためには何をも惜しまない。脅迫、殺し、なんでもする。けれど、金のために設立した組織に手足として組み込んだのは、生まれ育ったスラムからの、昔馴染みの友人ばかりだった。そしてその座は、他の連中に渡すことは一切ない。
何を言いながらも、結局は仲間思いの男なのだ。それがわかっているから、タケミはただ笑った。
「俺がやりてえと思ったんだよ」
するとリーは、はあ、と溜め息をついて、肩をすくめた。スラングを一つ吐き出すと、それから急にがたりと立ち上がる。常に身につけている愛銃を撫でながら、少年の顔をのぞき込んだ。
「ところでてめえはなんにも言ってねえなあ、ガキ。挨拶くらい言えねえのか」
少年はびくびくと震えていて、タケミは思わず「おどかすなよ」とリーを非難した。
「おどかして何が悪いんだよ。おらガキ、なんか言ってみろ」
リーは傍若無人に言い放って詰め寄る。少年はタケミの服を握りしめながらそっと口を開いた。
「よ、よろしくお願いします……」
ふん、とリーは鼻を鳴らして言い返した。
「すぐ死ぬのによろしくもクソもねえだろうよ」
「いえその、お話はタケミさんからかねがね聞いていました」
リーはぱちり、と瞬きをする。一瞬こちらをにらんだのに、タケミは目をそらした。リーは少年に向き直ると、にやり、と凶悪に笑って眼鏡を光らせる。
「それはまた、興味深いな。どんな話だ?」
少年は迷いもなく真っ直ぐに口を開いた。
「タケミさんとリーさんは、とても仲のいいお友達だということです」
目を見開いたのは、リーも、タケミもだった。
まさかそんなことが出てくるとは思っていなくて、かといって悪口の数々を言ってほしかったわけではないのだが、でもこんな台詞よりはその方がマシだった、と思う。タケミは思わず後頭部をかきむしる。ふと見ると、リーは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「だから、リーさんもきっといい人だと思っていました」
舌打ちの後に長い足で少年を蹴ると、びっくりして飛び上がった少年に、リーは溜め息をついてみせた。
「ガキは疲れる」
「そうだな」
タケミも同意して、ただ少年だけが、わからないという顔をしていた。