第05話 帰る合図は二人分
準備会へ行く朝、私は黄色い服を着た。
花嫁の荷物に入っていた服ではない。
ニナが町の仕立屋へ一緒に行ってくれた時、店先に吊るされていた、襟元の飾りが少ない服を買った。手を上げても脇がつっぱらず、座っても苦しくならない。
まずそこが気に入った。
色を気に入ったのは、着て鏡を見るより先だった。
「お似合いです」
ニナに言われて、私はまだ少し身構えた。
結婚式で何度も聞いた言葉だったからだ。
だがニナは、似合っているとだけ言って、袖の小さな皺を伸ばした。
その先に別の意味はなかった。
「ありがとうございます」
私が答えると、彼女は笑った。
階下では、夫が手袋をはめていた。
私を見ると、片方の手袋を持ったまま止まった。
「何か、おかしいですか」
「いいえ」
「よく見ていらっしゃるので」
彼は手袋へ目を落とした。
「黄色がお好きなのだと、思い出していました」
「それだけ?」
夫が私を見た。
私は自分の口を止めたくなった。
こういう時だけ、悪口より難しいことを簡単に言ってしまう。
「よくお似合いです」
夫は言った。
同じ言葉だった。
ニナに言われた時より、頬が熱くなった。
「……ありがとうございます」
ニナが少し離れたところで、私の外套を畳んでいた。
バジルは時計を見ていた。
二人とも、さっきから同じことを続けている気がした。
夫は胸のポケットから白い布を抜き、執事へ小声で何かを頼んだ。
ほどなく、淡い黄色のハンカチが出てきた。
彼が胸へ差すのを見て、私は目を丸くした。
「そんな色も、お持ちでしたの」
「今、見つかりました」
バジルの顔が、少しだけ誇らしそうだった。
馬車に乗ってから、夫が真顔で言った。
「帰る合図を、まだ決めていません」
「そうでした」
「咳払い以外で」
「はい。そこは覚えております」
私たちはしばらく考えた。
足を踏むのは、卓の下に違う人の足があったら困る。
扇を閉じるのは、何度もしてしまう。
梨の話をするのは、伯母が料理について長く説明し始めるかもしれない。
「では、こうしましょう」
私は夫の袖口へ指を置き、二度、軽く引いた。
「これをしたら、帰りたい合図」
夫は自分の袖を見た。
「分かりました」
「あなたも、お疲れになったら」
彼の指が、私の袖口へ触れた。
黄色い布が、二度、小さく動いた。
「こうですか」
たったそれだけなのに、私は急に手の置き場所が分からなくなった。
「はい」
「では、今日はもう帰りたくなったことに」
「練習です」
夫が笑った。
私は窓の外を見るふりをした。
*
伯母の屋敷の客間は、何も変わっていなかった。
季節の花も、暖炉の上の鏡も、私が昨年選んだ青い椅子の張地も、そのままだった。
私だけが、入り口で呼び止められずに中へ入った。
「ヴェルヌ侯爵、同夫人でございます」
名前を告げられた。
伯母が立ち上がった。
私を見る。
黄色い服を見る。
夫の胸元を見る。
眉が、ほんの少し動いた。
「随分と、華やかにしてきたのね」
「お招きありがとうございます」
私は返した。
服の弁明はしなかった。
ガストン卿が、私たちへ近づいてきた。
「絵は届いたかね」
「ええ。よい場所に飾りました」
夫が答えた。
「今度、伯父上にもご覧いただきたい」
「そうだろう、そうだろう。あれはね、今の王都で最も腕のよい」
画家の説明が始まった。
夫と私は、左手が宙に浮いていた理由を思い出していた。
私は夫の袖をつまみかけ、慌ててやめた。
笑いそうな合図まで、同じにしてはいけない。
客間には十人ほどが集まっていた。
侯爵夫人が二人、伯爵が一人、退役した将軍が一人。あとは毎年顔を見る人たちだ。
皆、私を知っていた。
茶の銘柄を聞く時、席順を直す時、借りた本を返す時の私を。
誰も、私がどこに座るのかを知らなかった。
「ヴィヴィアン、先に名簿を」
伯母が小声で言った。
私の手には、夫の腕があった。
「後で拝見します」
私は答えた。
空いていた椅子へ座った。
夫が隣へ座った。
椅子は何の抵抗もしなかった。
それだけのことが、ひどく可笑しくて、少し怖かった。
準備会は、ガストン卿の長い話から始まった。
恵まれない子どもたちへ温かい冬を。
王都に暮らす貴族の責務を。
今年こそ例年を上回る輝きを。
彼は、温かさの話をしながら、暖炉に一番近い椅子を独占していた。
「今年は、花の数を倍にしたいと思っています」
伯母が言った。
私は膝の上で指を動かした。
冬の生花は高い。
去年、子どもたちの外套が足りず、エマと私が古い上着を縫い直した。
その話をすると、伯母は雰囲気を壊さないで、と言った。
「青と白で統一して、階段から広間まで」
「外套は?」
気づいた時には、口に出ていた。
伯母が私を見た。
「何の話」
「合唱に来る子どもたちの外套です。去年は帰りが遅くなって、寒がっていました」
「それは別に考えます」
「花を運ぶ馬車が一台減れば、子どもたちが帰る馬車を一台増やせますね」
客の一人が茶碗を置いた。
ガストン卿が笑った。
「新妻は、すっかり夫に似てきたらしい」
その言い方に、私は少し腹が立った。
私の意見が、夫のものになった。
「光栄です」
夫が先に言った。
私は彼を見た。
「ですが今の案は、妻が昨年の様子を知っているから出たのでしょう。私は昨年、招かれていません」
ガストン卿の笑いが止まった。
私は、夫が招かれていなかったことを知らなかった。
費用を出した家の名前には、ヴェルヌ侯爵家があったのに。
「仕事が忙しいと思ってね」
「今年は暇だと思ってくださったのですね」
隣の老夫人が、紅茶へ顔を伏せた。
肩が少し揺れていた。
伯母は私へ微笑んだ。
注意する時の笑みだった。
「あなたに任せることにしましょう。気になるなら、ご自分で考えた方がよいわね」
まただった。
おかしいと言うなら、お前がやりなさい。
私は子どもたちの外套のことを話した。
だから、外套も馬車も、連絡も名簿も、私の仕事になる。
膝の上で、指が強く組まれた。
夫の手が少し動いた。
でも彼は、何も言わなかった。
「今回は、お引き受けしません」
私は言った。
「必要なものを申し上げたのであって、担当を申し出たのではありません」
客間が静かになった。
伯母は、私の顔を見た。
私は、微笑もうとしたがうまくいかなかった。
怒っている顔のままだったと思う。
「そこまでおっしゃるなら、今年は歌わせなければいいでしょう」
伯母が言った。
「子どもたちも残念がるでしょうけれど、あなたの御希望なら」
腹の奥が熱くなった。
違う。
そういう話ではない。
言い返せば、私が冷たい、私がわがまま、私が皆の楽しみを壊す。
この客間では、何度もそうなった。
「それなら、うちで歌ってもらいましょう」
声がした。
夫ではなかった。
私だった。
私は、隣の夫を見た。
夫も私を見た。
何の相談もしていない。
屋敷に子どもたちを呼んでいいのかも、何人座れるのかも知らない。
私は自分の口の速さに、今度こそ後悔した。
「……相談してからですが」
付け足した。
遅かった。
夫の口元が動いた。
彼は卓の上の紙を一枚、自分の方へ寄せた。
「大広間なら、入ります」
落ち着いた声だった。
「ただし、何も決まっていません。まず妻と話します」
伯母が、扇を閉じた。
その音で、客たちが顔を上げた。
「随分と、奥様のお考えを大事になさるのですね」
夫は不思議そうに伯母を見た。
「新婚ですから」
誰かが笑った。
今度は、私を笑う声ではなかった。
*
馬車に戻ると、私はすぐに謝った。
「勝手に、お宅を使うようなことを言ってしまって」
「うちです」
「え?」
「私の家で、あなたの家でもあります」
夫は続けた。
「ただし、相談はしてください」
私はうなずいた。
そこまで言ってくれた方が、楽だった。
「怒っていらっしゃいますか」
「少し、驚きました」
「少しではないでしょう」
「かなり」
私は両手で顔を覆った。
夫の笑う気配がした。
「笑い事ではありません」
「ええ。うちに子どもが何人入るか、数えなくては」
「ロラン様」
顔から手を離すと、夫は笑うのをやめた。
「本当にしたいのですか」
私は黙った。
伯母へ言い返したかった。
そのために子どもたちを使おうとしたのではないかと、自分に腹が立っていた。
「……分かりません。今は、腹が立っているだけかもしれません」
夫はうなずいた。
「では、今日は決めない」
「先ほど、あんなに言ったのに」
「家で話すと言いました。決めたとは言っていません」
私は窓の外へ目を向けた。
来る時より、日の光が傾いていた。
帰る合図は結局使わなかった。
伯母の顔を思い出すと、少し痛快だった。
その自分の性格を、夫へ全部見られたことは、少し怖かった。
「私、やっぱり性格がよくありませんね」
夫が首を傾けた。
「今日のことなら、私も伯父に招かれていなかった話を、わざとしました」
私は彼を見た。
「仕返しですか」
「小さいですが」
私は笑ってしまった。
夫も笑った。
救われた気持ちになるのが、少し悔しかった。
「でも、子どもたちの外套は要ります」
私が言った。
「そこは、腹が立っていなくても変わりません」
「それなら、そこから考えましょう」
夫の袖へ、私は手を伸ばした。
二度、軽く引いた。
彼が目を落とす。
「帰りたい?」
「はい」
私は答えた。
「早く、うちへ」
夫は何も言わなかった。
ただ、私の手の上へ、自分の手を重ねた。
窓の外では、王都の人々がそれぞれの家へ歩いていた。
私たちの馬車も、その中を進んだ。




