↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冷遇された令嬢の政略結婚、旦那様と悪口の趣味が合いすぎます  作者: 星舟能空


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/33

第04話 贈り物には顔がある

 伯父の顔が届いたのは、結婚二日目の昼だった。

 実物ではない。

 絵だった。

 縦が私の肩ほどもある立派な油絵で、金色の額縁の中から、ガストン卿が未来を見つめていた。未来は画面の左上にあるらしい。

 胸に勲章が三つ。右手には書物。左手は、何かを支えるように宙へ浮いている。

 支えられているものは描かれていなかった。


「結婚の祝いに」


 バジルが説明した。

 絵を運んできた職人二人は、玄関で困っていた。受け取らないと言われても、持ち帰る馬車をもう返してしまったそうだ。


「どうして、伯父様なのでしょう」


 私が夫に尋ねると、夫は絵を見たまま答えた。


「自分が一番よい物だと思っているからでしょう」


 職人の一人が唇を噛んだ。

 私は、その人のために笑わないであげた。

 夫は少しも努力をしていない顔だった。


「こちらも、お預かりしております」


 もう一人が、小さな紙を差し出した。

 設置場所の指定だった。

 大広間の暖炉の上。

 客の目に触れる、最もよい位置である。


「よくお分かりで」


 私は言った。


「絵ですから、一度座れば二度とお席を譲らなくて済みますもの」


 夫がこちらを向いた。


「あなたなら、どこへ飾りますか」

「私が決めても?」

「あなたへの贈り物でもあります」


 私は絵をもう一度見た。

 ガストン卿の口元は、何かを語ろうとしていた。

 実物に似ている。

 他人に口を挟ませる気がないところまで、よく似ていた。


「北の小間はいかがです」


 バジルが、わずかに眉を動かした。

 夫は私を見た。


「まだ、ご案内していませんが」

「さっき通りかかった時に、見えました。椅子が一つだけありますね」

「あります」

「訪ねていらした伯父様に、ご自分と向かい合ってお座りいただけます」


 夫は長く黙った。

 それから、実に静かな声で言った。


「私が考えた場所より、ずっと上品です」


 職人が今度こそ咳をした。


 絵は北の小間へ運ばれた。

 私は職人の後ろを歩いた。夫もついてきた。

 何をしているのだろう。

 結婚二日目の夫婦が、どこへ伯父を掛ければもっとも腹が立つか相談している。

 不思議なことに、今朝の庭と同じくらい楽しかった。


 絵を掛けると、北の小間は急に暑苦しくなった。

 小さな椅子に座れば、視線の先に伯父の顔しかない。

 バジルは配置を確かめて、淡々と告げた。


「大変、存在感がございます」

「本人も、喜ぶでしょう」


 夫が答えた。

 私は窓を開けた。

 少し風を入れないと、この部屋には未来が多すぎた。


 *


 職人に茶を出すよう頼んで玄関へ戻る途中、小さな物音がした。

 絵を包んでいた布の下から、細い板が落ちたのだ。

 夫より先に私が拾った。

 裏側に、絵の具で人の顔が描かれていた。

 ガストン卿ではなかった。

 年を取った女性だった。

 頭巾をかぶり、笑っている。歯が一本欠けていた。


「それ、すみません」


 職人の若い方が、すぐに手を伸ばした。

 私は板を返した。


「絵描きの方なのですか」

「見習いです。運ぶ方も、やっております」

「綺麗な絵でした」


 若者は困ったように笑った。


「顔の練習です。余った板があったので」

「どなたを?」

「母です」


 私は改めて彼の顔を見た。

 絵の中の女性に似ていた。

 特に、笑う時の目元が。


「伯父の絵も、あなたが?」


 夫が尋ねた。


「下塗りと、手のあたりを少しだけ。顔は師匠が」

「左手が宙に浮いていましたね」


 私はつい言った。

 若者の顔が赤くなった。


「もとは、寄付の箱をお描きする予定だったのです。でも、旦那様が、大きい物を前に置くと礼服が見えないとおっしゃって」


 私と夫は目を合わせた。

 箱だけが消えて、寄付をする立派な自分は残した。

 いかにもガストン卿らしかった。


「手はそのままに?」

「時間がなかったものですから」


 私はもう一度笑いそうになった。

 しかし若者の顔を見て、やめた。

 私たちが笑っていたものを、この人は徹夜で描いたのかもしれない。


「難しい注文ですね」


 そう言うと、若者の肩が少し下がった。


「ええ。……いえ、どんなご注文でも、勉強になります」


 後半は暗記した言葉のようだった。

 私は聞き覚えがあった。

 どんなお手伝いも、あなたのためになるのよ。


 夫が、執事へ目を向けた。


「運賃は、支払い済みか」

「いえ。先方では、こちらで受け取るようにと」


 夫の表情が変わった。

 笑っていたところが、なくなった。


「贈り物の運賃を?」


 職人の年上の方が、帽子を両手で持ち直した。


「申し訳ありません。私どもは言われたとおりに」

「あなたに言ったのではありません」


 夫の声は、思ったより鋭かった。

 若者が板を自分の背中へ隠す。

 私は夫の袖を引いた。


「ロラン様」


 彼が私を見る。

 私は、若者が握りしめている板の角を目で示した。

 夫の視線が一度そこへ落ちた。


「……失礼しました」


 夫が二人へ言った。


「代金はここで払います。次に伯父の依頼を受けた時は、こちらに請求が回る仕事か、先に尋ねてください」


 バジルが二人を案内していった。

 私はその背中を見送った。

 少し遅れて、夫が言った。


「怖がらせましたね」

「ええ」


 彼は反論しなかった。

 私は、もう少し言うか迷った。

 今朝会ったばかりの花に喜び、昨夜出されたスープにほっとしていた私が、もうこの人へ何か言うつもりなのか。


「伯父様が悪いことは、お二人とも分かっていらしたと思います」


 私は言った。


「分かっていることを、怖い声でもう一度聞くと、自分に怒られている気になります」


 夫が私を見た。

 まっすぐ見られて、少し怖かった。

 それでも言ってしまったものは戻らない。


「気をつけます」


 彼は答えた。

 素直すぎて、私は次の言葉を失った。


「妻に叱られました、と伯父へ書きますか」

「おやめください。ご自分が叱らせたと思ってお喜びになります」


 夫が息を吐いた。

 笑いに近い息だった。


「確かに」


 私は自分の袖口を直した。

 味方であることと、何でも同じに思うことは、どうやら少し違うらしかった。


 *


 昼食の後、伯父からもう一つ届け物が来た。

 今度は招待状だった。


 冬の灯祭、貴族慈善舞踏会。


 半年先の催しだったが、準備会は来週開かれる。

 主催者はガストン卿と伯母アデライド。

 私は二人の名前を見て、結婚式の庭で交わした冗談を思い出した。

 入れ替えなくても、もう十分に組んでいたのだ。


「毎年なのですか」


 夫に聞かれた。


「ええ。伯母は、王妃様の御名で行う催しの中でも、特別に格式があるのだと」

「伯父は、最も自由にやれると」

「同じ催しですね」

「間違いなく」


 招待状には、私の新しい名前があった。

 ヴィヴィアン・ド・ヴェルヌ侯爵夫人。

 旧姓を使われるより、ずっと面倒な気がした。


 来週の準備会に、必ず夫婦で出席のこと。

 なお、花嫁の初仕事として、参加各家への連絡、衣装の色分け、子どもたちの合唱練習の手配を任せる。


「初仕事」


 私は繰り返した。


「十年目ですが」


 夫が招待状を受け取った。

 眉間が狭くなる。


「断ります」


 彼は言った。

 今度は私より早かった。

 私は彼の手に、自分の指を置いた。


「お待ちください」


 彼が驚いた顔をした。


「行かれたいのですか」

「少し」


 自分でも意外だった。

 昨日までは、こんな招待状が来たらお腹の底が冷たくなったはずだ。

 今も嬉しくはない。

 けれど、隣に夫がいる。


「いつも私は、準備をする部屋にいて、お茶を飲む部屋にはあまり入らなかったのです」


 私は招待状を指した。


「夫婦で出席とあります。今度は、客として椅子に座ってみたいです」


 夫は私を見た。


「嫌なことを言われるでしょう」

「ええ」

「私のことも」

「きっと」


 私は少し笑った。


「聞き比べませんか。どちらの親戚の方が、上手に失礼を言うか」


 夫はすぐには笑わなかった。

 私の顔を確かめているようだった。

 やがて彼は招待状を卓へ置き、こちらへ手を差し出した。


「いいでしょう。ただし、途中で帰りたくなったら帰ります」

「あなたが?」

「どちらでも」


 私はその手を取った。

 手袋をしていなかった。

 昨日、祭壇の前で触れた時より、ずっと温度が近かった。


「帰る合図を決めましょう」


 私が言った。


「咳払いですか」


 夫に尋ねられ、私は首を振った。


「それでは、昨夜からもうお帰りになりたいことに」


 言ってしまった。

 夫が動かなくなった。

 私も動けなかった。


「……あの咳払いは」


 夫が、慎重に言った。


「あなたの部屋を出てから、緊張していたことに気づいたのです」


 私は彼の手を見た。

 その手に触れている自分の指を見た。


「何に」


 聞かなくてもよかったのに。


「新しい妻と、二人でいたことに」


 私は目を上げられなくなった。

 夫も黙った。

 私たちは、他人の話なら何時間でもできそうなのに、自分たちの話になると急に下手だった。


「……では、咳払いはやめましょう」


 私がようやく言った。


「そうしましょう」


 夫が同意した。

 帰る合図は、その日は決まらなかった。


 夕方、北の小間の前を通ると、ガストン卿の絵の前に椅子が二つ置かれていた。

 私が数を間違えたわけではない。

 バジルが通りかかったので尋ねると、彼はいつもの落ち着いた声で答えた。


「旦那様が、奥様とご一緒にご鑑賞なさるかもしれないと」


 私は金の額縁を見上げた。

 伯父は相変わらず、画面の左上を見ている。

 たぶん、自分が新婚夫婦の逢瀬に使われる未来までは、見えていない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。