第30話 肖像画にも帰る家がある
灯祭の後、伯父様から請求ではなく、申し入れが届いた。
肖像画を返してほしいという。
私は朝食の卓で、二度読んだ。
「お帰りになりたいそうです」
ロラン様が手紙を覗いた。
「本人が?」
「絵の方が」
「それは残念です。非常によい聞き手でした」
私は笑い、手紙を彼へ渡した。
理由は、新しく作る応接室に飾りたいからだった。私たちの家では目立つ場所に置かれていないと聞いたらしい。
どこから聞いたかは、尋ねなかった。
あの小部屋へ案内した客は、二人ではない。
「お返ししましょう」
「よろしいのですか」
「少し、寂しくはあります」
「思い出がありますね」
私たちは北の小部屋を思い出した。
不仲の練習。
誕生日の悪口。
布を掛けられた伯父様。
私は笑ってしまった。
「持っていかれる前に、お別れを」
肖像画は、相変わらず立派だった。
宙に浮いた手。
重そうな飾り。
自分を信じて疑わない目。
私はその前に立ち、深く一礼した。
「お世話になりました」
ロラン様も隣で頭を下げた。
「我々を、黙って見守ってくださった」
「貴方の御親族で、初めてでは?」
「祖父は、時々口を出しました」
「では、一番ですね」
私たちは、しばらく真面目な顔を保った。
先に笑ったのは、彼だった。
絵を外す時、壁の色が少し違っているのが分かった。
大きな四角が残る。
「次に何を掛けますか」
バジルが尋ねた。
私はロラン様を見た。
「まだ、決めていません」
彼が答えた。
「急がずに」
私は頷いた。
空いた場所を、すぐ誰かで埋めなくてもよかった。
*
伯母からは、春の茶会の招待が来た。
仕事の依頼は、添えられていなかった。
私は手紙を机へ置き、しばらく考えた。
行けば何か頼まれるかもしれない。
行かなくても、何か言われるだろう。
以前なら、どちらが怒らせないかを考えた。
今は、行きたいかを考えた。
答えは、今回は行かない、だった。
私は短く返事を書いた。
その日は予定がある、と。
嘘ではなかった。ロラン様と、何もしない午後を取っていた。
空いている時間は、誰かに渡す前の空白ではない。
私たちが使う時間だった。
ジュリエットからは別に便りが来た。
春になったら二人で昼食を取ろう、と。
母にはまだ話していない、とも。
私はそれには、ぜひと返した。
彼女を伯母と一緒にしか見ないことも、もうやめられそうだった。
許したというより、別のものを見てみたい。
そういう気持ちだった。
伯父様の舞踏会が大失敗だった、という話は聞かなかった。
晩餐は出たし、音楽も鳴った。
ただ、長い挨拶の話と、早く帰った人の話は残った。
ドゥーネ夫人は「来年の若い主催は、まだ決まらないのね」と、会うたびに伯父様へ尋ねているらしい。
子爵夫人から聞いて、私は笑った。
「御親切ですわね」
「ええ。物覚えのよい方なの」
それで十分だった。
伯父様が世界から消える必要はない。
ただ、自分で言った言葉のそばに、もう少し長くいていただければよかった。
*
冬の終わりに、私たちは小さな絵描きの店を訪ねた。
肖像画を届けに来た時、母親の絵を描いていた若い職人が、そこにいた。
ロラン様が場所を覚えていて、使いの人に確かめたのだ。
青年は私たちを見て、目を丸くした。
「御用命ですか」
「小さな絵を、頼めますか」
私は言った。
「大きな応接室ではなく、二人で座る部屋へ掛けるものを」
「御夫妻の肖像画で?」
「それがよいかしら」
ロラン様を見ると、彼は私を見ていた。
「貴女のお好きなもので」
「では、貴方も入ってください」
「私も?」
「私だけでは、伯父様に勝てません」
青年が不安そうな顔をした。
私は慌てて笑った。
「大きさの話ではありません。夫婦で、普通に座っているところを」
店の奥から、年配の女性が顔を出した。
青年の母親だった。
私はあの小さな板に描かれた顔を思い出した。実際の彼女は、絵より少し笑い皺が多かった。
「お掛けになって」
彼女は椅子を二脚出した。
私たちは並んで座った。
青年が紙を置き、木炭を持った。
「もう少し、お顔をこちらへ」
私は顔を動かした。
「旦那様も」
ロラン様が向きを変えた。
「奥様を見ずに、こちらへ」
私は吹き出した。
彼が咳払いをした。
「失礼」
「動かないでいただけると」
「申し訳ありません」
今度は私が謝った。
描かれるというのは、思ったより難しかった。
何もすることがないと、つい彼を見る。
彼も同じらしく、何度も青年に直された。
とうとう青年は木炭を置いた。
「お二人で、お話ししていただいた方がよろしいでしょうか」
「その方が、得意です」
ロラン様が答えた。
私は彼を見た。
「悪口になりますよ」
「音は描きませんので」
青年の返事があまりに速くて、私たちは揃って笑った。
その瞬間、彼は慌てて木炭を動かした。
できあがるまでには、何度か通うことになった。
帰り道、私はロラン様の腕へ手を添えた。
「絵になった私たちは、静かでしょうね」
「そうですね」
「私たちが喧嘩しても、笑っている」
「腹が立ちそうです」
私は笑った。
「布を掛けますか」
「伯父と同じ扱いは、気の毒です」
「では、仲直りするまで裏返す」
彼がこちらを見た。
「その前に、話しましょう」
「ええ」
私は頷いた。
絵の中でだけ仲のいい夫婦になるのは、つまらない。
今ここで、袖を引けば振り向く人がいい。
家に帰ると、北の小部屋は夕方の光が入っていた。
壁はまだ空いていた。
私は二脚の椅子を少し近づけた。
ロラン様がその片方へ座る。
私はもう片方へ座り、手を伸ばした。
すぐに、彼の手が来た。
絵がなくても、部屋はもう寂しくなかった。




