↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冷遇された令嬢の政略結婚、旦那様と悪口の趣味が合いすぎます  作者: 星舟能空


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/33

第11話 最後のひとくちは誰のもの

 ロラン様は、お菓子をひとくちだけ残す。

 大きな菓子でも小さな菓子でも、最後に親指の爪ほどを皿へ置く。最初はお腹が一杯なのだと思った。次は、その部分だけ不味いのかと思った。

 三度目には、尋ねた。


「その端に、侯爵家の守るべき秘密が入っているのですか」


 庭の楡の木の下だった。日差しが強くなって、午後のお茶を外へ運んでもらった日のことだ。

 彼は皿を見た。


「いえ」

「では、食べても?」

「どうぞ」


 私は杏の焼き菓子をつまんだ。普通に甘かった。横の犬が不満そうに鼻を鳴らした。


「貴方には多いのよ」

「私もそう思います」

「ロラン様ではなく、ドンです」

「分かっています」


 彼は笑ったが、それから少し遠くを見た。


「祖父に残していたんです」

「お祖父様に?」

「父は甘いものを嫌ったので、祖父も自分のためには頼まなかった。私が余らせると、勿体ないと言って食べる」


 本人が食べたいと言えば済む家ばかりではない。侯爵家にも、そんな小さな窮屈さがあったのだ。


「悪いお孫さん」

「食べられない振りは、なかなかのものでした」

「今は?」

「習慣ですね。祖父が亡くなって、十二年になります」


 私は空になった皿を見た。


「先に言ってください。食べてしまいました」

「祖父が困ることはありません。もう歯も必要ないでしょうし」

「随分と便利なところへいらしたのね」

「冬も膝が痛まないなら、なおいい」


 笑っている彼の横顔を見た。その人が好きだったのだろう。今ここにいない人を話す時、ロラン様の声は少しだけ幼くなる。

 私は自分の焼き菓子を半分に割った。


「祖父の分を返してくださるのですか」

「私が半分食べてしまわないうちに、どうぞ」


 彼は受け取って、残さず食べた。

 代わりに私の指先に付いた粉を、彼の親指が払った。なんでもない動きだった。なのに私は、その指を目で追ってしまう。


「まだ付いています?」

「いいえ」

「では、なぜ見ているのですか」

「貴方のせいです」


 彼はよく分からない顔で、それでも少し楽しそうにした。私は困らせたかったのに、自分ばかり困っている。


 その時、バジルが封書を持ってきた。


「フィリップ子爵夫人からでございます」


 中身は、来月催す予定の仮装の夜会についての相談だった。友人だけを呼ぶ、小さなものらしい。参加者が一曲ずつ歌うか、何か芸を披露する。夫人は私たちにも一緒に考えてほしいと書いていた。


「芸」


 ロラン様が、その一文字を疑うように読んだ。


「私の何を期待しているのでしょう」

「お客様が帰らない時、睨んでいただくためでは」

「それなら専業の者を雇うより安く済みますね」


 同封の小さな紙には、夫人の筆で追伸があった。

 ――夫は鶏をやりたいと言っています。私の夫が鶏である夜を、一人で乗り切る勇気がありません。

 私は声を上げて笑った。


「伺いましょう。子爵夫人が気の毒です」

「助けになるでしょうか」

「少なくとも、目を合わせて笑える人が増えます」


 彼は手紙を見ながら考えていた。


「仮装をすると、人は普段しないことをするそうですね」

「貴方も、踊りがお上手に?」

「そこまでの奇跡は見込んでいません」


 庭の風が紙をめくった。その下に、参加者の候補が見えた。

 オクターヴ・ルセル。

 私は、彼より先にその名前を見つけた。


     *


 子爵夫人は二日後、私たちが訪ねると、腕いっぱいの布を抱えて出てきた。


「見て。これ、尾羽ですって」


 赤茶の羽飾りが彼女の頬に刺さりそうになっていた。


「見事な鶏ですね」

「まだ尾しか来ていないのに、夫より場所を取るのよ」


 ロラン様が無言で大きな羽を受け取った。居間まで運ぶ姿を見ていると、私はどうしても笑ってしまった。


「お似合いです」

「結婚式にも言われました」

「今日は本心」

「結婚式は?」


 夫人が面白そうにこちらを見たので、私は返事をやめた。

 居間の卓には仮面が並んでいた。猫、梟、狐、蝶。私は狐を手に取った。金色の輪郭に黒い耳があり、笑っているのか噛みつくのか分からない顔だった。


「それ、貴女にと思って」

「私、こんなに耳が尖っています?」

「お話を聞く時の気配がね」


 夫人は自分に蝶を当ててみた。


「名前を呼ばず、声を少し変えて挨拶するの。立派な人も、立派でいないで済むでしょう。うちの夫は、普段からさほど立派ではないけれど」


 フィリップ子爵が奥から現れた。脇に鶏の頭を抱えている。


「私は十分立派な鶏になるつもりだよ」

「それは明らかですわ」


 夫人は一度も否定しなかった。

 夫婦で一緒に、くだらないことを準備している。

 こういう時間を、私は羨ましいと思った。招待客を何人呼べるかでも、何を褒められるかでもなく、鶏の尾が大きすぎることを二人で困っている。


「私たちも仮面を選びましょう」


 私はロラン様を見た。


「貴方は何がお好き?」

「顔を隠せるもの」

「仮面ですもの」

「それはよかった」


 彼は黒い猫を持ち上げた。こちらへ向けると、切れ長の目がよく似ている。


「悪い猫」

「狐に言われるとは」


 私が彼に仮面を当てると、夫人が「動かないで」と言った。紐の長さを調べるから、と私に後ろへ回るよう促した。

 髪の下に指を入れる。襟に触れた彼の首筋が温かかった。


「きつくありません?」

「いえ」


 いつもより低い返事だった。


「それじゃあ、そのままで」


 私は結び目を作った。指を離す前に、彼が少しこちらを向いた。

 黒い猫の顔越しに、私を見ていた。

 口元だけ見えるのは、顔が全部見えるよりずっと困る。


「狐も着けてみたら?」


 夫人に言われて、私は我に返った。


 話が催し物に移ると、子爵は詩の朗読も頼んだのだと言った。


「ルセル君が来てくれる。夫人の従弟と親しくてね。控えめな人だが、読んでもらうと案外面白い」


 私はロラン様の仮面を膝の上へ置いた。


「御存じですか」


 子爵が彼に尋ねる。


「学校で一緒でした」

「それはよかった。懐かしいだろう」

「彼がそう思うかは、分かりません」


 部屋が少し静かになった。

 私は口を挟まなかった。ロラン様が自分で言った言葉だった。


「昔、不愉快なことを言ったので」

「まあ。夫は今でも言うわ」

「私は鶏にまでなろうとしているのに」

「それでは埋まらない穴があるのよ」


 夫人が軽く返してから、ロラン様へ向き直った。


「では、お会いになる?」

「ええ。彼が嫌でなければ」

「お伝えしておくわ。断られたら、それもお伝えします」

「お願いします」


 帰りの馬車で、彼は黒猫の仮面を眺めていた。


「逃げ道が減りました」

「猫なら窓から逃げられます」

「狐も一緒に?」

「お話が終わったら」


 彼は笑って、私の仮面を指でつついた。


「貴女が詩を好きだと知らなければ、会おうともしませんでした」

「私に免じて、というお願いはなさらないでね」

「それをすると、貴女にもっと嫌われそうです」


 私は彼の袖を掴んだ。


「嫌ってはいません」

「知っています」

「そういうところは、少し嫌いです」


 すぐ分かるような顔で笑わないでほしい。

 私は窓を見ようとしたけれど、彼の手が私の手に重なって、失敗した。


     *


 仮面を見つけたドンが吠えた。

 ロラン様が猫を着けてみせると、さらに吠えた。私が狐を当てると、急に黙って鼻を押しつけてきた。


「どうしてですか」

「見抜かれたのでは。猫はお嫌いなのね」

「私が悪かったような言い方ですね」


 私は仮面を外し、猫の顔へ近づいた。


「にゃあ」


 ドンが首を傾けた。

 ロラン様が目を閉じた。


「人前で、それを?」

「何です、その顔」

「夜会でなさるのかと」

「犬には受けましたけれど」

「犬だけにしておいてください」

「貴方には受けませんでした?」


 彼は返事をしないで、私の腰へ手を添えた。

 廊下だった。誰が来るか分からない。


「ロラン様」

「少し、受けすぎました」


 猫の鼻が邪魔になって、彼は仮面を外した。

 私は笑った。そのせいで口づけが頬へずれ、彼がもう一度やり直すことになった。

 ドンだけが、何がおかしいのか分からない顔で私たちを見上げていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。