第6話 暗殺容疑者への色仕掛け①
「――よし、集まったな。では今回の任務を説明する」
エレナが影の本部へ赴くと、すでにそこにはダチュラ、ヘムロック、アコナイトの三人も集まっていた。
総長はエレナの姿を認めるなり、全員に座るよう目で促し、さっそく詳細な任務内容を話し始めた。
その説明によれば、今回はインメルの外交官暗殺未遂の犯人とされる男を探ること。
本当に犯人なのか、それとも誰かに罪を着せられたのか。
その証拠を見つける任務だという。
黒の場合は暗殺命令まで下されていた。
(……この指示を出したのが、あの公爵様なのよね? 店での姿からは想像できないけれど)
エレナの脳裏にシュタルク公爵がよぎる。
店の常連になりつつある彼は、当初こそ噂通りの冷酷無慈悲な男に見えた。
だが、何度か顔を合わせ、言葉を交わしているうちに、エレナの中で彼の印象は変わってきていた。
(……なんていうか、思った以上に普通の人なのよね)
会話の内容は他愛ないものばかり。
好物の菓子の話になれば、険しい顔をしたまま饒舌になる。
本人は顔に出していないつもりかもしれないが、林檎を食べている時などは、頬がわずかに緩んでいた。
(そんな公爵様が暗殺命令……なんだか不思議な気分だわ)
とはいえ、彼も国家安全保障局の長官として責任ある立場だ。
必要とあれば、感情を殺して判断するのだろう。
かくいうエレナだって同じだ。
影の諜報員として、任務であれば暗殺だって厭わない。
(立場は違うけれど、公爵様の気持ちは分かるわ。国の安寧のためだもの)
エレナが総長の話を聞きながら、頭の片隅でそんなことを思っていると、いつの間にか説明は終わっていた。
その場に沈黙が落ちている。
皆、それぞれ任務内容を反芻しているようだ。
そこに総長がさらに言葉を重ねる。
「――今回は迅速さが重要となる。そこで標的への接触および証拠収集をベラドンナに任せる。得意の色仕掛けで籠絡し、証拠を掴め」
「分かりました」
「他の三人はサポートだ。ダチュラは任務に必要な道具の準備を、ヘムロックは黒が確定した時の暗殺を、アコナイトには現場で発見されたこの暗殺指令書の解析を任せたい」
話し終えると総長は、パンッと手を打つ。
それが行動開始の合図となり、各々が動き始める。
エレナはまず標的に関する資料を頭に叩き込むと、次にダチュラに声をかけた。
「ダチュラ、今回は異国の未亡人に扮して夜会に潜入するわ。標的に接近した時に、薬で眠らせたいのだけれど、証拠の残らないものを手配してくれない?」
「オッケー、お安いご用だよ! ちょうど最近、薬の開発に凝っててね。色々作ったからぜひ使ってよ!」
彼女は「取ってくるね!」と言いながら手を振ると、本部内にある開発部屋へ駆けていった。
続いて視線をヘムロックに向ける。
「ヘムロック、標的が黒だった場合の手筈を決めておきましょう」
「……そうだね。ボクは基本的にベラドンナの任務中、気配を消して近くに控えているようにするよ」
「私は夜会で標的に接触したら、彼の邸宅に連れて行ってもらえるよう動くわ。そこで情報を集めた後、一度落ち合うのはどう?」
「……分かった、そうしよう。黒確定なら、その後にボクが暗殺に向かうよ」
「ええ、それなら私が標的から離れた後になるから、疑いがこちらに向くこともないわね」
「殺すだけなら簡単なんだけど……今回は事故死の偽装が必要かぁ。どうやるかなぁ」
大筋を詰め終わると、ヘムロックはひとりでぶつぶつとつぶやき、暗殺方法の検討に入ったようだった。
エレナはその姿を見るなり、「また始まった」と苦笑いし、そっと彼から離れる。
「ちょうどよかった。ベラドンナ、少しいいかい?」
すると、そこへアコナイトが紙をひらひらと振りながら近づいてきた。
どうやら暗殺指令書の解析をすでに終えたらしい。
二人は近くの席に腰を下ろすと、顔を突き合わせた。
「結論から言うと――これに使われてる印章は本物だった。ライノット侯爵家のもので間違いない」
「……つまり、侯爵が黒の可能性が高いってこと?」
「いや、必ずしもそうとは言い切れないね」
「そうなの? その根拠は?」
「これから改めて綿密に調べてみるけど……封蝋の色に違和感があるんだ。もしかしたら、第三者によって印章が不正に使われたのかもしれない」
「……なるほど。それなら侯爵の邸宅で印章を調べる必要があるわね。ありがとう、これで調べるべき場所が絞れたわ」
エレナは唇に小さく笑みを浮かべると、その場からすっと立ち上がった。
(さて、そろそろ変装を始めないとね)
お誂え向きなことに、今晩ライノット侯爵が出席する夜会が予定されている。
エレナはさっそくここへ潜入するつもりでいた。
異国の未亡人を装うなら、身支度に時間を要するだろう。
頭の中でどんな女性を演じるか思い描きながら、本部内の自室へ赴いた。
◇◇◇
そして――その夜。
ある伯爵家の邸宅で、仮面夜会が華やかに催されていた。
礼服に身を包んだ紳士と、色鮮やかなドレスの淑女が集う。
その全員が目元を覆う仮面をつけていた。
相手が誰か分からないからこそ、いつもよりも大胆になれる。
ここに集う者たちは、そんな秘密の出逢いと刺激的な駆け引きを楽しんでいた。
その会場にまたひとり、艶やかな紫色の仮面を纏った女が入ってきた。
ゆらり、ゆらり。
女がしなやかに歩くたびに、豊満な体の曲線をなぞるようにドレスが揺れる。
仮面の下から覗く唇はゆるりと弧を描き、口元の下にあるホクロが蠱惑的だ。
匂い立つような色気を全身から漂わせるその女は、たちまち男たちの視線を釘付けにした。
その男たちのひとり――ライノット侯爵も思わずごくりと唾を呑む。
(なんと妖艶な女だろうか。仮面で顔を隠しているにもかかわらず、彼女の美貌が透けて見えるようだ)
好色な中年男であるライノット侯爵は、強く興味を掻き立てられた。
少し離れた壁際でワインを飲みながら、上から下まで舐めるように女を見つめる。
その時、ふと女がこちらを向いた。
ほんの一瞬、ライノット侯爵と女の視線が絡む。
すると何を思ったのか、突然女が導かれるように彼のもとへ歩み寄ってきた。
「ご機嫌よう、紅蓮の紳士様。先日もお会いいたしましたわよね? その節は素敵な夜をありがとうございました」
微笑みを浮かべた女から、鼓膜を優しく撫でるような声がかかる。
その声音だけでライノット侯爵は激しく昂った。
ついドレスの上から女の体の曲線をなぞるように、ねっとりとした視線を滑らせる。
しかし、彼女の言葉の意味はよく分からない。
まるで誰かと間違えているかのようだ。
「ご機嫌よう、美しい方。……残念だが、私を誰かと勘違いしているようだ。私は君にお目にかかるのは初めてだよ」
「まぁ、それは大変失礼いたしました。赤い仮面が同じでしたから、すっかり間違ってしまったようです。……お恥ずかしいわ」
女は口元に手を当て、少し頬を染めながらそっと目伏せた。
その仕草の一つひとつが、そこはかとなく色っぽい。
妖艶な見た目とは裏腹に、少女のような初々しい反応も男心を刺激した。
「……人違いとはいえ、これもなにかの縁だ。もし良ければ、ワインでも飲みながら少し話をしないかな?」
「ええ、ぜひ。嬉しいお誘いですわ」
仮面の奥から覗く、女の潤んだ瞳が細められる。
二人はそのままバルコニーに出て、あれこれと言葉を交わした。
仮面夜会では、お互いの素性を探るのは御法度。
だが、話していると自然と分かることもある。
女は異国の貴族に嫁いだ未亡人のようだった。
二十代の若さで夫を亡くし、最近母国へ戻ってきたと切なげに語った。
「……それは大変だっただろう。寂しさを紛らわすために夜会へ?」
「そうなんですの。夫を亡くしてから、とても寂しくて。――心も、体も」
ぽつりと溢された言葉に、ライノット侯爵の喉が鳴る。
たまらず女の肩を抱き寄せた。
彼女から甘やかな花の香りが漂い、陶酔した気分にさせられる。
「君のその美しい仮面の下を見せてくれないか?」
「ふふっ、お戯れはおよしになって? 大勢の方が見ておりますもの、素顔を晒すわけにはいきませんわ。……でも、貴方様には特別に少しだけ」
女は悪戯っぽく笑い、彼にだけ見える角度で、ほんのわずか仮面を持ち上げた。
「……ッ」
途端にライノット侯爵は言葉を詰まらせる。
それほどまでに、チラリと覗いた女の素顔は美しかった。
(こんな極上の女には、二度とお目にかかれない)
彼の女好きの血が熱く騒ぐ。
彼女の肩を抱く手に力を込めると、女も彼に身を委ねてきた。
そして豊かな膨らみを押しつけながら、耳元でささやく。
「もっと静かで、誰にも邪魔されない場所に連れて行ってくださる? 貴方様の邸で二人きりになれたのなら……わたくし、仮面も、ドレスも、すべてを脱ぎ捨てても構わないわ」
この瞬間、ライノット侯爵の理性はいとも簡単に吹き飛んだ。
目の前の女が欲しくて欲しくてたまらない。
飢餓にも似た欲望が胸を支配し、女の気が変わらないうちにと急いで帰宅を決めた。




