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凄腕スパイは甘い嘘を焼き上げる 〜秘密の菓子店を営んでいたら、冷酷公爵様が常連になりました〜  作者: 美並ナナ


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第3話 招かれざる客

チラリと様子を窺えば、シュタルク公爵は眉間に深い皺を刻んでいる。


眼光は鋭く、店内に並ぶ焼き菓子を、親の仇でも見るように睨みつけていた。


どう見ても菓子に興味などなさそうだ。


ますます彼がここに来た理由が分からない。


(私が影の諜報員・ベラドンナだとは知らないはずよね……?)


国家安全保障局の長官と直接顔を合わすのは、影の中でも総長だけだ。   


長官は命令を下す立場ではあるが、任務遂行に際して、実際に采配するのは総長である。


だから彼はコードネームまでは把握しているだろうが、影のメンバーの素顔までは知らない。


とはいえ、このまま接していたら、ひょんなことからバレてしまう恐れもゼロではないだろう。


任務の時ならまだしも、休みの日くらい、関わりたくない。


(何しに来たか知らないけれど、早く帰ってくれないかしら)


エレナは無理やり笑みを顔に貼り付ける。


「――お客様、当店へは初めてですよね。こちらの焼き菓子を販売してますが、どちらになさいますか?」


みんなが思い浮かべるであろう、菓子店の店主らしい振る舞い。


エレナはほぼ無意識にそれを演じ、シュタルク公爵に声をかけた。


途端に彼の視線が焼き菓子からエレナに向けられる。


相手の心の奥まで暴いてしまいそうな漆黒の瞳に見据えられ、エレナは一瞬息を呑む。


もちろん表には出さない。


何食わぬ顔で微笑み続けるも、妙に胸がざわついた。


(……さすが冷酷無慈悲な公爵家様。視線だけで相手を威圧するのね。油断ならない人だわ)


気を抜いたら正体が露呈してしまうかもしれない。


エレナは気を引き締める。


その心の内とは裏腹に、穏やかな笑顔を浮かべた。


「……この店は、最近開店したのか?」


「えっ? いえ、三年前です」


「三年前? 以前この辺りに来た時には、気づかなかったな」


「もしかしたら、営業していない日だったのかもしれませんね。当店は不定期営業ですので」


「不定期だと?」


「はい。店先の吊り看板に赤いリボンがある日のみ、営業しています」


何をしに来たのかと警戒を滲ませるエレナを拍子抜けさせるほど、シュタルク公爵の第一声は、ごく普通の質問だった。


初めて来る客によく尋ねられる内容である。


エレナも慣れたように滞りなく答えた。


しかし、普通の会話であればあるほど、かえって違和感が募る。


諜報員にさえ情け容赦ない任務を下す公爵と、なぜこんな呑気な会話を繰り広げているのか。


しかもバターと砂糖が織りなす甘い香りが漂う空間で。


(えっ、もしかして……普通にお客さんとして来たの? まさかね?)


そう思ったまさにその時。


シュタルク公爵は、焼き菓子を指差し、淡々と告げた。


「林檎パイ、苺タルト、マドレーヌ、カヌレ。それぞれ一つずつ頼む」


(頼むって……つまり購入!?)


内心で驚きつつも、エレナはその感情を必死で押し留めた。


何食わぬ顔で、菓子を箱に詰め始める。


そしてお会計の後、公爵に手渡すと、彼は何事もなかったように去って行った。


「な、なんだったの……?」


しんと静まった店内に、上擦ったエレナの声が響く。


公爵に正体を悟られる事態にはならず、無事に切り抜けられたのは喜ばしい。


なのに、この胸の内のモヤモヤはなんだろう。


行き場を失った疑問が渦巻いてしょうがない。


「……四つも買って行ったけど、あれをあの公爵様が食べるの? 自分で? 本当に?」


正直言ってまったく想像できない。


なにしろ、あんなに険しい表情で、焼き菓子を睨みつけていたのだ。


(待って、自分で食べるって決めつけるのは早計だわ。お土産かもしれないわよね?)


確かあの公爵は独身だったはず。


けれど、甘いもの好きの可愛い恋人がいてもおかしくはない。


それか部下のために買って行ったという線もありうる。


「うん、きっとそうだわ。そうに決まってる!」


その方が違和感がないし、納得がいく。


エレナはそう結論づけると、ようやくほっと息をついた。


(この店を見つけたのは偶然みたいだったし、きっと二度と会うことないわよね)


その時は、そんなふうに思っていたのだが――


「今日はその林檎パイとマドレーヌ、マフィンを頼む。ああ、林檎パイは三つで」


四日後、彼はなぜか再び姿を現した。


前回同様、護衛もなしにひとりで。


しかも購入する数が増えている。


(……お土産を貰った人が気に入ってくれたってこと? 特に林檎パイを?)


予想外の再来店に目を丸くしつつも、エレナは笑顔で応じる。


注文通りに菓子を箱に詰め始めると――ふとシュタルク公爵が店の一角にある席を指差した。


「販売してる菓子は、あそこで食べることもできるのか?」


「えっ? あ、はい。そうですけど……?」


ふいに声をかけられて、エレナは一瞬ビクッと体を揺らした。


だが、すぐ取り繕い、ごく普通に答える。


何でそんなことを聞くのだろうと思いながら、少し首を傾げた。


すると、その情報を知った公爵は、思いもよらないことを口にした。


「それなら、林檎パイの一つはあそこで食べていく」


「えっ!?」


「飲み物もあるのか?」


「……あ、はい。珈琲と紅茶を用意してますが……」


「紅茶を頼む。できれば渋めで」


「…………あの、つまり店内で召し上がっていくということで……お間違えないですか?」


「そうだが、何か不都合でも?」


「いえ、まったくございません!」


エレナは思わぬ展開に、内心動揺が隠せなかった。


つい瞬きの回数が多くなる。


(うそでしょ? 甘いものなんて毛嫌いしてそうなこの公爵様が……ここで食べるの!?)


まさかお土産ではなく、本人用だったとは。


エレナが衝撃の事実に固まっているうちに、彼は窓際の席に移動し、さっさと腰を下ろしていた。


足を組み、窓から静かに運河を眺め、注文した林檎パイと紅茶を待っている。


そもそも店内で飲食をしていく客はめったにいない。


久しく使われていなかった喫茶席の利用にエレナは慌てつつ、厨房へと急ぐ。


せっかくなので林檎パイは窯で少し温め直し、ほかほかの出来立てに。


紅茶はお気に入りの茶葉を使って、香り高く淹れる。


それらを木製のトレイに載せて、公爵のいる席へと運んだ。


「――お待たせしました。林檎パイと紅茶です」


「もしかして、焼き直したのか?」


「あ、はい。温かい方が美味しく召し上がっていただけるかなと思って」


「ふっ、いい匂いだな」


(ええっ、今笑った……!?)


それは、ほんの一瞬の出来事。


けれど、エレナは目の前の公爵がふっと唇の端を緩めたのを見逃さなかった。


すでにその笑みは掻き消え、冷徹な顔に戻っているが、断じて見間違いではない。


(へぇ、冷酷無慈悲と言われる公爵様も、普通の人間なのね)


当たり前と言えば当たり前。


ただ、いつも総長経由で、次々厳しい任務命令をされていたため、エレナも噂通りの人なのだろうと思っていた。


その印象が少しだけ変わる。


エレナは思わず、まじまじと公爵様が菓子を食べる姿に見入ってしまった。


(わぁ、本当に公爵様が林檎パイ食べてるわ……! しかも眉間に皺寄せたまま! でも少しだけ目元が和らいでる!)


まるで極秘の作戦でも練っているかのように険しい面持ちのまま、無言で甘味を口に運ぶ公爵の様子は、ひどく不調和な光景だった。


妙にちぐはぐで、思わず笑ってしまいそうになる。


知らず知らずのうちに、エレナは手で口元を覆っていた。


その途端、公爵が顔を上げ、眉を顰めてエレナを見やる。


「――いつまでそこにいるつもりだ?」


「えっ」


「いつも店主は、そうして客が食べている様子を眺めてるのか?」


そう指摘されて初めて、エレナは自分が席のすぐ近くに立ったまま、彼を観察していたことに気がついた。


お客さんに対して、なんたる無作法か。


恥ずかしくなって頬にじわりと熱くなる。


「すみません……! その、店内で召し上がる方は珍しいので、つい気になってしまって」


「珍しい、とは?」


「この店を利用してくださる方の多くがお持ち帰りなんです。なので、自分の作ったお菓子を誰かが食べている姿を目にするのが新鮮で、つい」


「ここの菓子は、すべて店主の手作りなのか?」


「あ、はい。そうです! お味はいかがでしょうか?」


エレナは話の勢いで、公爵に対してつい感想まで求めてしまった。


口にした直後、「しまった……」と後悔が襲う。


でももう取り消せない。


(そんなこと聞かれても困るよね……)


というか、この公爵が菓子の感想を語る姿も想像できない。


余計な質問をしてしまい、どう話を切り替えようかと悩んでいると、彼は一度こくりと紅茶に口をつける。


言葉を探すように、しばしティーカップの縁を指でなぞった後、改めて口を開いた。


「……そうだな、生地のサクサクした食感は絶妙だな。とろっとしたカスタードもいい。だが、なにより中に入ってる林檎の甘酸っぱさが素晴らしいな。ごろりと大きく歯応えもある」


「…………!」


よどみなく流れるように公爵の口から飛び出す言葉に、エレナは唖然とした。


まさかこれほど具体的な感想をくれるとは思ってもみなかったのだ。


(しかも、これ……絶対に普段から甘いものを食べ慣れている人の言葉だわ!)


エレナは悟った。


見た目に反して、――この人は甘いものが好きなのだと。


その日以降、公爵は時折エレナの営む店に通ってくるようになった。


そのたびに窓際の席で焼き菓子を堪能し、感想を述べて帰っていく。


そんなことが三度ほど続くと、いい加減エレナも公爵に慣れてきた。


諜報員の顔を隠し、いつしか店主として彼と気さくに言葉を交わすまでになっていた。


そんな矢先のこと。


(……あら、紙があるわ)


毎日の日課として、人目のつかない夜に、エレナは運河にかかる橋へやってきた。


欄干の裏を確認し、そこに紙が隠されていることに気づく。


これは影での連絡手段。

休暇中に何か通達がある場合、ここに伝言が残されている。


エレナは素早く回収すると、建物の陰に身を隠し、記された内容に目を通した。


――『任務あり。本部に集合せよ』


エレナは小さく息を吐く。


休みはここまでのようだ。


しばらく菓子店はまた閉めなくてはならない。


(次の営業はいつになるかしら)


ふと脳裏にここ最近よく店に来てくれる公爵の顔がよぎる。


もしかすると、彼には迷惑をかけるかもしれない。


わざわざ足を運んでもらっても、店が営業しておらず、引き返す羽目になるだろう。


(まぁでも、その任務を命令してるのは当の本人なんだから、しょうがないわよね?)


エレナの正体を知らない彼には、どうしようもないことだが致し方ない。


心ばかりのお詫びに、今度の新作は公爵の好きな林檎を使ったものにでもしようかと、エレナは小さく微笑んだ。


(次の任務はどんな内容だろう? 新作に挑戦するためにも、早く終わらせなくっちゃ)


読み終わった紙をビリッと細かく破り捨て、風にのせる。


次の瞬間、踵を返したエレナの姿には、菓子屋の店主の面影はどこにもなく――影のエース・ベラドンナの顔つきになっていた。



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