第23話 黒鷹会アジトへの潜入①
酒の臭いをまとった柄の悪い男たちがたむろする歓楽街。
すぐ近くにはスラムも広がり、王都でも指折りの治安の悪さを誇る区域だ。
その先には港があり、倉庫が建ち並ぶ。
深夜になると、めっきりひとけがなくなる倉庫街は、古くから犯罪組織の温床となっていた。
そして黒鷹会もまた、この一角にアジトを構えていた。
最奥に建つ、運河沿いの四階建て石造り倉庫こそ、バスティア王国での彼らの本拠地だった。
ただし表向きは、とある貿易商会の倉庫として巧妙に偽装されている。
――そしてエレナは今、そのアジトの前にひとり立っていた。
組織の女になりすまし、入り口の扉を叩く。
扉はすぐに薄く開き、中にいる男がエレナの姿を認め、囁くように問いかけてきた。
「……繁栄はどこから生まれる?」
出会い頭の言葉としては、あまりにも不可解だ。
しかし、唐突にも思えるその一言にも、エレナはまったく動じない。
(なるほど。これがアジトに入るための合言葉ね)
拘束した女から得ていた情報のひとつである。
「戦火の向こうにこそある」
落ち着いた様子のまま、サラリと答えを返した。
すると、扉がゆっくり開き、中に招き入れられた。
「いちいち合言葉を確認させてもらい、悪いですな。お姿を見ればニカ様だと分かりますが、これも規則ですので」
「気にするな。門番ご苦労」
ニカというのが、エレナが変装している女の名だ。
門番の男は疑うことなく、ごく自然に話しかけてくる。
どうやら上手く欺けているようだ。
(さすがダチュラ製の変装マスクね)
エレナは今、女を模したマスクを被って顔立ちを変え、ウィッグや化粧で身を偽っている。
鏡に映る姿を見た時、あまりの完成度に自分でも驚いた。
この出来なら、まさか他人がニカに変装しているとは誰も思わないだろう。
事前の練習通り、エレナは隙のない身のこなしと言葉遣いでニカそのものの冷徹な雰囲気をまとい、歩みを進めた。
その状態で辺りを見回すと、一階にたむろしていた男たちは、気圧されて道を開ける。
どうやらニカは一目置かれる存在らしい。
(情報によると、ここにいるのは雇われの傭兵たちだったわね)
初めて見る顔ぶれや室内を冷静に観察しながらも、そんな素振りは一切見せず、エレナは慣れた足取りで階段へ向かった。
そのまま三階へと進んでいく。
(二階は精鋭構成員の待機所。そして三階が幹部室――)
今のところ、ニカの証言に齟齬はない。
エレナは問題なく、幹部室の前まで辿り着いた。
部屋の前には精鋭構成員らしき男がひとり、扉を背にして立っている。
「よお、ニカ。今戻ったのか?」
「ああ。――それより緊急だ、ボスへ直接報告がある」
「分かった、入れ」
男もエレナを疑うことはなかった。
緊急だと告げれば、幹部室の中に難なく通してくれる。
(ついに来たわ。真の黒幕に関する証拠が、きっとここにあるはずよ)
尋問でニカはこう話していた。
幹部室には隠し金庫があり、重要な書類はそこで管理されていると。
黒幕については、ボスのみが把握している情報で、金庫を開けられるのもボスだけだという。
ならば最も怪しいのはそこだ。
エレナは部屋に入ると、全体にさっと視線を走らせた。
まず目に飛び込んできたのは、石壁に掲げられた黒鷹の紋章だ。
飾り気のない無骨な部屋の中で、ひときわ目立っている。
(まさに、秘密結社という雰囲気だわ……)
天井から吊るされた無機質なランプが鈍い光を落としているものの、部屋全体は薄暗い。
その部屋の中央にはひとつの人影があった。
皮椅子の背もたれに深く身を沈め、煙草をくゆらせる髭面の男――黒鷹会のボスだ。
ボスはエレナを視界に入れると、ゆっくり煙を口から吐き出し、鋭い眼差しを向けた。
「ニカか。どうした」
その声色はごく普通で、今のところ変装を疑っている様子は窺えない。
(よし、まずは第一段階を突破ね)
エレナは心の中でホッと息をつく。
ボスならば、見た目だけで偽装に勘づくのではと一抹の不安があったのだ。
(ダメ、ダメ。気を抜くのはまだ早いわ。ここからが肝心よ……!)
すぐに気を引き締め、エレナはニカらしい無表情を作る。
「ボス、緊急の報せがあります」
「なんだ?」
「昨日、ヘルダー伯爵から連絡を受け赴いたところ、こちらの密書を預かりました」
「内容は?」
「協定書を紛失したとのこと」
「なんだと!?」
その瞬間、ボスの顔色が一変した。
煙草を灰皿に押しつけ、ガタッと勢いよく立ち上がる。
エレナの手から密書をひったくるように奪うと、急いで書面に目を通し始めた。
(まぁ、この密書はアコナイトによる偽造書類だけど)
本当は密書など存在しない。
伯爵はニカに口頭で報告しただけだった。
それをアコナイトが伯爵の筆跡と印章を完璧に模倣し、一通の密書へと仕立て上げたのだ。
「何者かに盗まれたと記されているな。怪しいのは……伯爵の出入りしている高級クラブの新人嬢リリアン? くそっ、どこのどいつだ!」
「その証言に嘘がないか、昨日のうちに裏を取りました。確かにリリアンという女はクラブに在籍しており、伯爵と顔を合わせた日を最後に姿を消しているようです」
「なるほど、それでお前は昨夜アジトに戻らなかったのか」
「はい」
あえて密書を偽装した理由のひとつが、まさにこれだった。
ニカは昨日の昼間に影に捕まっている。
それ以来ずっと影の本部に拘束されているため、丸一日以上、アジトを不在にしている状態だった。
(なりすまして潜入するにあたり、その不自然さを補う言い訳が必要だったのよね)
口頭で報告するだけでは信憑性が低くなる。
そこで物証を用意したのだ。
もちろん、理由はそれだけではない。
その時、密書に再び目を落としていたボスが、怒りを滲ませた顔でぐしゃりと紙を握りしめる。
「リリアンは盗みの天才だと? しかも伯爵の邸宅の金庫内にあった、他の書類も盗まれているそうじゃないか! そちらも気をつけた方がいいと言ってきてるが……いや、まさかな?」
ボスはチッと舌打ちすると、壁にかかった紋章のもとへ向かった。
そしてタペストリーをおもむろに捲り上げる。
するとそこに、隠し金庫が現れた。
ボスは苛立ちながらダイヤルを回す。
(ふふっ、罠にかかったわね)
エレナはその様子を遠目に眺めながら、内心でほくそ笑んだ。
カチカチと鳴る歯車の音や、ボスの手元の動きを密やかに観察し、エレナは記憶に刻む。
そう、密書のもうひとつの目的は、危機感を煽って金庫の中を確認させ、その隙に解除方法を盗み見ることだった。
そうとは知らないボスは、ダイヤルを回し終えると、重厚な鉄の扉を開く。
エレナのいる位置から、金庫の中ははっきり見えなかったが、書類が収められているのは間違いなさそうだ。
「なんだ、あるじゃないか。驚かせやがって!」
「うちは無事で良かったです」
「だが、協定書が奪われたのは大問題だ! あれにはこちらの紋章や組織名が記されているんだぞ! くそっ、あの愚か者め!」
ボスは怒りを露わにし、手近にあったグラスを床に投げつけた。
ガシャーンと大きな音が鳴り響く。
「な、何事ですか!?」
その音に反応した扉の前の男が、慌てて顔を覗かせた。
「おい、直ちに精鋭構成員たちを会議室に集めろ! 緊急事態だ!」
「了解しました……!」
いきなりボスから指示を言い渡された男は、目を白黒させながら飛び出していく。
「ニカ、お前はここで待機し金庫を守れ。もし伯爵側から次の連絡が入ったら報告せよ!」
「承知しました」
続いて、ボスはこちらへ振り返ると、エレナにも命令を下した。
それに承諾の言葉を返し、丁寧に頭を下げる。
しかしエレナは、地面に視線を落としたまま、うっすら微笑んだ。
ボスがそのまま幹部室を出ていくと、エレナは部屋にひとりきりになった。
(なんて好都合な展開かしら!)
だが、こういう時こそ、慎重にならねばならない。
それを経験上よく知っているエレナは、油断することなく気を引き締める。
神経を研ぎ澄まして周囲の気配を探り、監視の目がないことを確認してから、目的の金庫へと近づいた。
(さてと、ボスが戻ってくる前に、手早く証拠を拝借しなくっちゃね)
紋章が刻まれたタペストリーを捲り上げ、現れた金庫のダイヤルを、先ほど記憶した通りに回していく。
するとガシャンと鍵が開く音がした。
(成功だわ。金庫の解除自体は簡単だったわね)
黒鷹会はアジトを掴むのが困難である上、合言葉なども決められており、そもそも忍び込むことが非常に難しい。
とはいえ、実在の構成員になりすまして潜入されるとは想定していなかったのだろう。
仲間に対しては驚くほど警戒心がなく、おかげでエレナは順調に任務を進められていた。
(あっ、あったわ! きっとこれが指令書ね)
金庫の中に乱雑に収められていた書類の中から、エレナは一枚を抜き取る。
目を通すと、そこには直筆で各任務の内容が記されていた。
武器密輸事件、外交官暗殺未遂事件、そして貴族の買収と開戦論の扇動。
そのすべての作戦が詳細に書かれている。
しかも、まだこれで終わりではないようだ。
(……インメルへ『バスティアが迎撃体制に入った』という偽情報を流布すること、ですって!?)
隣国側でも開戦を煽り、両国を確実に戦争へ引きずり込もうとしていることが窺える。
すでにインメルでの工作活動にも着手しているのだろうか。
だとすれば、思った以上に猶予はないかもしれない。
(もしかすると、今日にでもインメル側が攻め込んでくるかもしれないわ……!)
エレナの心臓がバクバクと脈打つ。
早くこの情報を持ち帰らねばと、どうしようもなく気が逸る。
(焦りは禁物だわ。冷静さを欠いたら駄目)
エレナは深く息を吸い込み、なんとか自分を落ち着かせる。
それからもう一度書類に視線を落とした。
先ほどはつい任務内容に気を取られてしまったが、もうひとつ確認すべきことがある。
そう、真の黒幕の正体だ。
(これね。手書きのサインと印章があるわ)
そこに記されていた名は――『シリウス・ヴォルグラム』。
一流の諜報員であるエレナは、もちろん隣国の主要な貴族についての知識もある。
当然、その人物についても知っていた。
なにしろ、貴族の中でも最高位――インメル王国の公爵の名だ。
ヴォルグラム公爵家は、代々軍務大臣を務めている名家のひとつのはずだ。
(……大物すぎる黒幕だわ。戦争を引き起こして、軍事面で功績を上げたいのかしら)
――「繁栄はどこから生まれる?」
――「戦火の向こうにこそある」
そう推測すれば、あの組織の合言葉にも納得がいく気がした。
(そのあたりは、ここで考えることじゃないわね)
詳しいことは後で考えればいい。
黒幕の証拠を掴めただけで、任務は成功だ。
ともかく今は、これらの情報を確実に持ち帰ることが、何よりも重要である。
エレナは大切な証拠が破れたりしないよう、あらかじめ持ってきた木製筒へスルッと丸めて入れ、懐にしまい込んだ。
(よし! あとはアジトから脱出するだけだわ!)
高級クラブの潜入時は、慎重に機を見計らったが、今回は素早く逃げる方がいいだろう。
実在の人物になりすましている以上、長く滞在すればするほど、正体がバレる危険が高まるからだ。
それに今は組織の主要メンバーが緊急会議中で、目を盗んで脱出しやすい。
エレナが金庫を元通りにし、そのまま部屋を出ようとした――まさにその時。
急に扉の方から足音が耳に飛び込んできた。
反射的に身を強張らせたのと同時に、バタンッと扉が開く。
戻ってきたのはこの部屋の主――黒鷹会のボスだった。




