第22話 託された任務②
それからどれくらい時間が経っただろう。
ダチュラの呼びかけで、ハッと意識を浮上させたエレナは窓の外を見た。
ここに来た時はまだ明るかった空が、すでに橙色に染まっている。
(……私、しばらくの間、眠っていたのね)
ベッドから体を起こすと、先ほどまでより頭がすっきりしている気がした。
部屋を出てダチュラと共にホールへ向かう。
拘束した女の監視役以外、すでに全員が集まっているようだった。
「揃ったな。では、上で話し合われた今後の方針、そして我らに下された任務内容を説明する」
その一言を皮切りに、総長は御前会議で決まったという内容を話し始めた。
やはり黒鷹会への潜入、そして真の黒幕の証拠を掴む方針になったらしい。
(まぁアジトが判明したのだから、そうなるわよね)
納得していると、そこでふいに総長がエレナへ視線を向けた。
その瞳は怖いくらい真剣なもので、途端にエレナの心臓がドキリと跳ねる。
「――以上が方針だ。そして我々の任務だが……ベラドンナ、今回もお前が中心となる。具体的には黒鷹会への潜入を任せたい」
「潜入ですね、承知しました」
「今ここに拘束している組織の女になりすまして潜入してもらう。実在の人物に変装する、極めて難度の高い危険な任務だが――お前ならできるな?」
ただの潜入ではないと聞かされ、エレナにも緊張が走った。
だが、できるかと問われれば……
「はい。必ず任務を完遂いたします」
エレナは揺るぎない眼差しで、総長をまっすぐと見据えた。
「では、残りのメンバーはベラドンナを全力でサポートしろ。特にダチュラは変装道具の手配を、アコナイトは偽造書類の準備を進めてくれ」
「はいっ!」
「承知しました」
その他のメンバーにも細々と役割が振られた後、その場は解散となる。
皆が散り散りに動き出す中、エレナは内心で喜びを噛みしめていた。
(私に任務が下った……それってつまり、ジーク様が命令したってことよね?)
この深刻な場面で、ジークヴァルトが私情に囚われず冷静に判断したという証拠だ。
やはり彼は彼だったと、エレナはふわりと頬を緩めた。
同時にふと思った。
少しは自分の言葉が彼の心に届いたのだろうかと。
(そうだったとしたら、すごく嬉しいわ)
あんな喧嘩別れのような決別をしてしまったけれど、少しでもジークヴァルトの胸に自分という存在が刻まれていればと願ってしまう。
たとえ二度と会えなくても。
(さて、しっかり準備を進めなきゃ。ジーク様が私に託してくれた任務だもの!)
エレナはより一層気合を入れる。
途端に脳内が高速回転し始めた。
組織の女になりすまして潜入するならば、拘束中の事実がバレないよう、早めに動かなければならない。
伯爵と接触した後、アジトを不在にしている時間が長ければ長いほど怪しまれるだろう。
(まず聞き出した黒鷹会の内部情報を頭に叩き込んで、次に女の言葉遣いや所作を練習して、それから変装して……)
エレナは今後の段取りを組み立て始める。
そんな最中、突然ポンと誰かに肩を叩かれた。
驚いて振り返ると、そこにはなぜか総長が佇んでいた。
「……総長? どうかされました?」
「準備で忙しいと思うが、もうひとつだけ頼まれてくれないか。今からいつもの橋へ行ってきてほしい」
「橋? あの通達がある時に伝言を残すところですよね?」
そう確認しつつも、「なんで今?」という疑問が顔に透けていたのだろう。
総長はやや苦笑いし、言葉少なに述べた。
「理由は、行けばすぐに分かる。……これから任務に向かうお前には必要なことだと私は思う」
そう言われてしまえば、否とは言えない。
エレナは了承すると、今まで考えていた事項を後回しにし、先に橋へ向かうことにした。
そうして今、薄暗くなった夜道を歩いているわけである。
◇◇◇
(本当に、なぜ総長は橋へ行けなんて言ったのかしら……?)
正直なところ、時間が差し迫る中、できる限りを準備に費やしたい。
総長とてそれを十分理解しているだろう。
だからこそ、総長が無意味なことを指示するとは思えなかった。
ならば、任務前のエレナに有益な何かが、そこにあるはずだ。
(うーん、特に何も見当たらないけれど……?)
橋に到着したエレナは、辺りを見回した。
行けば分かると言われたが、今のところそれらしき物はない。
ひとまず、いつも紙が隠されている欄干の裏を確認してみた。
だが、紙さえ置かれていない。
(本当に何もないんだけど……この場合、どうしたらいいの?)
困ったなと欄干から顔を上げた――その時だった。
ふと人の気配を感知し、エレナはこちらへ向かってくる人影に目を凝らす。
徐々にその姿はくっきりとしてきた。
エレナはそれが誰かを察し、途端に体をこわばらせ、大きく目を見開く。
「……ジーク様」
思わず『菓子屋のエレナ』の時の呼び方で、話しかけてしまった。
口にしてから、しまったと内心で舌打ちをする。
「良かった。来てくれたのだな、エレナ」
ジークヴァルトはエレナのすぐ近くで足を止めると、声に安堵を滲ませてそう言った。
菓子店に来る時のように、険しい顔も少し緩んでいる。
「私は、総長に指示されてここへ来ただけです。……別にシュタルク公爵閣下にお目にかかるつもりはありませんでした」
そう答えながら、エレナは悟っていた。
これは総長が仕組んだのだろう。
(任務に赴く前に、もう一度ジーク様と話をしろって、そういう意味……?)
総長からの無言のメッセージを受け取り、エレナは改めてジークヴァルトに視線を向けた。
二人の視線が真正面から重なる。
「…………」
「…………」
エレナもジークヴァルトも、言葉を発しなかった。
いや、正確には――何から話せばいいのか二人とも慎重に言葉を探していた。
その場に沈黙が落ち、ちゃぷ、ちゃぷ……という水面がかすかに揺れる音だけが響く。
「――もう、任務については聞いたか?」
そんな中、先に口火を切ったのはジークヴァルトだった。
エレナを見据え、まっすぐに問う。
「はい。先ほど伺いました。難易度の高い任務ではありますが、必ずお役に立ってみせます」
それにエレナは一切の迷いを見せず、はっきりと答えた。
だが、ジークヴァルトはさらに質問を重ねる。
まるで最後の確認をするように。
「……知っていると思うが、二十二年前、同じく黒鷹会に潜入した諜報員は命を落としている。それでもお前の決意は変わらないのか?」
「もちろんです。それが私の仕事ですから。どんな任務でも常に覚悟はしています」
「今ならまだ任務を辞退できると言っても?」
「そのようなことをお聞きにならないでください。たとえ私が辞退しても、国を守るため誰かがやらねばなりませんが――私が最も適任であり、成功率も高いはずです」
そんな押し問答を重ねた末、ついにジークヴァルトは大きく息をはいた。
微笑みさえ浮かべて平然と答えるエレナに、もうお手上げだったのだ。
「エレナの覚悟は理解した。だから私ももう止めない。一流の諜報員であるお前に、開戦を阻止するためこの任務を託したいと思う」
「シュタルク公爵閣下……」
「だが、ひとつだけ約束してほしい」
「約束、ですか?」
エレナが小さく首を傾げると、ジークヴァルトが一歩近づいてきた。
そしてふいにエレナの手を取ると、掌の中に何かを握り込ませた。
「これは……?」
掌を開き、中身を見る。
そこには、繊細な美しさを放つネックレスが静かに輝いていた。
宝石の色はエレナの瞳の色にそっくりだ。
「我が家に代々伝わる装飾品のひとつだ」
「えっ! そ、そんな大事なものをなぜ……!?」
「これをエレナに一時的に預ける」
「一時的?」
「ああ、高価な物だから、無事に戻って――必ず私に返してくれ」
静かに告げられたその言葉に、エレナは息を呑んだ。
自然と目頭が熱くなってくる。
(ジーク様は、私の誇りと覚悟を尊重してくれているのだわ……)
本心では行かせたくないと思っているのかもしれない。
けれど、その想いは胸にしまい、長官としてエレナを送り出そうとしてくれている。
その上で、物を貸し出す口実のもと、「必ず帰ってこい」と気持ちを伝えてくれているのだ。
(……こんなことをされたら、もっと好きになってしまうじゃない)
ジークヴァルトの想いがこもったネックレスを、エレナはギュッと握りしめた。
「分かりました、一時的にお預かりします。そして任務後に――必ずお返しいたします」
「ああ、必ず」
二人はそのまましばらく見つめ合った。
お互いに「好き」「愛してる」などの愛の言葉は交わさない。
けれど今、あの夜の決別は消え去り、二人は自然とまた会う約束を口にしていた。
危険な任務を間近に控えたエレナの心の憂いが晴れていく。
(この任務、絶対にやり遂げてみせるわ……!)
強い決意を胸に宿し、エレナはジークヴァルトを見つめ返した。
国家安全保障局長官と諜報員。
二人の立場は一見するとまったく違う。
だが、どちらも国を守るという責務を担う二人は今、同じ未来を見据え、それぞれの闘いに挑もうとしていた。




