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凄腕スパイは甘い嘘を焼き上げる 〜秘密の菓子店を営んでいたら、冷酷公爵様が常連になりました〜  作者: 美並ナナ


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第21話 託された任務①

ジークヴァルトに決別を告げてから二日が経つ。


この間も、エレナはのんびりしている暇などなく、目まぐるしい日々を送っていた。


いや、正確には――あの夜を思い出したくなくて、わざと仕事に没頭していた。


ジークヴァルトの顔がよぎると、どうしようもなく胸が締めつけられる。


だから頭や体を動かしている方が、気が楽なのだ。


(あの後、総長に報告した時が一番キツかったのよね……)


総長に命じられ、夜更けの運河に架かる橋へ向かって歩きながら、エレナはふと一昨日のことを思い返した。


その拍子に、この二日間の出来事も次々と脳裏に蘇ってくる。


エレナは運河へ視線を向け、怒涛の日々を静かに辿った。



◇◇◇



あの夜、ジークヴァルトを残して会員制サロンを後にしたエレナは、その足で影の本部へ戻ってきた。


普段なら総長の周辺に誰かがいても構わず報告するのだが、今回に至ってはそうもいかない。


エレナは総長を個室へと誘い、その夜起きた出来事をありのままに語った。


ジークヴァルトとのやり取りも含め、すべてを。


総長は腕を組んで静かに耳を傾けていたが、最後にひとつだけ訊ねてきた。


「お前はその選択で後悔しないのか? 長官への想いが本気であり、彼と結ばれたいと願うならば……手がないことはないぞ」


想像以上に真剣な眼差しに射抜かれ、エレナの体が反射的にビクッと震える。


まるで心の内側まで見透かしそうなその視線に、少しばかり怯みながらも、エレナは深く頷いた。


「はい。後悔しておりません。……彼が好意を寄せてくれているのは、あくまで『菓子店のエレナ』ですから。私は諜報員としての自分にも誇りを持っています」


「ならば、この先さらなる厳しい任務が下されようとも、お前は迷いなく遂行できるのだな?」


「もちろんです。任務とあらば、全力を尽くします。それが私の仕事であり、国を守るためですから」


「……命懸けの任務であっても、その覚悟は変わらないと言えるか?」


「はい」


諜報員である以上、常に危険とは隣り合わせだ。


エレナはどんな任務でも、いつも覚悟を持って仕事に挑んでいた。


だからこそ、まっすぐと総長を見つめ、一切の迷いなく答えを口にした。


(総長がこんな確認を今さらするってことは……きっと厳しい任務が下される可能性がかなり高いってことでしょうね)


それはエレナも薄々感じていることだ。


ずっと正体を追っていた『黒鷹会』の手掛かりを掴んだ今、近いうちに彼らを捕らえる任務が入るに違いない。


――しかし翌日、事態は思わぬ展開を迎えた。


ジークヴァルトへの報告を終えた総長は、本部へ戻るなり全員を召集し、予想外なことを告げたのだ。


(えっ、黒鷹会は黒幕じゃない……!?)


なんと黒鷹会はただの工作員組織に過ぎず、真の黒幕が別に存在するという。


しかも二十二年前に起きた事件との関連性まで明かされた。


昨夜エレナが持ち帰った協定書の紋章から、それらの事実が発覚したそうだ。


(私が生まれる前の事件から繋がってるなんて、想像以上に深い陰謀だわ……)


ますます深刻さが増し、その場が静まり返る。


「――近いうちに御前会議が開かれる。その際に今後の方針などが決まるだろう。だが、我々はそれまでの間にある任務を仰せつかった」


総長は一拍置いて全員を見渡すと、威厳に満ちた声で告げた。


「黒鷹会のアジトを見つけることだ」


ごくりと皆が唾を呑む。


今までその正体すら掴めなかった組織だ。

そのアジトを捜索するとなれば、相当の困難が予想された。


(しかも、あの口ぶりだと、近日中に開催される会議までに間に合わせたいってことよね?)


果たして間に合うだろうか。


エレナは難しい顔になる。


「各自あらゆる手を駆使し、アジトを探ってくれ。……ただし、ヘムロックだけは個別任務だ」


そう言うと、総長はヘムロックへと目を向ける。


彼を指名するということは、隠密暗殺か尾行のどちらかだろう。


「お前にはヘルダー伯爵の尾行を任せたい」


「……つい昨夜までベラドンナの標的だった伯爵、ですよね?」


「そうだ。昨夜ベラドンナが協定書を盗んだゆえ、そろそろ伯爵に何か動きがあると思われる。黒鷹会の連絡役と接触する可能性も高い。お前なら気配を消して尾行できるだろう」


「……分かりました。さっそく向かいます」


こうして、影総動員でのアジト探しが始まった。


エレナは昨夜まで長期の潜入任務だったこともあり、本部に詰めたまま資料の確認にあたることにした。


今しがた耳にした二十二年前の事件について、詳細を知っておきたかったのだ。


だが、資料室で探しても見当たらない。


おかしいと思い、総長に訊ねれば意外な答えが返ってきた。


「資料室に記録を残すようになったのは、私が総長に就任してからだ。それ以前は各自の記憶に頼っていたみたいだな」


「初耳です。だから資料がなかったんですね」


「そうだ。だが、私が独自にまとめたものがある。特別に貸してやろう。……まさかこの資料が役立つ日がくるとはな」


当時、総長は別の所属だったそうで、影のメンバーではなかったらしい。


なのに、ひとりで調べて事件をまとめていたという。


(何でかしら? この事件と総長にどう関わりがあるの?)


不思議に思ったものの、エレナはその疑問を口にはできなかった。


束になった資料を手渡してくれた総長の眼差しが、あまりにも切なくて……踏み込むのが憚られたのだ。


(あんな総長の顔、初めて見たわ……)


気にはなったものの、今は深入りすべきではないだろう。


総長からも「聞いてくれるな」という気配が漂っている。


エレナはそっと息をつくと、近くの椅子に腰かけて資料に目を通し始めた。


(なるほど、傭兵に扮して黒鷹会へ潜入した諜報員が亡くなっているのね……)


敵だらけの中に飛び込む、厳しい任務だったに違いない。


資料によると、そんな中、その諜報員は命と引き換えに国に重要な情報をもたらしたようだ。


インメルとの戦争を瀬戸際で阻止できたのも、この情報が決め手となったらしい。


(すごいわ。まさに命を賭して国を守ったのね)


なんと気高い志を持った諜報員なのだろう。


資料を読みながら、自然とエレナは感銘を受けていた。


その名を記憶に刻んでおきたいと、資料をめくる。


(あ、これが名前かしら?)


最後の方に記されていたその名は――コードネーム『シクタ』。


そしてなぜか、そのすぐ横に『カシアン・享年二十八』という文字も小さく綴られていた。


(これって本名……? それに年齢まで)


影のメンバーはお互いに本名や年齢を知らない。


ましてやこの資料をまとめた総長は、当時影の一員でもないのだ。


この諜報員の素性を知っていることに違和感がある。


(なんで……?)


エレナがそんな疑問に首を傾げた、ちょうどその時。


「ヘムロック、こっちだ! この牢に入れろ」


「おい、ダチュラ。よく効く自白剤を準備してくれ」


「尋問はアコナイトに任せる。誰か同席させ、早急に始めろ。手荒な拷問も許可する」


そんな声が飛び交い、たちまち本部内が騒がしくなった。


(何事……!?)


資料の読み込みに没頭していたエレナは、思わず顔を上げ、目をパチパチさせた。


自白剤を取りに行くダチュラが傍を通りかかったため、慌てて捕まえ事情を聞く。


「あの伯爵、ビビってすぐに協定書の紛失を報告しようとしたみたいでさ。伯爵を尾行してたヘムロックが、黒鷹会の構成員をひとり拘束してきたんだよ! 今から尋問してアジトを聞き出すって!」


そう早口で教えてくれると、ダチュラは自室へ急いで行った。


それから影の本部では、夜を徹しての尋問が行われた。


拘束されたのは、黒鷹会で連絡窓口を任されている精鋭のひとり。


きりっとした顔立ちの、二十歳前半くらいの若い女だった。


薬に慣らされているのか、ダチュラ製の自白剤の効きがいまいちで、女はひたすら黙秘を貫いていた。


途中からは総長自らも尋問に加わり、あの手この手で証言を引き出し――ついに翌日の昼過ぎ、女は落ちた。


アジトの場所や組織の内情など、こちらが欲していた情報を洗いざらい吐いたのだ。


「私はこの足で王城へ報告へ向かう。お前たちはこの後どのような任務命令が下されても動けるよう、準備だけはしておくように。女の監視も気を抜くな」


そう命じると、総長は急ぎ足で本部を出て行った。


予定通り、御前会議までにジークヴァルトへ報告を上げるためだろう。


(その後、また任務命令が下されることになるのだろうけれど……ジーク様は今まで通り、私にも命じてくれるわよね?)


色仕掛けをするな、と告げた彼の表情を思い出す。


あの時のジークヴァルトは本気だった。


エレナは諜報員としての誇りがあることを自分なりに伝えたつもりだが……


(もし、いまだにジーク様が納得していなかったら?)


その場合、エレナを任務から外しかねない――好きだから危険な目に遭わせたくない、と言って。


ふとそう思ったエレナは、その想像を掻き消すように首を横に振る。


さすがにそれはないと信じたい。


ジークヴァルトは血も涙もない、冷酷無慈悲な公爵だ。


国益のためならば、私情にとらわれず、きっと冷静な判断を下すだろう。


(ええ、そうよ。ジーク様はそういう人だわ。……そんな責任感の強い彼だから、好きになったんだもの)


その瞬間、じくりと胸の奥が痛んだ。


自覚した直後に行き場を失った恋心が、己の存在を主張するように、エレナの心をかき乱す。


「はぁ……」


無意識のうちに、つい深いため息がこぼれた。


「あれ? ベラドンナ、そんな浮かない顔してどうしちゃったの?」


「ダチュラ」


「なになに、あたしが相談にのろうか? 何か心配事でもあるなら、吐き出しちゃいなよ! ねっ?」


カラッと明るい笑みを向けられ、エレナは曖昧に微笑んだ。


ダチュラは善意で話かけてくれたのたろうが、今は彼女の勢いについて行けそうにない。


「……任務続きで少し疲れたみたい。悪いけど、総長が戻ってくるまで自室で休ませてもらうわ」


「あ〜確かにベラドンナは潜入任務明けで、まともに休む間もなくって感じだもんねぇ……。オッケー、総長から召集がかかったら呼びに行くよ! ゆっくり休んで!」


「ありがとう。助かるわ」


エレナは礼を告げ、その場を後にした。


本部内にある自室へ入ると、簡易ベッドの上にどさりと身を投げる。


そのままゆっくりまぶたを閉じた。


(きっと夕方には総長も帰ってくるわ。それまでに心を落ち着かせなきゃ)


これからまた輪をかけて忙しくなるに違いない。


そんな時に、きちんと感情を抑えられなければ、仕事にも悪影響を及ぼす。


エレナはなんとか頭の中からジークヴァルトを追いやった。



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