第20話 人生最大の葛藤
「――以上の調査から、武器密輸事件、外交官暗殺未遂事件、そして我が国の貴族を買収した開戦論の扇動は、すべて『黒鷹会』によるものと判明しました。そして――奴らの背後には、正体不明の『真の黒幕』がいる模様です」
ジークヴァルトは、緊急召集した御前会議の場で、これまで判明した事実を報告していた。
総長から得た二十二年の情報にも触れると、途端に王太子以外の面々の顔色が変わる。
当時を知る国王や大臣たちは、信じられないと言わんばかりに瞠目した。
「……まさか、『黒鷹会』が復活していたとはな。今の状況は、二十二年前と酷似している」
国王が厳めしい顔を歪め、苦々しい声でつぶやく。
「陛下、あの時よりも、奴らは用意周到に動いているように感じられますぞ。……敵の思惑通り、開戦を望む世論も加熱しているゆえ、宰相としては、次の議会で国境への軍派遣が採決されるのではと懸念しております」
「その世論に煽られ、軍部も最近はピリピリし出してるぜ。先走って問題起こさねぇか心配だ」
「……やはり真の黒幕は、インメルの過激派貴族なのでしょうね。それが誰かを掴めれば、向こうの穏健派を窓口に外交交渉も可能でしょうが……」
「買収までするような奴らだ。資金は潤沢にあるに違いない。大物なのではないか?」
国王に続き、宰相や各大臣たちも難しい顔をしながら、意見を口にする。
ジークヴァルトと同じく、二十二年前の一件を直接知らない王太子も、事の深刻さはひしひし感じているようで、口を閉ざし何事かを考え込んでいる様子だ。
「我々は開戦を阻止せねばならん。一刻も早く真の黒幕を掴みたいところだが、それは容易ではないだろう。時間稼ぎにまずは買収されている貴族たちを摘発し、議会での採決および今の世論を食い止めるべきと考えるが、皆はどう思う?」
国王は皆の意見を踏まえ、今後の方策案を提示した。
それに皆が「ふむ」と同意しかける中、ジークヴァルトは内心、王太子が口を開くのを待っていた。
彼は誰も思いつかない角度から局面を切り開くことがある。
そんなジークヴァルトの気持ちを察したのかは定かではないが、ようやくここで王太子が手を上げた。
「父上、時間稼ぎを前提に動くのは危険だと思いますよ。敵は待ってくれない可能性が高いでしょうし」
「ハインリヒ、何か思うところがあるのか? よし、そのまま考えを述べてみろ。お前の勘は侮れんからな」
発言の許可を得た王太子は、ゆっくりと皆を見渡す。
そして自分よりも年嵩の者たちを前に恐れることなく、飄々とした口調で話し始めた。
「うーん、開戦世論の扇動に成功した敵が、このまま大人しくしているとは思えないんですよ。もし私が奴らなら――次を仕掛けますね」
「次?」
「考えられるのは……『我が国が迎撃体制に入った』という偽情報をインメルに流す、とかですね」
「なにっ!?」
ガタンと勢いよく軍務大臣が立ち上がった。
国の防衛を担う彼には、たとえ予想であっても聞き捨てならない内容だった。
「ですから、議会云々の前に、向こうから攻めてこられる可能性も捨てきれないんですよ。時間稼ぎは悪手じゃないですか? 買収された貴族を摘発したところで、一度火のついた世論を鎮火するのも容易ではないですし」
王太子の一言に、室内が静まり返った。
ジークヴァルトは「ハインリヒの言う通りだな」と思い、同意を示して頷く。
「では、ハインリヒ――お前は今後どう動くのが良いと考えるんだ?」
「そうですねぇ……ジーク、どう思う?」
ここで王太子は急にジークヴァルトに話を振ってきた。
視線だけで「どうせお前も同じ意見だろう?」と語りかけてくる。
(まったく、ハインリヒは昔から時折こうして無茶振りをしてくるな)
食えない性格の王太子に内心で苦笑いしつつ、ジークヴァルトは顔を引き締めて、口を開いた。
「――私は、真の黒幕の追求を最優先すべきだと考えます。その正体を掴み、証拠を手に入れられれば、外務大臣がおっしゃったように外交交渉の道も開けるかと」
話し終えてちらりと王太子を盗み見ると、彼は満足そうに頷いていた。
どうやら王太子の望み通りの発言だったらしい。
「買収された貴族の摘発も最終的には実行すべきでしょう。ただ今すぐ動くと、敵を不用意に刺激しかねません。真の黒幕の追求の状況次第で仕掛けられるよう、準備だけはしておくのが良いかと考えます」
ジークヴァルトはさらに言葉を足して意見を述べると、他の大臣たちも理解を示し始めた。
その様子に目を向けつつ、国王がひとつ疑問を呈する。
「お前たちの言う通りだな。黒鷹会を探り、裏で操る黒幕を暴くのが最優先だ。……だが、黒鷹会のアジトは判明しているのか? さすがに二十二年前とは場所も違うであろう?」
そう、そこが問題だった。
ジークヴァルトもその点は認識しており、昨日の時点で総長にはアジトの捜索を命じている。
「数日はかかる見込みですが、おそらく近いうちに判明するはずで――……」
ジークヴァルトがそう答えていた、ちょうどその時。
トントンと扉をノックする音が辺りに響き渡った。
全員の視線がそちらへ集中する。
ジークヴァルトは立ち上がると、扉に歩み寄り、外の人物を確認した。
(来たか。ちょうどいいタイミングだな)
そこに立っていたのは、総長だった。
アジトが判明したら、会議中でも構わないから報せてほしいと伝えておいたのだ。
ジークヴァルトは総長に中へ入るよう促し、彼を伴って元の場所へ戻る。
「失礼しました。ご紹介いたします。――こちらは王家直属の諜報機関『影』の総長です。黒鷹会のアジトが判明したらいち早く報せてほしいと指示を出しておりましたため、ここまで来てもらいました」
ジークヴァルトの隣に立つ総長は無言のまま、恭しく頭を下げる。
「イザーク、久しいな。息災にしているか? 影での活躍は耳にしてるぞ」
「陛下、直接お目にかかるのは数年ぶりですな。もう老体の身ではありますが、お陰様で元気にしております」
すると驚いたことに、国王と総長が親しげに言葉を交わし始めた。
(総長の名はイザークというのか。初めて知ったな。……やけに国王と親しげだが?)
影は王家直属であるため、国王と総長が顔見知りであることは何の不思議もない。
だが、言葉の節々から、明らかにそれ以上の何かを感じる。
二人の交流を知らなかったジークヴァルトはやや面食らった。
よく周囲を見渡せば、総長は大臣たちとも親交がある様子だった。
(そういえば総長は元貴族だったな。その関係で、年嵩の者たちとは昔馴染みなのか?)
疑問が頭をよぎるが、今はその点を深追いしている場合ではない。
ジークヴァルトは気持ちを切り替え、皆を代表して総長に問いかけた。
「……それで、ここへ来たということは、黒鷹会のアジトが判明したのか?」
「ええ、実は先ほど黒鷹会の構成員をひとり拘束し、アジトを吐かせました」
「真の黒幕についてはどうだ? 何か情報は得られたか?」
「拘束した女によると、黒幕についてはボスしか知らないと。ただ、奴らの背後に任務を命令する存在がいるのは間違いないようですな」
総長の説明によれば、女は精鋭工作員のひとりで、各種事案において連絡係を務めていたという。
ヘルダー伯爵との窓口になっていたのも、この女だそうだ。
協定書を盗まれた伯爵は、組織へ報告を入れるために、慌てて女と接触したらしい。
その現場を、伯爵を尾行していた影のヘムロックが押さえ、女だけを秘密裏に拘束したということだった。
「ふむ。アジトが判明したならば、ハインリヒやジークの主張通り、黒幕の追求を最優先で動くべきだな」
この報告に、国王はニヤリと勝気な笑みを浮かべた。
「よし、我が軍が突撃して、組織を壊滅させてやるぜ!」
「いやいや、軍が動けば悟られてしまうだろう。それに壊滅よりも証拠を掴むことが重要なのだぞ」
大臣たちも覇気を取り戻し、次々に口を開き出す。
その議論の途中から、ジークヴァルトの胸に嫌な予感がじわりと広がった。
まるで冷たい指先で背すじをなぞられたかのような不気味な戦慄が走る。
先ほどまでは冷静に議論を見守っていたというのに、今になって、これ以上話を進めさせたくない衝動に駆られた。
「後の外交交渉を視野に入れるならば、揺るぎない証拠は必須ですからね」
「軍は金がかかりすぎる。少数精鋭で動くべきだろう。――影に任せるのが最適だ」
最終的に財務大臣の発言に皆が納得を見せ、総長へ再び視線が集まった。
その瞬間、ドクンと心臓が嫌な音を立てて大きく跳ねた。
(まずい、この流れでは……エレナが、アジトへ出向くことになりかねない)
総長から聞いた、二十二年前に命を落とした諜報員の話が脳裏に蘇る。
黒鷹会のアジトへの潜入は、それほどに危険な任務なのだ。
愛する女性をそんな危険に晒したくはない。
だが、ジークヴァルトの心の内とは裏腹に、話は嫌な方向へと傾いていく。
「ねぇ総長。私には影の任務を采配する立場にないけど、ひとつ提案していいかな?」
「もちろんです、王太子殿下。なんなりと」
ふいに口を開いた王太子が、ジークヴァルトの望まぬ爆弾を投下した。
「せっかく組織の女の身柄を確保したんだしさ、その女になりすましてアジトに潜入するのはどう?」
「それはいいかもしれんな。二十二年前は、黒鷹会に金で雇われた末端の傭兵として潜入し、正体が露呈したはずだ。実在の人物、しかも組織の中でもある程度の地位の者になりすますなら、証拠も探りやすいかもしれん」
王太子の発言に、国王も同調して総長に目を向けた。
国王としては、二十二年前の二の舞だけは避けたい――そんな思いからの提案だった。
なにしろあの時、諜報員が命を賭けて残してくれた情報のおかげで、最終的に戦争を回避できたのだ。
公にはされていないものの、あの諜報員こそ真の英雄だったと国王は今も思っている。
「あとは、実在の人物になりすまして潜入できるような実力者が影にいるかだが……総長、どうだ?」
国王から問いかけられた総長は、一瞬だけ目を伏せた。
しかし、すぐにいつもの眼光の鋭さを取り戻すと、ゆっくりと頷く。
「……おります。ひとりだけ」
総長がそう告げた瞬間、ジークヴァルトはヒュッと息を呑んだ。
「巧みな変装で数々の潜入任務を成功させてきた――影のエース『ベラドンナ』なら可能でしょう」
彼の頭からすーっと血の気が引いていく。
これこそ、最も望まぬ展開だった。
(やめてくれ……)
差し迫った現実に目を背けたくなる。
だが、国家安全保障局長官のジークヴァルトにそれは許されない。
そして、追い打ちをかけるように、さらなる試練が彼に降りかかる。
「影への任務命令は、国家安全保障局の役割だな。ジーク、私やハインリヒの提案はどうだ?」
国王から長官としての判断を迫られた。
厳密には、国王がジークヴァルトに訊ねる必要などない。
ジークヴァルトよりも上位の立場にある国王と王太子ならば、決定を下すことは可能である。
(お二人は私の立場を尊重してくださったのだろうが……)
ジークヴァルトとて、頭では分かっている。
ベラドンナを潜入させて、真の黒幕の証拠を掴むのが今の最善策だ。
それが穏便な戦争回避の手段であり、国益につながる。
(普段の私なら、悩むまでもない。答えは決まっている。だが……)
――国を守るためには、命令しなければならない。
――でも、愛する女性を危険な任務に近づけたくない。
今のジークヴァルトは、この相反する想いで板挟みになっていた。
激しい葛藤が胸を引き裂く。
胃のあたりがぎゅっと冷たく縮こまり、喉の奥がからからに乾いた。
「ジーク?」
いつも判断の早いジークヴァルトが、珍しく熟考する様子に、不思議そうに王太子が声をかけた。
その言葉にハッと顔を上げる。
自分はどれくらい沈黙していたのだろうか。
ジークヴァルトの体感では数分にも感じられたが、実際はほんの数瞬だったようだ。
ジークヴァルトは軽く咳払いをして、姿勢を正す。
「……陛下と王太子殿下の提案でいきましょう。――総長、長官として任務を命令する。ベラドンナを黒鷹会のアジトに潜入させ、真の黒幕の正体を掴め」
胸を押しつぶすような苦しみに耐えながら、ジークヴァルトはついにその命令を静かに口にした。
命令を下しつつも、いまだに胸の内では「これでよかったのか」という気持ちが燻る。
だが、最終的に決断を後押ししたのは、他ならぬエレナの言葉だった。
色仕掛けの禁止を告げた時の、彼女の傷ついた顔が浮かぶ。
あの時、エレナは言っていた――自分の人生や仕事を否定するのかと。
さらには、今後もこれまでと変わらず任務を命じてほしいとも口にしていた。
(私情で任務から外せば……それこそエレナの誇りを踏みにじることになるだろう)
それが理解できたからこそ、以前の失敗を踏まえて、ジークヴァルトは感情を殺した。
たとえどれほどエレナに行って欲しくないと思っていようとも、その想いを抑え込んで――冷酷無慈悲な公爵の顔を無理やり装ったのだ。
「では、これで方針は決まりだな。総長、頼むぞ。ジーク、進捗があればまた知らせてくれ。……宰相は次の議会の対策を、外務大臣は証拠入手後の交渉計画を、軍務大臣はもしもに備えた作戦立案および国境の警戒強化を、財務大臣は開戦になった場合の予算調整を、それぞれ進めてくれ」
こうして御前会議は、国王の総括の言葉とともに締めくくられた。
それぞれが席を立ち、退室していく。
だが、ジークヴァルトだけは、その場からしばらく動けなかった。




