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凄腕スパイは甘い嘘を焼き上げる 〜秘密の菓子店を営んでいたら、冷酷公爵様が常連になりました〜  作者: 美並ナナ


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第18話 深く重いため息①

あの時、自分はなぜ間違ってしまったのだろう。

どうすればよかったのか。


ジークヴァルトはエレナから決別を告げられた昨夜から、ずっと考え続けていた。


無意識のうちに、重いため息がこぼれる。


「おや? シュタルク長官がため息とは、珍しいですな」


しかし、この場で隙を見せるべきではなかったと、ジークヴァルトは内心で悔いた。


今は総長から任務の完了報告を受けている最中だ。


すでに昨夜エレナから内容を教えられていたこともあり、ジークヴァルトはついぼんやりしてしまっていた。


それを総長に見抜かれたのである。


向かい側に座る彼に鋭い目を向けられ、ジークヴァルトはわずかに体を強張らせる。


(……総長はエレナからどこまで聞いているのだろうか。昨夜のことを)


処分を下すなら総長を通して欲しいと口にしていた彼女が、まったく何も報告していないとは考えられない。


自分が彼女に好意を告げたことさえ、総長は把握しているかもしれない。


極めて個人的なことだけに、総長に知られていると思うと少々居心地が悪かった。


だが、そんな内心をおくびにも出さず、ジークヴァルトは至って真面目な顔で頷く。


「……ああ、影の掴んだ証拠によって黒幕が分かり、思った以上の陰謀が露見したからな。どう対処していくか悩ましい」


「ほう、私はてっきり昨夜のエレナとの一件で、頭を悩まされているのかと思いましたよ」


「総長……」


あえてエレナのことは話題にしなかったというのに、総長の方からずばりと切り出された。


ジークヴァルトはやや面食らいつつも、何事か言いたげな総長へ静かに視線を向けた。


「さぞ驚かれたことでしょうな。なにしろ素性調査をされようとしていた『菓子店のエレナ』が、『影のベラドンナ』だったわけですから」


「……もしや、私が素性調査を頼んだ時から気づいていたのか? だから断ったとでも?」


「確信はありませんでしたが、おそらくベラドンナだろうとは察していましたよ。二人が顔見知りになっていたことには驚きましたがね」


「察していたなら、あの時に教えてくれても良かったのではないか……」


「私から言えるはずがないでしょう。話を聞く限り、エレナ本人が隠している様子でしたから。第三者が口を挟むのは野暮でしかない」


「……まぁ確かに」


筋違いな八つ当たりをしてしまい、ジークヴァルトはバツが悪くなった。


気まずげにそっと総長から視線を逸らす。


(そういえば、エレナを育てたのは総長だったな。……つまり、彼はエレナの養父ということか)


その関係性も、あの時に初めて知ったことだった。


まさか総長が直々に影のエースを育て上げていたとは。


どうりでベラドンナに抜きん出た実力があるわけだ。


(総長はただ単に己の手で優秀な諜報員を育てたかったのか? それとも……エレナを引き取ったことには、何か他の理由が?)


これはあくまでジークヴァルトの直感であるが、総長はエレナに特別な思い入れがあるように感じた。


口調こそ厳しいものの、エレナについて話す彼の声にはわずかに慈愛が滲んでいる。


ジークヴァルトに対する態度も、まるで「うちの娘に安易に手を出すな」と言わんばかりなのは気のせいか。


(総長に釘を刺されるまでもなく、彼女の方から決別されてしまったがな……)


凛と背筋を伸ばし、まっすぐこちらを見つめる、決意を宿した力強い眼差し。


それでいて、どこか切なさが滲む表情。  


最後に見たエレナのあの姿を思い出すたび、どうしようもなく胸が軋む。


(……私は、あの時どうするべきだったのだ……?)


ジークヴァルトは何度となく自問したその問いを胸に、あの夜の出来事を思い返した。



◇◇◇



昨夜、ジークヴァルトが路地裏にいたのは、情報提供者との密会のためだった。


影に任務を命じる傍ら、自分でも開戦派貴族の情報を集めていたのだ。


その密会を終え、人目を避けて路地裏を利用していたところ――エレナと遭遇した。


予想外の人物が現れ、ジークヴァルトは当初、自分の目を疑った。


菓子屋で穏やかに微笑むエレナと、夜の繁華街ほど、似合わぬものはない。


きっと他人の空似だろうと思った。


しかし見れば見るほど、本物のエレナそっくりだ。


思わず彼女の名をつぶやけば、「ジーク様……?」と自分の愛称を呼ぶ声が返ってきた。


これで確信した。

間違いなくエレナ本人であると。


すると次に気になるのは、なぜ彼女がこんな場所にいるのかという点だった。


それを率直に訊ねれば、エレナは困ったように口ごもる。


明らかに何かを隠している態度に、胸がざわめいた。


(……もしや、男との逢瀬か?)


想像するだけで胸に不快さが込み上げ、自然とジークヴァルトの眼差しが尖る。


ちょうどそんな時だった――エレナの胸元からひらりと一枚の紙が舞い落ちたのは。


何だろうと思いつつ、ジークヴァルトはそれを拾い上げた。


最初は中身を見るつもりなどなかった。


だが、一抹の期待が胸をよぎる。


もしかすると、エレナの素性を知る手がかりになるかもしれないと。


その誘惑に負け、ジークヴァルトはちらりと盗み見てしまったのだ。


そして――驚愕した。


なにしろそれは、ジークヴァルトが欲していた情報が余すことなく記された『協定書』だったのだから。


(なぜ、こんなものをエレナが……?)


そこから導き出される答えは、ひとつしかなかった。


彼女こそが影のエース『ベラドンナ』だという事実だ。


信じられない思いで問えば、彼女からは肯定の答えが返ってきた。


衝撃の事実にジークヴァルトが打ちひしがれていると、エレナの様子が一変する。


彼女は佇まいを正すと、ジークヴァルトに対して他人行儀のような口調になった。


『ジーク様』ではなく『シュタルク公爵閣下』と呼び、頭まで下げてくる。


そのうえ、「処分はいかようにも」「総長を通して命令してください」など、彼女の口から聞きたくない言葉が次々に飛び出した。


まるで菓子店で過ごした今までの時間を、なかったことにするかのようだ。


そのあまりにも割り切りの早いエレナの態度が、ジークヴァルトの癇に障った。


(今までの時間をなかったことになどできるものか。……私はもう、お前との未来まで思い描いていたというのに)


彼女との温度差を突きつけられ、悔しさとも寂しさともつかない感情が胸を渦巻く。


その後、人の気配を察して移動することになった時、ジークヴァルトは迷わず二人きりになれる場所へエレナを連れて行った。


彼女はこのまま立ち去るつもりだったようだが、そんなことは認めない。


まだ聞きたいことも、言いたいことも、山ほどあるのだ。


会員制サロンの個室で二人きりになると、さっそくまずは今回の任務について訊ねた。


当然ジークヴァルトは任務内容を把握している。なにしろ自分が命じたのだから。


だが、具体的にエレナが何をしているのかまでは知らない。


そこが気になって仕方なかった。


(……今まで成果を出してくれさえすればいいと思っていた。諜報員の具体的な行動は気にも留めなかったが……それがエレナとなれば話は別だ)


知らなかったとはいえ、これまでジークヴァルトはエレナに様々な命令を下してきたことになる。


なかには危険な任務もたくさんあった。


血も涙もないと周囲から言われるような、無慈悲な命令もあった。


(それを私は……エレナに実行してもらっていたのか……)


胸の奥から苦いものが込み上げてくる。


ジークヴァルトは眉根を寄せ、唇を噛みしめた。


しかし、このジークヴァルトの苦しみは、まだほんの序の口に過ぎなかった。


その後、エレナの口から語られた高級クラブへの潜入の話を聞いて――完全に固まってしまった。


生々しい録音音声が、それを裏付ける。


証拠としては確かに有用だ。


ただ、エレナがヘルダー伯爵を誘惑する様子が事細かに記録されており、ジークヴァルトは耳を塞ぎたくなった。


(エレナのあんな無邪気で甘い声は、聞いたことがない……)


まるで別人のようだ。


それほどベラドンナが優秀という証なのだろうが、今のジークヴァルトは複雑な気分だった。


「――という状況から、『黒鷹会』がここ最近起きた事件の黒幕だと思われます。その狙いは、我が国とインメル間での戦争を引き起こすことかと」


そうこうしているうちに、エレナの報告は締めくくられる。


正直なところ、衝撃が大きすぎて途中から内容が頭に入ってこなかった。


とはいえ、ジークヴァルトはそれを顔には出さず、険しい顔をしたまま、重々しく頷いた。


「黒鷹会……以前どこかで耳にした気がするな。その件は至急こちらでも調べよう」


「お願いします」


任務報告である以上、まずは今回判明した重要な事実について口にする。


ようやくその存在を掴んだ黒鷹会について、本来ならもっと考えを巡らせるべきだ。


だが、今はそれよりも――


「数週間も潜入していたのか。……どうりで菓子店が営業していないわけだ」


そう、ここだ。


実はここ最近も、ジークヴァルトは何度となく店に足を運んでいた。


そのたびに赤いリボンがなく、引き返すしかなかったのだ。  


「菓子店が不定期営業だったのは……影の任務のせい、ということか」


今思い返せば、確かにジークヴァルトが総長に任務を告げた後のタイミングで、いつも店が閉まっていたように思う。


(そういえば、一度任務中のエレナとは遭遇したこともあったな……)


ふと脳裏に浮かぶあの日の光景。


髪色も雰囲気もまったく違ったため、気づきもしなかった。


気づけば、その思いは口をついて出ていた。


「以前ベラドンナとは仮面夜会でも出くわしたな。つまり、ライノット侯爵を誘惑していたのも――エレナだったのか」


もやりとした黒い感情が胸に広がる。


実際に目にした、侯爵にしなだれかかる姿。


録音音声で耳にした、伯爵へ甘く囁く声。


見聞きした光景が頭の中で重なる。


エレナが男に笑いかける様子をありありと想像してしまい――ジークヴァルトは胸を鈍く抉られた。


自分には決して見せないような顔を、なぜあんな男たちに見せるのか。


込み上げる激しい衝動を押し殺す。


(分かっている。エレナは任務としてやっているのだ。……本心というわけではない)


頭では理解しているつもりだ。


しかし、感情というものは、そう簡単には割り切れない。


国益のためなら感情すら巧みに制御する、ジークヴァルトでさえも。


トントントン……。


気づけばジークヴァルトは自分の心を落ち着かせるため、無意識に指でテーブルを叩いていた。


(おかしい……私はなぜこんなにも苛立っているのだ)


やがてジークヴァルトは「これが嫉妬というものか」と気づいた。 


彼女の瞳が自分以外の男を映すことが、これほど苦しいとは。


自分だけを見てほしいという渇望が、胸の奥で膨れ上がる。


そしてその想いのまま、ジークヴァルトは口走ってしまった。


「――エレナ、もう色仕掛けはするな」


彼女は目を見開き、信じられないという表情をしている。


衝動的に口にしてしまった言葉だったものの、次第に、ジークヴァルトはその考えこそ最善なのではないかと思い始めた。


(そうだ、エレナが色仕掛けをやめれば……すべてが解決する。私が苦しい思いをすることもないし、彼女が無理に男たちを誘惑する必要もない)


だというのに、エレナは頑なだった。


何度説得しても、一向に耳を貸そうとしない。


挙げ句の果てには――


「そもそも影がどんな手段を取ろうとも――公爵閣下には関係ありませんよね?」


ジークヴァルトに対して、こんな突き放した台詞まで言い放ってきた。


(関係ない? まさか、そんなはずないだろう。エレナとの未来を考えるほど、真剣な想いだというのに)


どうして分かってくれないのだと、ジークヴァルトに焦燥感が募る。


だからこそ、もうこれ以上我慢ができなかった。


心に秘めていた想いが、ジークヴァルトの口を突いて出る。


「……エレナのことが、好きなんだ。異性として好意を抱いている。……だから、任務とはいえ――他の男に笑いかけるお前を見たくない」


「……え?」


さすがのエレナも、これには意表を突かれたようだった。


目を丸くして、氷のように固まった。


これでようやく分かってもらえると思った――その時。


「……シュタルク公爵閣下は、影の仕事を――私の生き方を否定するんですか?」


そんな低い声が聞こえたかと思うと、ジークヴァルトに向けて、エレナは感情を発露させた。


自分の生い立ちや、仕事への誇りや覚悟を語り、燃えるような眼差しで睨みつけてくる。


事ここに至って、ジークヴァルトはようやく理解した。


色仕掛けをやめろという一言が、エレナの誇りを傷つけたのだと。


「シュタルク公爵閣下、それが私の仕事なんです。任務となれば、色仕掛けに限らずなんだってします。それが国のためだから。……立場こそ違えど、閣下も同じではありませんか?」


とどめを刺すように放たれたこの言葉は、ジークヴァルトの胸をまっすぐ貫いた。



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