第14話 高級クラブへの潜入①
新市街と呼ばれる、王都の商業地区。
大小さまざまな商会や宿屋、娯楽施設などが建ち並び、夜でも賑わいを見せる場所だ。
その一角にある高級クラブでは、美しく着飾った若い女性たちと裕福な男たちが、今宵も煌びやかな店内で会話に花を咲かせていた。
この店は数あるクラブの中でも、ひときわ高い人気を誇る。
切り盛りするマダムが美人で気が利く上に、店の女の子たちも粒揃い。
高位貴族も足繁く通う者がいるという名店だ。
ヘルダー伯爵もそのひとり。
この店の常連客としてマダムとは長年懇意にしていた。
今夜もここで人と会う約束をしていた伯爵は、でっぷりとした腹をさすりながら、店内へ悠然と足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ、ヘルダー伯爵閣下」
「やぁマダム。今日も美しいな。……ん? そちらは新人か? 見ない顔だ」
「うふふ、そうなんですの。ほら、閣下にご挨拶なさい?」
「はじめまして、リリアンって言います! マダム、閣下ってすごく素敵な方ですね。わたし、大人の色気にドキドキしちゃいます……!」
いつものようにマダムに迎えられた伯爵は、その後ろからぴょこんと姿を現した女に目を留めた。
リリアンと名乗った新人嬢は、初々しい笑みを浮かべた愛らしい娘だった。
仕草や口調にも無邪気さが滲んでいる。
だが、体の線に沿ったドレスは艶かしく、ドキッとするほど胸の谷間が深い。
(……ほぉ、なかなか上玉ではないか)
伯爵は二ヒヒと笑い、内心で舌舐めずりをした。
「閣下、すでにお連れ様はお見えですわ。貴賓室で首を長くしてご到着をお待ちでしたわよ?」
「ハハハ、そうかそうか。それはワシもすぐ向かわねばな」
「ええ、そうして差し上げてくださいな。……リリアン、閣下をご案内してちょうだい。場所は分かるわね?」
「はぁい、マダム」
「貴女はそのまま貴賓室のお客様をお相手なさい。ヘルダー伯爵閣下をはじめ、特別なお客様方ばかりだから、粗相は許さないわよ?」
「ふふ、わかりましたマダム。わたし、精一杯おもてなししてきますねっ!」
どうやら伯爵がリリアンを気に入ったことを、マダムは一目で見抜いたようだ。
(さすがマダム。気が利くではないか)
たとえ客が気に入った女でも、実力がなければマダムは新人を貴賓室へは向かわせない。
つまりリリアンは新人ながらに、マダムのお眼鏡に叶うクラブ嬢ということだ。
(愉快な夜になりそうだ)
伯爵は笑いで腹を揺すりながら、にこにこと笑うリリアンに案内され、店内を移動する。
喧騒に満ちたホールを抜けると、重々しい扉で隔てられた奥の個室へ到着した。
「皆、待たせたな」
「おお! これはこれは、ヘルダー伯爵閣下!」
「お待ちしておりましたぞ!」
伯爵が中に入ると、美女を侍らせ酒を楽しんでいた男たちが一斉に立ち上がった。
へりくだった態度で近寄ってきて、伯爵を上座へと案内する。
そこへどっかりと腰かけ、伯爵は高価な葉巻を咥えた。
「では、改めて乾杯しましょうぞ。君、閣下にこの店で一番高級なワインを!」
「はぁい、分かりましたぁ!」
リリアンは軽く合図を送って黒服にお酒を持って来てもらうと、伯爵の隣に座り、グラスにワインを注ぐ。
少し身を乗り出して給仕するものだから、自然と胸元が覗き、首から下げたネックレスがゆらりと揺れた。
伯爵の視線は、その魅惑的な光景に釘付けになる。
わざと見せつけるのではなく、無邪気な仕草だからこそ、たまらない。
まだ酒も飲んでないというのに、伯爵はすでにこれ以上なく気分が高揚していた。
「それでは、今宵の楽しい宴に乾杯!」
「乾杯!」
ひとりの貴族の声に合わせ、全員がグラスを持ち上げる。
貴賓室にカチンと澄んだ高い音が響いた。
◇◇◇
(……情報通り、ヘルダー伯爵が開戦を主張する貴族のとりまとめ役のようね)
新人嬢リリアンとして潜入中のエレナは、談笑する男たちへ静かに視線を向けた。
総長から任務を受けた後、影は総動員で情報を洗い、開戦派を束ねるヘルダー伯爵へと辿り着いた。
彼がここで派閥の面々と密会を重ねている事実も掴んでいる。
そこでエレナは数週間前からこの店に潜入し、彼らの会合を待ち構えていたのだ。
(張り込んでいた甲斐があったわ。狙い通り、この席にも潜り込めたしね)
エレナは心の中でふっと笑みをこぼす。
会合に先駆け、マダムに気に入られるように動いたのも無駄ではなかった。
クラブでの接客など、諜報員として数々の男たちを色仕掛けで籠絡してきたエレナにとってはお手のものだった。
それだけでなく、あらかじめ伯爵の女の趣味を調べていたのも大きい。
無邪気で甘え上手な、胸の大きい女が彼の好みなのだ。
(おかげですんなりこの席を担当させてもらえたわ)
エレナはリリアンとして鈴を転がすような声で明るく笑いながら、伯爵に酌をする。
美女に囲まれ酒が入った男たちは、次第に口が滑らかになっていく。
「ハハハ、世論は順調に開戦へ傾いているな」
「ライノット侯爵が己の失態を嘆いてくれたおかげで、インメルに悪感情を抱いた者も多いようですな」
「まったく馬鹿な男だ。印章を盗まれるとはな」
「閣下のおっしゃる通りかと。妖艶な美女に惑わされたらしいですな」
「侯爵位に就いていながら、実に嘆かわしい」
「本当ですよ。閣下こそ、その地位に相応しいお方ですのに。王家も見る目がない」
「いいか、開戦さえすれば軍需の利権はワシらの派閥で独占できる。公爵や侯爵どもの鼻を明かしてやれるぞ。お前たちにも十分な甘い汁を吸わせてやる」
「おお! さすが閣下!」
上機嫌な男たちは、クラブ嬢がいることも気に留めず、ワッと盛り上がる。
彼らが意図的に開戦を煽っているのは明らかだ。
背後に誰がいるのかは漏らしていないが、この会話だけでも十分な証拠になる。
(ふふっ、この密談が録音されているなんて、夢にも思わないでしょうね?)
エレナは胸元で輝く宝石にそっと触れた。
実はこれ、最近ダチュラが開発に成功した『超小型録音機能付きのネックレス』なのだ。
諜報活動に欠かせなくなるだろう画期的な発明である。
さっそく今回の任務からエレナは活用を始めていた。
(もっと重要な証言を引き出さなきゃね)
妖艶な美女に惑わされたライノット侯爵を馬鹿にしていた彼らだが、まさに今、自分たちがその標的にされていることに気づきもしない。
なんと皮肉なことだろう。
エレナは笑いをこぼしそうになるのをぐっと堪え、代わりに無邪気な声を上げた。
「なんだか難しそうなお話ですけど、閣下って本当に国を動かす偉いお方なんですねっ! すご〜い!」
目を輝かせ、尊敬の眼差しで見つめる。
すると伯爵は、分かりやすく鼻の穴を大きくして得意げに胸を張った。
「ふん、可愛いやつだな。おいリリアン、もっと近くに来て酒を注ぎなさい」
そう言ってエレナの腰を抱くと、浴びるように酒をあおり始めた。
気を良くした伯爵は、ますます饒舌になり、聞いてもいない武勇伝を勝手に語り出す。
(この手の男って、本当におだてに弱いわよね。少し自尊心をくすぐるだけで、これだもの)
エレナは心の中でほくそ笑みつつも、「すご〜い!」「さすが!」と相槌を入れ、どんどん伯爵の言葉を引き出していく。
伯爵に笑顔を向けながら、エレナは素早く部屋全体にも視線を走らせた。
他の面々も美女たちに鼻を伸ばし、思い思いに楽しんでいるようだ。
だがそんな中、ひとりだけ少し浮いている男がいた。
(あの人、最初から気になっていたのよね。愛想笑いを浮かべてはいるけれど、どこか顔がこわばっているし……)
事前の調査でも、彼だけは開戦派の貴族として名前は上がっていなかった。
ごく最近加わったのかと思っていたが、どうも違う気がする。
「――それでどうだ、シールド男爵。そろそろ心は決まったか?」
エレナに向かって自慢話を繰り広げていた伯爵が、その時ふとその男へ話を向けた。
シールド男爵と呼ばれた男は、ビクッと体を震わせる。
「恐れることはない。我らは開戦へ向けて世論を扇動するだけだ」
「……いや、しかし……」
「何を躊躇することがある? 開戦すれば唸るほどの利権が手に入るぞ。お前のところの領地、ずいぶん資金繰りが苦しいそうじゃないか。開戦を声高に叫ぶだけでも十分な金が貰えるぞ」
(これって、まさに買収の現場じゃない……!)
エレナは思わぬ展開に、無邪気な笑顔を崩さぬまま、さりげなく耳を澄ませた。
話の流れから察するに、シールド男爵は彼らに勧誘を受けているのだろう。
開戦派の貴族が増えるほど、その声は通りやすくなるからだ。
賛同する貴族が多数で、世論も開戦へ傾いていれば、さすがの王家も無視はできない。
「悪いことは言わん。ワシらの仲間になれ」
「そうだぞ! 閣下についていけば間違いない!」
「迷うことなどあるまい。我らと栄光を築こうではないか!」
伯爵に続き、手下の貴族たちも言葉を重ねる。
熱心に誘われているシールド男爵の心は、ぐらぐらと揺れているようだ。
悪い噂も聞かない善良な男爵が葛藤しているとなると、よほど領地経営が上手くいっていないのだろう。
男爵は弱りきった顔でつぶやいた。
「……しかし、実際にインメルと戦争になったら、我が家には十分な武力もないし……」
それは当然の懸念だった。
資金繰りも苦しいのに、多くの騎士を雇う余裕があるはずもない。
だが、伯爵やその手下たちは、一様ににんまりと嗤った。
「ハハハ、心配いらん。ワシらのバックには『あの組織』がついている。開戦後の利権も、相手国の防衛資料も、すべて奴らが用意してくれる手筈だ」
伯爵はでっぷりと肥えた腹を揺すり、ついに決定的な一言を告げた。
(『あの組織』! きっと黒幕のことだわ……!)
これでこの件にも、第三者が裏で糸を引いていることが明らかになった。
その組織が貴族たちを買収し、開戦論を叫ばせているに違いない。
密輸事件で、反体制グループに暴動を起こさせ、国内に情勢不安を撒き散らし。
続く外交官暗殺未遂事件で、両国の緊張を高め。
そして、トドメとばかりに開戦論を扇動する。
すべてバスティア王国とインメル王国との間で戦争を引き起こす狙い、と考えれば辻褄が合う。
(……恐ろしく大掛かりな陰謀だわ。『あの組織』って一体……?)




