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凄腕スパイは甘い嘘を焼き上げる 〜秘密の菓子店を営んでいたら、冷酷公爵様が常連になりました〜  作者: 美並ナナ


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第13話 総長からの忠告

久しぶりにあの店で菓子を味わい、エレナと言葉を交わしたことで、心身ともに満たされた――その夜。


ジークヴァルトは、防諜対策の施された応接室で、影の総長と向き合っていた。


あらかじめ彼を呼び出していたのだ。


「悪いな、総長。夜更けに来てもらって」


「構いませんよ、シュタルク長官。そろそろお声がかかりそうだとは思っておりましたから」


「さすがだな」


革張りのソファに深く腰を下ろし、ジークヴァルトは膝の上で手を組んだ。


そうして、ここ最近インメルとの開戦論を口にする者が増え始めている状況を説明する。


もちろん総長もこの事態は把握していた。


二人は情報格差が起きないよう、まずは認識のすり合わせをしているのだ。


「――つまり長官は、誰かが開戦へ向かうよう世論を煽っていると?」


「ああ。そしてその何者かが……正体不明の黒幕ではないかと強く疑っている」


「なるほど。インメルの過激派が黒幕として噛んでそうな匂いがしますな」


「現時点でその証拠はないが、可能性は高いだろうな」


「インメル……」


総長は噛みしめるように、隣国の名をつぶやく。


鋭い瞳が研ぎ澄まされた刀のように光っていた。


(何かインメルと因縁でもあるのだろうか)


ふとそんな小さな疑問がジークヴァルトの脳裏をよぎった。


だが、他ならぬ総長によって問いかけられ、それはあっさり断ち消える。


「それで今日の本題は、任務の変更ですかな?」


「……ああ、その通りだ。正確に言うならば、任務の追加といったところだな」


「詳しく聞かせていただきましょうか」


総長にまっすぐ見据えられ、ジークヴァルトは重々しく頷いた。


現在命令を下している任務――「黒幕の正体を突き止めろ」に変更はない旨を伝えた上で、追加任務を切り出す。


「開戦を訴えている貴族を調べてもらいたい。私の想像が正しければ――奴らは黒幕と取引して、世論の扇動をしているはずだ」


「その取引の証拠を掴んでこい、という命令ですかな?」


「その通りだ。証拠は何でもいい。取引現場を押さえるでも、資金の流れの分かる帳簿を奪ってくるでも、手段は問わない」


「ふむ。……うまくいけば、黒幕の正体も掴めそうですな」


ギラリと目を光らせ、総長はふっと唇の端を釣り上げた。


この様子なら、何かしら掴んでくれるだろう。


おそらくベラドンナあたりが、貴族が集う場所に潜入して情報収集に向かうはずだ。


(……ベラドンナといえば、仮面夜会で初めてその姿を見たな。といっても仮面越しだったが)


それでも口元の表情や仕草から、男を容易に籠絡する妖艶さは見て取れた。


標的にされたライノット侯爵など、見るからに鼻の下が伸び切っていた。


ジークヴァルトはあの女がベラドンナだと後から知ったのだが、彼女の色仕掛けの手腕には感心したものだ。


(変装の達人でもあるから、私が見た容姿も仮の姿なのだろうな。まぁ、彼女なら今回も見事に任務を果たしてくれるだろう)


前回同様、こちらの予想以上の証拠を掴んできてくれるかもしれない。


早くこの事件を解決させるためにも、期待したいところだ。


そこまで考え、ふとジークヴァルトの脳裏に、運河沿いの菓子店が思い浮かぶ。


(……事件が片付いたら、またあそこでエレナとゆっくり過ごしたい。あの雨の日のような穏やかな時間を)


エレナが厨房で菓子を作るのを待ちながら、焼きたてを味わう――あの満ち足りた時間が恋しくてたまらない。


束の間、ジークヴァルトは目の前の総長の存在を忘れ、口を閉ざした。


すると総長は、それを話の終わりだと受け取ったらしい。


音もなく席を立ち上がり、応接室から出ていこうとする。


そこでハッと我に返ったジークヴァルトは、総長に声をかけた。


「総長、少し待ってくれ。実はもう一つ、別の話がある」


「……ほう? なんですかな?」


扉に向かっていた足を止め、総長は再びソファに腰を下ろした。


任務は今しがた聞いたばかりなのに、何の話があるのかと疑問に思いながら、ジークヴァルトを見つめる。


この時、ジークヴァルトは内心で密かに葛藤していた。


思わず引き留めたものの、本当に総長に依頼していいのか迷っていたのだ。


やめておくべきだと理性は告げている。


だが――本人に聞けない以上、他に方法が思いつかなかった。


ある種の覚悟を決めたジークヴァルトは、瞳に真剣さを宿し、ゆっくりと口を開く。


「――実は、ひとり素性を調べてほしい者がいる」


「素性調査ですか。ふむ、影にかかれば、よほどの大物を除けば、しごく簡単な仕事ですな」


「大物ではない。……普通の街娘だ」


「…………お尋ねしますが、それは公務ですかな?」


「……私用だ」


ジークヴァルトはそう答えながら、気まずそうに眉を顰める。


そんな彼の珍しい姿に、総長はわずかに目を見開いた。


思わず絶句していると、それを了承と理解したジークヴァルトが一方的に言葉を続ける。


「名前はエレナ。年は二十前後。旧市街にある運河沿いの菓子屋で店主をしている。不定期営業という変わった店だ。分かっているのは、孤児院育ちで五歳の頃に引き取られたということだけで……それ以外はまったく素性が分からない。悪いが、彼女について調べてほしい」


一度口を開くと迷いが吹っ切れたのか、ジークヴァルトは淀みなく話し始めた。


誰かに命じて素性を調べさせるという行為は、彼にとってごく普通の日常だった。


新たな取引相手も、夜会で顔を合わせる貴族も、ジークヴァルトは事前に必ず素性を調べさせてきた。


ただ、エレナに関しては事情が少し違う。


今回は「彼女について知りたい」というジークヴァルトの勝手な都合によるところが大きい。


(もちろん、エレナとの今後を真剣に視野に入れているからこそ、知りたいという理由もあるが)


ジークヴァルトにとって、気づけばそれほどまでにエレナは、かけがえのない存在となっていた。


日に日にその存在感が増していく。


会っていない時ですら、彼女を思えば心が安らぐようになっていた。


たとえエレナが平民だろうと、もはや関係ない。


彼女には自分の傍にいてほしいと、ジークヴァルトは心から願っている――身分差など気にならないくらいに。


(そもそも公爵家当主の私の婚姻に口を出せる者などいないからな。私が誰を娶ろうが誰にも文句は言わせない)


厳密に言えば、王家ならば口出しもできる。


ただ国王や王太子は、ジークヴァルトが今と変わらず職務を果たすならば、反対しないだろうという勝算があった。


とはいえ、まったく素性が分からないのは、さすがに困る。


エレナとの未来を真剣に考えたいからこそ、彼女のことが知りたい。


(これは建前を並べてるに過ぎないな。……結局は、私が彼女を知りたいだけだ)


それくらいジークヴァルトは本気だった。


彼は紡ぐべき言葉を言い切り、視線を総長に向ける。


きっといつものように「分かりました」と簡潔な返答が返ってくるだろうと、何の疑いもなくそう思っていた。


だが――その予想は呆気なく裏切られる。


「お断りします」


総長はただ一言、静かにそう発したのだ。


思ってもみない展開に、ジークヴァルトは目を見張る。


「…………なぜだ?」


「お忘れですかな? 影は王家直属の諜報機関。シュタルク長官の私用に応える義務はありませんからね」


「……」


それは紛うことなき正論だった。


こう言われては、もう二の句は継げない。


ジークヴァルトはグッと喉を詰まらせ、口をつぐむしかなかった。



◇◇◇



その翌日、今日のエレナは菓子店を閉め、影本部へと顔を出していた。


昨夜のうちに、総長は長官から呼び出しを受けている。


その内容がメンバーに降りてくるはずだ。


(……新たな任務の予感がするわね)


黒幕の正体にまだ辿り着けていない中、どんな命令があったのだろうか。


思いを巡らせていると、ちょうど総長が部屋に入ってきた。


辺りを見回し、全員が揃っていることを確認する。


その際、ふとエレナは総長と視線が絡んだ気がした。


(……? なんだか探るような目を向けられた気がしたけれど……気のせい?)


一瞬のことだったから、勘違いかもしれないと思いつつ、エレナは小さく首を傾げた。


そうしているうちに、総長が全員へ向けて口を開く。


「昨今、開戦を叫んでいる貴族が増えている。奴らは黒幕と取引し、世論を扇動している可能性が高い。――その証拠を掴んでこい、との命令だ」


「なるほど。……証拠次第では、黒幕の正体にも迫れるかもしれませんね」


アコナイトが眼鏡をくいっと持ち上げながら、反芻するように相槌を打った。


他の面々も納得顔で頷いている。


「今回は影のメンバー総動員で、まずは開戦派の貴族の周辺を洗う。各自、気を引き締めて任務にあたるように」


「はっ!」


総長の威厳ある声が響き、総勢十五名の影たちは一斉に頭を垂れる。


解散を告げるパンッと乾いた音が鳴ると、素早い動きで身を翻した。


エレナもさっそく任務に取りかかろうと立ち上がる。


しかし、その時――。


「ベラドンナ、お前は残れ」


総長に呼び止められ、視線でついて来いと別室へ促された。


(えっ、何……? 特別任務でもあるのかしら?)


先ほど総長と目が合ったのは、そのせいだろうか。


たが、何かがおかしい。


というのも、総長は任務を他のメンバーに隠すことはしない。


たとえエレナがひとりで遂行するものでも、周囲に知らせ、サポートを任せるのだ。


(……じゃあ、任務以外のこと?)


じわりと胸に嫌な予感が広がる。


ドクドクと心臓が早鐘を鳴らし始めた。


「――さて、お前を呼び出したのは、聞きたいことがあったからだ。何のことだか分かるか?」


別室に二人きりになると、総長は静かにそう切り出した。


真正面からエレナをじっと見据え、一挙手一投足を見逃すまいとしている。


尋問さながらの空気に、エレナは手に汗を握った。


「……いえ」


こんな物々しい態度で聞かれるようなことに心当たりなどない。


エレナは恐る恐る小さく言葉を返す。


「そうか。では単刀直入に聞く。――シュタルク長官とは顔見知りなのか?」


「……ッ!」


総長の口から飛び出した問い。


それは予想外すぎるものだった。


思わずエレナはひゅっと息を呑む。


(な、なんで……総長がそれを知ってるの!?)


あまりの動揺から言葉を失うエレナを見て、総長はある程度のことを悟ったらしい。


ふぅと悩ましげな息を吐く。


「……もしや、恋仲なのか?」


「…………」


エレナは何も答えられなかった。


ジークヴァルトとは、ただの店主と客の関係だ。


けれど、そう口にしようとして――ほんの一瞬迷いが生まれた。


(本当に、心からそれだけって、……胸を張って言える……?)


異性として意識してしまっている自覚はある。


昨日に至っては、それ以上の胸のときめきを感じてしまっていた。


こんな状態なのに、尋問に長けた総長を前にして、嘘などつけない。


エレナが俯いたまま黙りこくっていると、総長は再び「はぁ」とため息をこぼした。


そのため息だけが、静まり返った室内に妙に大きく響く。


そして次の瞬間。


「エレナ」


総長が重い沈黙を破って、ゆっくりとエレナの名を呼んだ。


コードネームではなく――本名を。


驚いてエレナはぱっと顔を上げる。


(総長が私を『エレナ』と呼ぶなんて、一体いつぶり……?)


よくよく見れば、目の前の総長は厳しい顔をわずかに和らげ、幼子を見るような眼差しをエレナに向けていた。


その表情は、まるで『影の総長』ではなく、『父親』のようだ。


その面差しにエレナは瞳を揺らした。


「……察するに、まだ深い関係ではないのだろう? 長官もお前がベラドンナだとは知らない。違うか?」


「……その通り、です」


「なら話は早い。――本気でないなら、今のうちに距離を置きなさい」


諭すようにそう言われ、無意識のうちにエレナは唇を噛みしめた。


エレナとて分かっている。

総長が言わんとすることは。


(……ジーク様は国家安全保障局長官。私たち影に任務を下す立場の方だものね)


それは、幾度となく自分でも言い聞かせていたことだった。


しかし改めて総長に釘を刺され、思った以上に胸が苦しくなる。


(ええ、そうよ。恋仲なんかじゃないわ。ジーク様はただの常連客よ。……ほんの少し、意識してしまっただけ。気の迷いだわ)


エレナは暗示をかけるかのように心の中でつぶやき、そっと目を伏せた。



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