第11話 好意の自覚と陰謀の影②
「陛下、私は暗殺未遂に遭ったインメルの外交官や、抗議をしてきたあちらの外務大臣と直接話しましたが、彼らは何も知らぬ様子でした。おそらく隣国も一枚岩ではないのでしょう」
「インメルは今、どうも穏健派と過激派に政局が二分してきてるようですな。私の耳にも、そのような噂が届き始めています」
「過激派とは、他国の領土は戦って奪え、力でねじ伏せろという戦争を推奨する奴らだろ? 軍務を預かる俺が言うのもなんだが、まったく血の気の多い奴らだぜ」
「……戦争など金がかかるだけだというのに。理解できん」
国王の言葉に続き、外務大臣、宰相、軍務大臣、財務大臣がそれぞれの意見を述べる。
国王を含め彼らは全員、四十を超えた年齢だ。
公爵家当主とはいえ、まだ三十にも満たないジークヴァルトがこの場にいるのが、いかに異例なことかが分かる顔ぶれだった。
この状況が許されているのは、ひとえに国王が直々に彼を抜擢したからである。
年齢問わず実力ある者を登用する方針の国王は、ジークヴァルトの父が亡くなった時、迷うことなく彼を後任に指名したのだ。
初めのうちは反発する者も少なくなかったが、それをジークヴァルトは結果で黙らせてきた。
今や彼の役職に文句を言う者などいない。
そしてこの場にはもう一人、ジークヴァルトと同じく二十代の若者がいた。
「――ところでさ、穏健派と過激派に政局が二分してるのは、もしかすると他人事じゃないかもよ?」
「どういうことだ、ハインリヒ」
飄々とした声で割って入ったのは、御年二十六の王太子だ。
すかさず国王がその真意を問う。
ハインリヒは父親である国王と同じく輝く金髪の持ち主だが、その雰囲気は正反対。
百獣の王たる猛獣のごとき国王に対し、王太子は線が細く穏やかな雰囲気をした男だった。
ただし彼はただの優男ではない。
穏やかな眼差しの奥には、侮れない狡猾さが潜む。
そんな王太子は目を細め、他の面々を見渡しながら言った。
「うちの国も同じ状況になりうるかもと思ったんだよ、父上。……ここのところ、インメルへ報復すべきだって声高に叫ぶ輩がいるみたいなんだよね」
「……その話は私にも情報が上がってきています。暗殺未遂事件で容疑者となったライノット侯爵の関係者が口にしてるようですね」
ジークヴァルトの元にも、各地の情報提供者から同じ報告が届いていた。
ただし、王太子に答えたように、話の出所もはっきりしており、理由も明らかだ。
発端は暗殺の黒幕に仕立てられたライノット侯爵である。
後になってそれを知った彼が、周囲に嘆いたことで、話が広まったのだった。
(あの好色な男は、余計なことを口にしてくれたものだ)
だが、彼の周りの者が同情して「報復せよ」と口にしているにすぎない。
そのためジークヴァルトは、まず黒幕を追うことを優先していた。
しかし、ジークヴァルトの返答を聞いても、王太子の顔色は晴れない。
「うーん、今のところはね。でも、この声が増幅していったら? 感化された者が開戦を叫び出したら、過激派になりえるよね? ……なんか嫌な予感がするんだよねぇ……」
そんな不吉な言葉をこぼす始末だった。
(厄介なことに、ハインリヒの勘は侮れないからな。もう一度侯爵の周囲を探ってみるべきか?)
ひとつ年下の王太子とジークヴァルトは、幼馴染のような間柄で、会議でなければ敬語も使わない。
それゆえに、理屈では説明できないハインリヒの勘が過去に当たってきたことを、ジークヴァルトはよく知っていた。
彼がこう言う時は、警戒して然るべきなのだ。
国王や大臣たちも、まさに同じ思いを抱いていたのだろう。
その場には沈黙が落ち、誰もが嫌な予感に、密かに身を強張らせた。
◇◇◇
(……こんな時にこそ、この店で彼女に会えれば、どんなに心安らぐことだろうか……)
御前会議を終えた日から、ジークヴァルトは何度か菓子店を訪れていた。
のし掛かる重大案件に胃が痛くなるも、それを表には出さず、必死に平然を装っている。
相変わらず、執務室では冷酷に判断を下し、国益を損ねないよう励んでいた。
しかし、胃薬を飲んで体調を整えようとも、仕事終わりに菓子を食べて気分転換を図ろうとも、一向に心に平穏が訪れない。
彼女の顔が見たくて、彼女と何気ない言葉を交わしたくて、つい足が菓子店へ向く。
なのに、ジークヴァルトは運がなかった。
ことごとく、店が休みの日なのだ。
吊り看板に赤いリボンがないと分かった瞬間、肩を落としてしまう。
(……事前に聞いていた通り、本当に休みの日が多くなったようだな)
彼女に何かあったのだろうか。
ただこれは突発的なことではなく、店主本人からあらかじめ予告があったことのため、心配を要する事態ではないはずだ。
とはいえ、やはり気にはかかる。
(彼女のことが知りたい。……でも聞けない)
雨の日の一件以来、胸の内で何度となくつぶやいた言葉が駆け巡る。
そうしてジークヴァルトが彼女と会えない日々を過ごす中、不運は連鎖していった。
日に日にハインリヒの予感が現実となり、「インメルに報復せよ」と開戦論を口にする者がじわりじわりと増え始めたのだ。
このままでは市井でも「戦争が始まる」という噂が広がりかねないと、ジークヴァルトは危機感を募らせる。
世論が煽られるような動きが透けて見え、さすがに無視できない事態となってきていた。
(……もしや、これも正体不明の黒幕の仕業か? 我が国とインメルの開戦を狙っている?)
そんな可能性すら頭をよぎった。
考えすぎかもしれないが、別々のことだと思っていた事象が、どうにも繋がっているように感じられてしょうがない。
ますます胃が痛くなる思いだ。
(開戦を扇動している者が、黒幕の可能性は高いかもしれないな。……影に探ってもらうか)
ちょうどそんな結論を導き出した頃のこと。
ようやくジークヴァルトは、菓子店が営業している日に行き当たった。
赤いリボンが目に飛び込んできた瞬間、自分でも驚くほど、ジークヴァルトの足が軽くなる。
「いらっしゃいませ」
店に入って彼女に笑顔で迎えられると、ずんと重苦しかった胃の痛みが一気に和らいだ。
いつもの席で温かい林檎パイを食べ、彼女と話すうちに、どんどん気分が上向いてくる。
己の肩にのし掛かっている事案も、国を守ることは彼女の笑顔を守ることにも繋がるのだと思えば、やる気が漲ってきた。
(国益第一だった私がこの様だ。人に好意を抱くというのは恐ろしいな)
まるで自分が作り変えられるような、得体の知れない感覚に襲われる。
未知の自分に慄くも、一方でそれが不思議と嫌ではない。
ジークヴァルトは無意識のうちに頬を緩め、彼女を見つめていた。
そして何の躊躇いもなく、彼女を知りたい一心に突き動かされ、口を開いた。
「――そういえば、今さらだが、店主の名前を聞いてもいいか?」
「えっ」
彼女は一瞬だけ目を丸くした。
新緑を思わせるエメラルドの瞳が揺れている。
だが、彼女は少しだけ視線を彷徨わせた後、ほんのりと頬を染めて言った。
「名前を聞かれるとは思わず、少し驚いてしまいました。……えっと、私はエレナと申します」
「エレナ……」
初めて知った彼女の名前を、ジークヴァルトは反芻するようにつぶやく。
ただ名を口にしただけ。
たったそれだけなのに、不思議と彼女が少し近くなった気がした。
(相手の名を聞いたからには、私の名も明かさなければフェアではないな)
ジークヴァルトは一瞬考え、再び口を開いた。
「私はジークだ。改めてよろしく」
決して彼女を信用していないわけではないが、本名を告げるのは避けた。
なにしろ、あまりに貴族然とした名だ。
彼女に余計な遠慮をさせたくなかった。
「ジ、ジーク様……」
彼女がジークヴァルトの愛称を、恐る恐る口にする。
自然と「様」を付けるあたり、彼女もジークヴァルトが貴族であるとは察しているようだ。
それをあえて確認してこない。
そういうところが、彼女らしいと思う。
(それにしても、何度となく聞いた名前が、まるで別物みたいだ)
彼女の小さな唇から紡がれる自分の名は、どうしてこんなにも甘く響くのだろうか。
ふいに彼女の頬に触れた時の柔らかさを思い出し、衝動的に手が伸びそうになる。
林檎のように赤く色づく唇に、触れてみたい。
きっと甘くて美味しいに違いない。
(……私は何を考えているんだ。ありえない)
ジークヴァルトは邪な思いを抱いた自分を窘め、軽く首を振った。
「……エレナ」
だが、彼は今しがた知った彼女の名を呼ぶことだけは止められなかった。
その声には、自分でも気づかぬほど愛しく思う気持ちが滲んでいる。
砂糖たっぷりの菓子よりも甘い響きに、エレナはみるみる頬を赤く染めた。
その姿を見た瞬間――ジークヴァルトの胸は、またひとつ大きく高鳴った。




