第三話
白一色に染まりつつある王都のメインストリートを、私はゆっくりと歩いていた。
悲鳴を上げて逃げ惑っていた人々は、私の放つ胞子を吸い込み、数歩も行かぬうちに幸せそうな顔で立ちすくんでいる。
「お、お姉様!? まさか、生きて……!」
王城の前で、近衛兵に守られたリリアが、幽霊を見るような目で私を見ていた。
彼女は以前よりも豪華なドレスを着て、聖女の杖を握りしめている。
「ええ、ただいま。リリア。あなたを愛しているから、迎えに来たのよ」
「ひっ、来ないで! あなた、何をしたの!? この街の惨状は……!」
「惨状? 何を言っているの。見てごらんなさい。誰も喧嘩をしていない。誰も泣いていない。みんな幸せそうじゃない」
「狂ってるわ! わたくしの聖なる光で、焼き払ってやるわ!」
リリアが杖を掲げると、まばゆい黄金の光が放たれた。
けれど、その光は私に届く前に、空気中の胞子に絡め取られ、ジュッと音を立てて消えてしまう。
「な、んで……わたくしの力が、通じないの……?」
「あなたの光は騒がしいのよ、リリア。そんなに眩しくしたら、皆の安眠の妨げになるでしょう?」
私はリリアの目の前に立ち、その震える頬に手を添えた。
「ひっ、やめ、やめて……!」
「可哀想なリリア。私から奪った聖女の座は、そんなに重荷だったのね。常に完璧でいなければならないプレッシャー。私への劣等感。…もう、疲れ果てているじゃない」
私の指先から、白糸が彼女の肌へと侵入していく。
「あ、が、ぁ……熱い、いや、冷たい……感覚が……」
リリアの美しい金髪が、根元から純白に変色していく。
頬の赤みが引き、陶器のように滑らかで、冷たい白さだけが残る。
恐怖に見開かれていた瞳から光が消え、白濁したガラス玉のようになっていく。
「お、ねえ、さ……ま……ごめ、んなさ……」
「謝らなくて良いのよ。リリア。私があなたを救ってあげる」
私は、完全に口がきけなくなったリリアを抱きしめた。
彼女の口からは、言葉の代わりに、美しい白い茸の蕾がこぼれ落ちた。
「おやすみなさい、リリア」
私は動かなくなった妹を、城門の前に飾った。まるで、これから始まる王城浄化の記念碑のように。
◇
「……何の、つもりだ、エリス」
王城の謁見の間。
かつての婚約者、第一王子エドワードが、剣を杖代わりにどうにか立っていた。
彼の周囲には、かつて私を嘲笑った貴族たちが転がっている。
いいえ、転がっているのではない。彼らは皆、恍惚とした表情で、自らの体から生え出た白い真綿に包まれ、静かに眠っているのだ。
「お久しぶりです、エドワード殿下。救いに来たのですよ」
私は微笑み、一歩踏み出す。
私の足跡からは、瞬く間に白い糸が広がり、床の絨毯を真っ白なビロードへと変えていく。
「狂ったか! これが……これが聖女の力だというのか! 人を、国を、こんな……動かぬ石像に変えてしまうことが!」
「石像だなんて失礼な。彼らはただ、苦しみから解放されただけです」
私は、近くで横たわる公爵夫人の頬を撫でた。
彼女の耳の穴からは、白く細い糸が、花のように咲き乱れている。
彼女はもう、贅沢品への渇望も、浮気な夫への憎しみも感じない。
ただ、脳の髄まで私の「浄化」に満たされ、永遠の幸福の中にいる。
「殿下も、毎日お辛かったのでしょう? 王位継承権、隣国との緊張、私を追放した罪悪感……。もう、頑張らなくていいのですよ」
「くるな、来るな……ッ!」
エドワードが剣を振るう。
けれど、その腕はひどく重そうだった。彼の袖口からは、すでに真っ白な糸が血管のように浮き上がり、皮膚を突き破って芽吹こうとしている。
私が彼を「許した」瞬間に、浄化は始まっていたのだ。
「……あ、…………ぁ」
剣が床に落ちる。
彼は膝をつき、自分の手の甲から生え出した、雪のように白い「花」を、恐怖に満ちた目で見つめていた。
やがて、その瞳から色が抜けていく。
激しい憎悪も、傲慢さも、知性も。
すべてが真っ白に浄化され、代わりに、幼児のような無垢で空虚な輝きが宿る。
「……ぁ、エ、リス……さま……」
彼は私の足元にすがりつき、涎を垂らしながら、幸せそうに喉を鳴らした。
かつて私を冷酷に切り捨てた男は、今や私の意志がなければ呼吸の仕方も忘れてしまう、ただの「幸福な肉塊」へと成り果てた。
「ええ、いい子ですね。今まで頑張りましたね。エドワード」
私は彼の頭を優しく抱きしめる。
彼の耳から、鼻から、口から。溢れ出した白い綿毛が、私と彼を一つに繋いでいく。
城の外では、数万の国民が同じように白く染まり、静寂の中で私を讃えていた。
争いも、飢えも、悲しみもない。
この国は今、世界で一番美しい場所になったのだ。
春になる頃には、王都の白い花は王国中へ広がるだろう。
きっと世界は、もっと美しくなる。




