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世界はやがて白に染まる  作者: 唯乃


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第二話

「エリス・ラングレイ! 貴様のような無能、我が国には不要だ。今すぐ去れ!」


 降りしきる雨の中、王太子の冷徹な声が響いた。


 王城の庭園。かつて愛を誓い合った婚約者、エドワード殿下は、私の妹であるリリアの肩を抱き寄せ、汚物を見るような目で私を見下ろしている。


「殿下、お待ちください……。私の祈りが通じないのは、きっと何か理由が……」


「言い訳は見苦しいぞ。リリアは昨日、枯れかけた大樹を光り輝く花で満たしてみせた。それに比べてお前はどうだ? 祈れど、願えど、何も起きぬ。……いや、お前が触れた花は、どれも不気味に色褪せ、生気を失うではないか」


 殿下の隣で、リリアが勝ち誇ったような笑みを浮かべ、わざとらしく目を伏せた。


「お姉様、ごめんなさい……。でも、聖女の座は『より人々を愛せる者』に与えられるべきなのですわ。お姉様のその……『澱んだ』ような魔力では、誰も幸せになれませんもの」


「聞いたか。リリアはこれほどまでに慈悲深い。……衛兵! この『偽聖女』を捕らえよ。国境の先、魔物が蠢く『死の森』へ捨ててこい。死に場所くらいは自分で選ぶがいい」


 屈強な男たちに腕を掴まれ、泥水の中に引きずり回される。


 泥にまみれ、引き裂かれたドレス。背中に浴びせられるのは、かつて私を慕っていたはずの家臣や侍女たちの、冷笑と罵倒のつぶて


 視界が涙で滲む中、私は最後に振り返り、彼らを見た。

 エドワード殿下、リリア、そして私を嘲笑うすべての人々。


(私の魔力は、澱んでいるのではなくて、『純粋すぎる』だけなのに…)


 死の森へ向かう馬車の中で、私は自分の手のひらを見つめた。


 指先から、ほんの少しだけ。


 この世のどんな真珠よりも白く、どんな雪よりも清潔な、小さな小さな「綿毛」が芽吹いていた。





 私は馬車から突き落とされ、泥と腐葉土の中に転がった。


 ここは魔物が跋扈する「死の森」。国境の果てにある、光の届かない場所。


 衛兵たちは私をゴミのように捨てると、振り返りもせず去っていった。


「寒い……痛い……」


 ドレスは破れ、全身傷だらけだ。頬を伝う血が、黒い土にポタリと落ちた。


 ああ、このまま私は魔物の餌になり、誰にも愛されず、泥の中で朽ちていくのね。


 ……いいえ。


(違うわ)


 血が落ちた場所から、何かが蠢いた。


 それは光ではなかった。植物の芽吹きでもなかった。


 私の血液を苗床にして、爆発的に増殖する、純白の糸だった。


 ズズ、ズズズ……と、湿った音を立てて、白い糸が地面を覆っていく。


 腐った土が、瞬く間に清潔な白の絨毯に変わる。


 枯れ木にまとわりついた糸は、その幹を食い破りながら美しい花を咲かせ、黒い森を白亜の庭園へと変貌させていく。


「グルルル……ッ」


 血の匂いを嗅ぎつけた狼型の魔物が、茂みから飛び出してきた。


 けれど、その牙が私に届くことはない。


 私が手をかざすと、空気中を漂う目に見えない胞子が、魔物の肺に入り込んだからだ。


「ギャッ、ガ、……ァ、…………」


 魔物は空中で痙攣し、ドサリと落ちた。


 その体表から、みるみるうちに白い綿毛が噴き出す。

 赤黒い獣の体が、ものの数秒で、美しい白珊瑚のような彫像へと変わってしまった。


 動かない。吠えない。傷つけない。


 ただ静かに、私を讃えている。


(ああ……なんて静かで、美しいの)


 私は理解した。私の力は、傷を癒やすものではない。


 苦しみも、痛みも、醜い感情も、すべてを白く塗りつぶして「浄化」する、絶対的な救済。  まさに救いの聖女を体現した力。


 私は立ち上がり、白く染まった森を見渡した。


 もう、ドレスの汚れも気にならない。私の体からも、美しい白糸がドレスのように伸びているから。


「待っていてね、エドワード。リリア。これまでつらかったよね。私が、今、救ってあげるから」





 死の森を抜けた先にある、灰色の村。


 そこはアルカと呼ばれ、王都の華やかさから見捨てられた、泥と絶望が沈殿する場所だった。


 痩せ細った子供が泥水をすすり、大人たちは重税への呪詛を吐き散らしている。


 かつての私なら、この光景を見て心を痛め、無力な祈りを捧げていただけだった。


 けれど、今の私は違う。


 私には、彼らを救う術があるのだから。


「……あら、そんなに震えて。お腹が空いているのね」


 私が森の深淵から足を踏み出すと、村の男たちが錆びた農具を手に私を囲んだ。


 彼らの瞳には、飢えと、得体の知れないものへの恐怖が濁って混ざり合っている。


「魔物か……!? いや、死の森から生きて出てこられる人間などいるはずがねえ!」


「あっちへ行け! これ以上、俺たちの食い扶持を奪うな!」


 投げつけられた石が、私の頬をかすめる前に、空気中の胞子がそれを優しく包み込んだ。


 石は重力を忘れたように、私の足元へポトリと力なく落ちる。


「かわいそうに。そんなに怒らなくていいのよ。もう、頑張らなくていいの」


 私はそっと指先を振った。


 ふわり、と。


 午後の陽光に透ける雪のように、純白の綿毛が風に乗って彼らの肺へと吸い込まれていく。


「がっ……、は……っ!?」


 一人の男が喉を押さえて膝をついた。


 周囲が悲鳴を上げようとした、その瞬間。


「……あ、ああ……。なんだ、これ……」


 男の表情から、瞬時に「険」が消え去った。


 長年の重労働でひび割れていた彼の手から、白い産毛のような茸が芽吹き、傷を塞いでいく。


 栄養失調で濁っていた彼の瞳に、見たこともないほど穏やかで、幸福な光が宿るのを私は見逃さなかった。


「温かいんだ……。お腹も空かない。悩みも、憎しみも、全部消えていく……」


 彼は農具を投げ捨て、まるで神を仰ぐように私の前に跪いた。


 それを見た他の村人たちも、次々とその場に倒れ伏し、やがて恍惚とした表情で動かなくなる。


 私の歩みに合わせ、枯れ果てた井戸からは純白の糸が溢れ出し、またたく間に村全体を白亜の絨毯で覆い尽くしていく。


 ああ、なんて美しい。


 私は、病で伏せっていた少女の枕元に立ち、その痩せた頬に指を這わせた。


 少女の目からは涙の代わりに、宝石のように白い胞子の粒がこぼれ落ちる。


「私の魔力は『澱んでいる』なんて言われたけれど。……見て、こんなにもみんなを幸せにできるの」


 数日のうちに、アルカ村から「音」が消えた。


 家畜も、人々も、雑草さえも。


 すべてが私の白い糸で繋がり、一つの巨大な、静かな生命体へと作り替えられた。


 彼らはもう、喋らない。

 けれど、その頬に咲いた白い花は、私が通るたびに嬉しそうに、愛おしそうに震えてくれる。


 私は、かつて自分を捨てた王都の方角をじっと見つめた。


「まだあそこには、泣いている人がたくさんいるのね。……急がないと」


 私が踏み出す一歩ごとに、足元の白い絨毯が波打ち、王都へ向かう街道へと侵食を広げていく。


 アルカ村の入り口に、白く染まった看板が一つ。

 かつてあった子どもの落書きは消え、今はただ、真っ白な花が、私の愛を証明するように美しく咲き乱れている。

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