10 崩壊
その部屋は外の世界とはまるで別世界だった。
褐色のレンガを基調とした内装は何処か遠い西洋の島国を連想させ、部屋の各所に据えられたヴィンテージの家具らはどれも最高級のものばかり。
白刻騎士団第一紅蓮隊長、ストラス=スカレルはブルックリン風の世界で息を吐く。例の金髪の元部下に乱雑に巻かれた頭の包帯が痛むのもそうだが、何よりもこの部屋に大量に転がる牛乳の空き瓶に苛ついているというのが一番だろう。
彼は過去にこの部屋で瓶を踏んづけ転んでいる。
「状況は分かった。傷が痛むようだったらストラス君は休んでいてくれて良いよ」
「……それは意地悪のつもりですか」
ストラスは右足でからりと空き瓶をつついた後、嘆息する。
「こんな大事に最高責任者が不在だったとなれば、後々何と言われるか分かったものじゃない。闇討ち十回で済めば上々ってものでしょう。例え額を縫っていようが、アバラが数本イカれていようが、悲しいことにそれは変わらない」
ここは三百五十層の遙か上――地上。白刻騎士団の本部である。
ストラスはゆるりと息を吐いて、目の前、マホガニーの机に肘を乗せて掌を組み合わせる、十歳程度にしか見えない少年に目を向けた。
「ま、貴方が全責任を被って下さるってんなら。俺は自室で自堕落にミルクでもすすりながら、お祈りでもしてみるんですけどね。白刻騎士団最高権力者様?」
「……いいや。例えそうなったとしても、君は動くことをやめないだろうさ」
そう呟いて、彼は薄氷のような白髪を小さく揺らした。
それは都市国家ミスルリナ最大のギルドである白刻騎士団設立者であると同時に現時点で団長の称号を冠する男。つまりこの国事実上の最高権力者であるその男。
アルスロット=ホーン=レイ=ドラグーンは、言う。
「にしても……失敗だったね。あの扉は一度開ければ二度と閉じることはないものと思い込んでいた。現にいままで一度も閉じたことはなかったとは言え、閉じないと決め込むのはあまりに早計だった。対策を指示しなかった僕のミスだ」
「今はそれも俺の仕事でしょう。俺のミスです。しかしそんなことより今は攻略者達の救助について話し合うのが最優先でしょう。何か案はありませんか」
肩を竦めながらそんな事を言うストラスを見て、アルスロットは長めの前髪を揺らしながらほんの少しだけ微笑んでみせた。
「不服だけれど、正直、救助は厳しいだろうね。あの空間は内部で魔力供給が完結されているから簡易回廊も使えないし、あの扉を破壊することも不可能に近い」
「……団長。貴方ならあれぐらい壊せるんじゃないですか?」
「いやいやストラス君。流石にそれは買いかぶりすぎだよ」
そう言っても疑うような表情を解かないストラスを見て、アルスロットは机に置かれたビー玉ほどの青い玉を持ち上げる。
「それは?」
「硬度準一級の魔結晶。あの扉よりは幾分柔らかいけど――」
ほんの僅かに彼は力むような表情をみせる。すると指の先、例の魔結晶から骨の髄が軋むような音が響き――つるりと。
「あ」
瞬間、神速で射出された魔結晶がストラスの頬を掠めて背後の壁にぶち当たる。がらがらという異音がその後に続き、彼が静かに振り返ると、入ってきた扉もろとも部屋の一角が崩れ去っていた。
ふざけんなと視線で一括するストラスに、アルスロットは言う。
「ま、まあ。今の通り準一級も破壊できない僕には扉の破壊は不可能だ」
「背後の惨状を見る限りだと説得力がまるで無いんですけどね」
そもそも硬度準一級の魔結晶などただの人が破壊できるものではないのだ。
そう、ただの人には。
「あーもう――ぶっちゃけた話をしようか」
アルスロット=H.R=ドラグーンは言う。先程までの豹とした表情とは打って変わって凛として、それこそ真面目そのものの雰囲気を携えて。
「彼女たちは全滅してしまうと思うか?」
「…………」
ストラスは思わず片眉を持ち上げる。珍しいと。
「それは、俺の推測で構わないんですか?」
「それも一応聞いておこうかな」
「……まあ、五分五分って所でしょうか。確かに守護者は強敵ですが、それ以上にエルナの成長速度は凄まじい。何か不測の事態でも起こらない限り、彼女たちが出てくる可能性は十分あるのではないかと」
不測の事態ね、とアルスロットは呟く。
そして組み合わせた掌を紐解くようにして、彼は小さく息を零した。それはどうにも何かを決めあぐねているかのような様相で――。
「さて本題だ。君の『女神の御加護』的見解を教えてくれ」
やはり来たかとストラスはため息を吐く。
女神の御加護。それは人が生まれ持った才能とはまた別の類の天賦である。例えば体内以外の場所から魔力を借りて魔法を使うことの出来る体質。例えば即座に傷が回復するような体質。
そして彼のように――例えば、一寸先の未来を見通すことのできる体質。
「俺の才能は本来、戦闘の中で生かすものなんですけどね」
「本来とか元来とか往来だとか、枠にまとまったって良いことは何もないさ。そもそも現状で活きてるかを決めるのだって君なんだろう?」
嘯く己の上司を前にして、ストラスは大きくため息を吐く。
彼はこの白髪を揺らす男がどうにも苦手だった。子供ぶって他人の心の奥底まで土足で踏み込むその言動もそうだし、その癖切れまくるその頭もそうだし、有無を言わせぬ白い瞳もそうだ。
それと全く同じようなことを彼もまたとある元部下から思われているのだが、それは知る由もなく――。
「想定外の何かが起こるでしょう。不測の事態は確実に起こります」
「…………」
ストラスは息を吐く。目に見えてアルスロットが顔を顰めたからである。
「要件が済んだのであれば俺はもう行きます。形上は扉をブチ破る重務に取り掛かってることになってますし。貴方と違って俺には内でも外でも仕事が山積みなんですよ」
「……別に、今ぐらいは外は外でやらせておけば良いんじゃないかな?」
ストラスは重ねて息を吐く。頭は切れてもコレだから、彼の苦労は三倍増しなのである。ああもう辞めてえこの仕事と思いつつ踵を返すストラスに、アルスロットは言う。
「……そんな風にスカしてるけど、本当は心配なんでしょ? 事件発生直後、君、珍しく怒鳴ってたって聞いたんだけど」
「……それはお互い様でしょう。ミルク飲み漁ったってチビは治りませんよ」
アルスロット=H.R=ドラグーンが不安になると国の動物性カルシウムが底をつく。これは白刻騎士団設立当初から語り継がれし嘘のような実話予備軍である。
とまあ相も変わらず転がるミルクの瓶を眺めつつ、アルスロットは肩を竦め。
「言うじゃないか。最後に聞いてもいいよ。答えるかもしれない」
「…………はあ」
軽く息を吐き、彼は言う。それは幾度となく交わされた問答にして彼らの常套句。もはや意味合い自体がゲン担ぎのように曖昧な何かに成り下がってしまった問を――掛ける。
「貴方は一体何者なんですか。団長」
「僕は人間と何かのハーフ。タダの亜人だよ。ストラス隊長」
当然彼らは嘆息した。
普段と変わらぬ何の面白味も無い答えだったことに。
◆ ◆ ◆
「うし、もう大丈夫だぞ坊主」
「……ああ、さんきゅうオッサン――」
「大丈夫ですのレオ!? 」
「ごめんねレオ! 僕ら後衛が先に魔力尽きちゃったから!」
「ああ。大丈夫だから凄まじい勢いで揺さぶるのは止めろ割りとマジで」
軽い出血を起こした青年を他のトリエルタの生徒二人に任せ。白刻騎士団巡回兵かつ彼らの案内役であるスカードは、誰も見えない所で頭を抱える。
終わりが――見えない。
少なく見積もっても既に八時間。あの扉が閉じてからそれくらいの時間は経った。然しその間、延々と攻撃を受けても例の守護者は致命傷や決定打は愚か、疲れのひとつさえ見せる様子がない。
だが然し、違うのだ。そもそもが違うのだ。
前提が根本的に、壊滅的なまでに間違っているのだ。
本来、守護者の攻略とは平均して三日程度の日数を要する大掛かりな戦闘である。それも総勢五百名以上の多人数でダメージを蓄積させてゆくような長丁場。そんな物を、たった五十名で挑むこと事態が同仕様もない位に間違いなのだ。
「……だから、もう、当然だ」
そう。だからもう既に、残りの戦える人数が。
あの場に立っているたったの二人だけなのも、至極当然極まりない事なのだ。
『……なあおいエルナ。お前息上がってねえか?』
『何フザケたこと言ってんのよ。それはアンタの方でしょ』
『いやだってお前から轟々盛ってくる炎が暑苦しくてたまんねえからな』
そう、一人は白刻騎士団副団長で《炎神》の名を冠する一人の少女。燃えるように輝く赤い瞳に、同色の美しい髪を靡かせる少女――エルナバード=エルゼベルデ。彼女の周りを取り囲む炎は使用者の物理耐性を大幅に上昇させる。
だから、彼女があの場で戦っていられるのは理解できる。
(――だが! 何故に!? あのガキは未だあそこで戦って居られるんだ!?)
あのガキとは――彼、スカードがここまで道案内したトリエルタの学生だ。それも、厳格なカースト制で有名なトリエルタの底辺と言われている『0組』のガキ。本来なら足手まといでしか無いようなタダのガキが――。
『――――ブッ飛べ悪魔野郎!!』
守護者の拳に己の拳を打ち付ける形で――ぶん殴られた悪魔は、その体をグルグルと回転させ尻もちを付く。直後、炎神の炎が守護者を包み込み、燃やし焦がす。完璧な連携だった。
(本気で何者なんだあの化物は――ッ!?)
本来、守護者の攻撃とは人間のそれとは比べ物にならない程に強力であり、生身で食らえばぺしゃんこになるのは避けられない。その為、守護者と戦うためには、肉体強化魔法が絶対に必要不可欠なのである――のだが。
『痛ってえぜ畜生。信じらんねえあの悪魔野郎手加減ってもんを知らねーのな』
『信じられないのはアンタよ。対象永続型で平然とって……アンタ化物?』
(一巡回兵である俺からすりゃあどっちもバケモンだよ畜生ッ!!)
そう。あのガキは『対象永続型』の強化魔法を使用しているのだ。
一般的な術師でも三分で体内の魔素を使い切ってしまう為、実用には程遠いと言われている諸刃の術式。それをあの化物は、かれこれ三時間以上も使用し続けているのだ。一体どれだけの魔素があれば足りるのか検討すらつかない。
「…………」
そして、もう一人。この状況を。
五時間以上も戦闘続行を可能にする立役者が、もう一人居た。
『うう、私もこんな脇役じゃなく。ギル様と戦いたいです……』
『十分お前は主役だよ。この場の皆――そしてレオの傷を治せ』
愚痴を零しながらも、白髪の少女は己の周囲から放たれる金色の光を広範囲に、そしてベール状に広げ続ける。そして、その不可思議な光がスカードの目の前で眠る青年の傷口に当たるたび、彼の表情が僅かに和らぐことを意識する。
『……しっかし。キリがねえな畜生』
この世には魔法を使用する上で重要な十つの要素、十属性と言うものがある。
火、水、地、風、雷の基本五属性に、光、闇、神聖、暗黒、龍血で十属性。この内、理論的に人間が使用できるのは神聖、暗黒、龍血を除いた七属性なのだが、実際に光と闇を扱える人間は極僅かしか居ない。そのため人間とは基本的に基本五属性しか扱え無いものとされている。
その為、本来ならば光の属性で行うのが最良とされるヒールに、人間は水属性の魔力を使う。そして治すのではなく治癒力を高め治させる回復魔法を使用する――のだが。今回のこのレーナと言う少女に限っては。
(光属性のヒールを使ってやがる! ……マジで、コイツらは一体何者なんだッ!?)
そんな風に絶句するスカードの目の前で。
「……レーナちゃん、出来ればレオにもう少しだけヒールを」
「黙れギル様の役に立たなかったデカブツなど死んでしまえば良いのです!」
「酷い!」
そんな事を言いながら実際はちゃっかりきっかり重点的にヒールしてあげるレーナだったのだが、一方でこの時、炎神エルナバードがとある事に気がついた。
『ねえ、なんかあの悪魔さっきより大人しく……って、あれはあの時と同じ!』
『衝撃波か! ――させるかよッ!!』
吠え、黒髪が全力で地を駆ける。そして相変わらず動きを見せない守護者の前で左拳を固く握り、ぐるりと回りかける瞳へと叩き付けるように――。
その瞬間。奴の目玉が、二カッと裂けた。
『――が、ぁッッ!?』
「ギル様ッ!」
がぶり、と。その奥から現れた口のような何かが黒髪の左腕を丸ごと喰らう。刃のような鋭い歯に串刺しになったその腕からは血飛沫が飛び――そして。
「――ッッ」
二度目の脳髄を揺さぶるような衝撃波が部屋全体に響き渡る。それは全身をそのまま砕かれるような、削りおろされるような。地獄のような感覚にスカードは思わず頭を押さえる。
そして、全身を包んでいた微かなベールが剥がれ去ったことを理解して――。
『ダルクス!! 全員に漏れなくバフを掛けるように指示を! 三度目の衝撃派が来る前に――』
「いやまてお嬢!! 奴の動きがッ!!」
その瞬間、青き悪魔はどす黒い笑みを浮かべるようにして。
「――ッッ!!!」
ぐるりと。慈悲もなく。間髪も入れず。
その瞳を回転させた。
喘ぐように息を吐き零し、俺は千切れかけた左腕を抑えた。
流れる血液は止めどなく、凄まじい痛みにうずくまりかけるが歯を食いしばって噛み殺す。壁により掛かりながら立ち上がって、俺はそこで初めて部屋の端まで吹き飛ばされたことを理解した。理解して――そして。息を呑む。
辺り一面が血の海だった。
その場に居る全ての人間が、血反吐を吐きながら意識を失って倒れていた。その中には無論スロトも、レオも、ラシャーナも含まれていて。唯一立っているのは俺とレーナのみ。
理由は当然、全てのバフを剥がされた状態であの衝撃波を受けたからだろう。
「レーナ。無事だな」
「はい……でも。ギル様……お腕が!」
その言葉は無視をして、俺は右を見る。
炎で護られていたぶん他よりも傷は浅いようだが、それでもエルナは地面に突っ伏して肩で息をしていた。
多分、意識は無いだろう。俺は息を吐く。
「エリアヒールの濃度を最大まで上げろ。隔離結界の準備も頼む」
「隔離結界……ですか……?」
言って、即座にその言葉の意味を理解したレーナは息を呑む。
「それは! 無茶です! そのお傷では無理ですギル様!!」
「……こういう時に限って察しが良いな。お前は」
そういう才能はもっと普段から遺憾なく発揮して欲しい。そう思いつつ肩を竦めるようにして、俺は例の守護者へと眼を向けた。
二連続で強力な攻撃を行った反動か、今は特に動く様子もなく、嫌に大人しい。だがそれ以上にこちら側の被害は甚大だ。外ではなく内側から壊すと人は驚くほど簡単に死ぬ。
今はレーナのおかげで皆辛うじて生き繋いでいるものの、もしも次、奴が例の衝撃波を放った場合は――確実に、ここに転がっている全員が死ぬ。
「――なら、その前に奴を潰すほかねえだろうが」
「でも、もしも! バレてしまったら!! もうあの学園には――!!」
「バレなきゃいい論理ってな、中々に的を得てると思うぜ俺は」
小さく呟いて、俺はポケットに手を入れる。
誰も死なさぬ道を模索するには本気を出す他に道はない。それに今のこの状況なら誰にもバレずに奴を狩れる可能性だって無くはない。
更に深く息を吐き、ネックレスを、漆黒の王冠を取り出して。
「……なに、を。するつもりですの?」
その言葉に絶句する。
右。遥か奥の方で、その口元を鮮血で濡らしながらもゆるりと起き上がり、こちらを真っ直ぐ見据えるのは――。
(……縦、ロールッッ!? なんでお前が――ッ!!)
「もう学園には――って、どういう事ですの?」
既にボロボロで、立ち上がることも困難だったハズのラシャーナが。静かに、然しそれでも何処か苦しそうに、コチラに向けて歩み寄ろうとしていた。
「それは――」
「貴方が本気を出したら。貴方はあの学園を去らなければいけないんですの?」
核心を突かれ、俺は何も言えない。然し、その通りだ。魔王の力を開放し、俺の正体が奴らにバレれば。無論俺は、この街から、あの学園から立ち去らなければならない。
俺は全力で唇を噛みしめる。
これはもうダメだ。バレるバレない以前にもうバレた。この女にも誤魔化しは効かないだろうし、俺の招待までは分からないにしても、俺達に隠さなくてはならない何かがあることはもうバレてしまった。
(……殴って寝かせるか!? それとも――いや、糞!!)
俺は悪態を吐き捨てるようにして、そのまま王冠を首元へ――。
「ギル様――駄目です!!」
「……るせえ」
「私、ずっとギル様が心配でした! いつもいつも退屈そうで、笑ってもその笑顔はどこか偽物で! それでもあの学園に通ってからギル様は――私は! もっとギル様と」
「煩えッ!!」
背後で誰かが息を飲む声を聞いて――。
「――ッッ」
凄まじい速度で殴りかかってきた守護者に拳を叩き付ける。スキなんざあるわけねえだろうがと、にたりと笑う悪魔を眼で殺し、俺はそのまま腕力だけで奴を押し返す。
俺は一度息を吐き捨てて、左手に握られた例の王冠を一瞥し。
「レーナ。悪い。今は黙れ」
「……ごめん、なさい」
小さく頷いて、俺はこの数週間で手に入りかけた何かを。どうしても欲しかったその何かを。手に入れなければならなかった何かを――諦めようとしたけれど。
けれど、正義感の塊みたいな、この少女は。
「駄目……私達の為にそんな事、させませんわよ!」
「――ッ!?」
それすらも、許さない。
「どういう事情があるかは知りませんし、聞くつもりも無いですわ。上手くやれとも。それが出来ないから貴方はそんな顔をしているんでしょう?」
「…………」
「そして、そんな顔をするくらいに大切なことを。そんな顔をしなければいけないくらいの『何か』を、貴方はやり残しているのでしょう?」
事情なんて勿論何も分かっていないのだろう。聞きたいことも沢山有るのだろう。俺達の会話の意味をちゃんと一字一句説明してほしいのだろう。けれどラシャーナは、何一つ尋ねることはせず、本当に静かな顔で、言った。
「何も掴んでいない貴方を、私達の為にここから追いやる訳にはいかないですわ」
「――――ッッ!!」
確かに、そうだ。その通りだ。この場で導き出される最適解は彼女が今言った。俺にはやるべきことがあるし、やらなくちゃならないことが沢山残ってる。だからこの場で正体がバレるわけにはいかない。
本気を出すのはこの場の全員が死に絶えてからでいい。そしてこの守護者をその後で全力で殺し、奇跡の生還者面してあの学園に帰れば良いのだ。そうすれば誰にもバレず、何もバレず、俺が欲しかったものが手に入る。
クソくらえ。
「……馬鹿で、阿呆で間抜けで。同仕様も無いクズ野郎か俺は」
本当にどうでも良いのだ。それはとっくに結論が出ているし、現時点で一番大切な事は別にある。薄っぺらなこの額を地面に擦り合わせて懺悔しなくてはならない事は別にある。汚えこの頬っ面をぶん殴らなくてはならない事案は、別にあるのだ。
「……自分よりも貴方のことを。『何か』なんて曖昧なモンを優先しろなんて言う馬鹿を助ける事を」
本当は怖いはずなのに。震えて震えて然るべきはずなのに。俺の迷惑になるまいと。荷物になるまいと。そんな自分の感情を押し込めて押し殺して、俺に残れと言ってくれた少女を助けることを――馬鹿なテメエは。
「何故に一瞬だって躊躇した!」
パァーン、と。小気味の良い音を響かせながら、俺は己の拳を掌で包み込む。そして小さく息を吐いた後、目の前に佇むラシャーナに向かって。
「悪かったな」
「――貴方、それは、どう言う」
俺はこの時、淡白で、恬淡で、サッパリと、屈託の無い表情をしてたのだろう。きっと、本当に、何かを諦めたような。まあとにかく、そんな俺を見て、彼女は不安そうに身を竦ませるが、俺は何も言わずに振り返る。
「なあ、そこの糞悪魔」
少し先。たった今、俺の獲物となった哀れな悪魔を見据える。堕落悪魔、攻撃は中々だがその体力が無尽蔵に多い。この場の全員を何時間にも渡って苦しめた――ふっと吹けば消えるようなタダの雑魚。
「いい迷惑だとは思う。割りと八つ当たりだが――ま、光栄に思え」
俺は漆黒の王冠のネックレスを、引き千切るように。何処までも真っ黒なそれを。全てを終わらせるであろうそれを。己が魔族であるという決定的な証を。
「俺の青春を完膚無きまでにぶち壊した礼だ」
首から――掛けた。たった、これだけで。そんな、小さな動作ひとつで。ほんの、僅かな行動ひとつで。この一週間で俺が積み上げてきたものが、確実に、崩れる。
「――骨の髄まで殺し尽くしてやるよ」
最強にして最凶。最悪にして災厄。ギルベルク=ギスカード。
俺の頭の上では、黒い何かが静かに揺れていた。




