09 崩壊の引き金
「――――副隊長ッッ! 上ですッッ!!」
ハッ、と真上を見上げた直ぐ目の前には、既に真っ青な拳が迫っていた。
「――ッッ」
この距離では避けることは不可能だ。即座に頭上へと直剣を振りかざすが、強化魔法の強度もかなり落ちてきている今の状況では――と息を飲んだその瞬間。
「お嬢に手え出してんじゃ――ねえぜこの腐れ悪魔がッ!!」
怒号と共に視界と拳の間に巨大な盾がねじ込まれる。
ガリガリと金属を削り取るような轟音が鳴り響き、その青年は更なる咆哮とともにその拳を弾き返した。そして彼はゆらりと息を零しながらこちらを仰ぐ。
「ごめん、アルカインド!」
「……ったく、らしくないぜ!? お嬢はお嬢らしくシャキッと前だけ見てろ!」
二カッと眩しく輝いて、金髪の少年は再び最前線へとその身を翻す。
その背中を見送りながら、私――白刻騎士団第一紅蓮隊副隊長、エルナバード=エルゼベルデは心を落ち着けるように深く深く息を吸った。
状況は芳しくないどころか最悪中の最悪だ。
相手は本来ならば大量の物資と人員を消費しながら三日間もの時間を掛けねば倒せない強敵である。補給が途絶えた今、行うべきは当然この場の全員の延命だ。自分たちだけで敵を倒すことは諦め、外からの救助を待つのである。
しかし孤立してから五時間以上が経過した今も、誰かがこの場に飛び込んでくる様子はなく、あの扉に関してはヒビが入る素振りすら見せない。そもそも大陸最硬度を誇る魔結晶に阻まれて、外部からの助けを期待するその性根が間違っているのかも知れないが。
「…………そう、間違ってる」
間違っているのだ、最初から。
外からの救助など来ないものと覚悟を決め、中の自分達だけで守護者を倒すと、あの扉が閉じたその瞬間に決めるべきだったのだ。今までのようにぐだぐだと延命的に敵の攻撃をいなすのではなく、元気も魔力もあり余っていたあの時点で総攻撃を仕掛けるべきだったのだ。
「……いや」
まだ間に合うだろうか。今ならまだ、全員で全力の猛攻を仕掛ければ守護者を倒すことが出来るだろうか。誰も。誰一人死なすことなく帰ることが出来るのだろうか。
息を吐く。
何故自分なのだろうか。もしこの場に立っているのがストラス隊長であれば、前衛の負担が大きく減るはずだ。カミールさんならば皆をもっと鼓舞し、上手く纏め上げて果敢に立ち向かうだろう。そして団長であれば――きっと、たった一人で。
「…………違う」
私は炎神の名を関する剣士だ。その二つ名も、エルナバードという名前も、聖剣も、生きる意味さえも私はあの人に貰ったのだ。私の命は私のものでありながら、私だけのものではない。こんな場所で、団長に何も返せていないこの状況で、目的も果たせていない道半ばで息絶えるなどあってはならない。
と言うか、そもそも――。
「で、どうするお嬢。覚悟決めるならそろそろだぜ?」
「……分かってる」
ダルクス。彼の言っていることの意味は痛いほど分かる。
このまま形も何もわからない救いに望みを掛け、時間稼ぎを行うか。それとも覚悟を決めて、全力で、奴を叩き潰しに行くか。
楽なのは前者だ。生き残る可能性が高いのも前者かも知れない。が然し。きっと全てが終わった時に言い知れぬ後悔が襲うのも――前者だ。
「――す、」
と、息を吸って。
私は人の約五倍の体躯を誇る守護者を真っ直ぐに見据える。
それは何処までも真っ暗な眼を持つ悪魔だった。
真青なその肌に生気はなく、本来ならば頭部があるはずの場所に頭はない。口や鼻に関しても何処にもなく、唯一人らしいそれと言えば胸の中心に佇む一つの眼球だろうか。ギロリと輝く虹彩の部分は何処までも黒いが、ぽっかりと開いた瞳孔はそれ以上に暗い。それはまるで、そこになにも無いかの如く。
そしてタチが悪いのは奴の腕である。
その魔眼は問答無用で本能的な恐怖感を煽る上、瞳を向けること無く全方位を見渡すその能力から非常に攻め辛く、苦戦を強いているのだが。これは一般的な堕落悪魔のそれである――がしかし。奴には腕が六本あるのだ。
対峙すれば六方向からの同時攻撃を仕掛け、はっ倒しても叩き潰しても即座に起き上がる。全員の体力に余裕があった序盤は遠距離攻撃を全く使用してこないことが幸いし、対処も問題なく行えたが、段々と疲れが目立ち始め、致命的なミスも出始めている。
やはり、決めるなら今しかない。
「…………」
それを理解して、ここからが本当の地獄なのだと脳の髄にまで言い聞かせ。小さく、本当に小さく息を吐き。私は一度だけ、チラリとだけ後ろを振り返る。
(でも何で! あそこに居るのが――!!)
否。即座に首を振り、例の男の顔を頭の中から叩き出す。馬鹿か。今は目の前の事だけに集中しろ。あの糞悪魔を欠片も残さず叩き潰すことだけ考えていれば良い。
だから、息を吐き。目を閉じ。もう一度だけ、大きく息を吐いて――。
「副隊長! 守護者の様子が変です!!」
「な――」
瞬間。守護者の目玉がグルリと回転した。
「――ッッッ!!!」
何かを言うよりも早く、全身を凄まじい衝撃が駆け抜ける。それは外側ではなく内側から、全てを震わせ壊してゆくような激震で。無意識のうちに右手の力が抜けて、からんと音がして。気づけば地面に膝を付いていた。
ガンガンと殴られているように頭が痛い。力が入らない。
ゆらりと崩れ落ちそうになりながらも、歯を食いしばるようにして前を見据えて――真上から神速で降ってくる青い何かに気がついた。
「…………な、ぁッッ!?」
即座に飛び退こうとして顔面から地面に崩れ落ちる。周りで動けそうな者は誰も居ない。焦点の定まらないままに迫りくる六本の拳を見据え――歯を食いしばる。
けれど、これは、不味い。
喰らえば、多分。
死――。
「なんて顔してんだ。この湿気面女」
ズン、と鳴り響くは地面が揺らぐような爆音で。思わず閉じ掛けていた眼を大きく見開き、霧が晴れるように鮮明になったその視界に映る状況の意味を理解して。
「――ッ、アンタッッ!」
それは真っ黒な髪を靡かせる青年だった。右腕を真っ直ぐに伸ばし、不躾に固く握ったその拳を、青い拳の中心へ乱雑に叩き付けるようにして立つ青年。
見事に他人を苛つかせる例の微笑を貼り付けたまま、彼は、振り返る。
背後で地獄のそこから湧き上がるような唸り声を上げる悪魔を視線で一蹴し、地面に転がる私を一瞥し、周囲の散々たる状況を一見した上で。更にその奥へと。
「レオ。頼んだ」
「おッしゃあぁぁ任せろッッ――肉体岩硬化ァ!!」
途端、ガチン、と何かが噛み合うような音と共に飛び出してきたのは現在の見学者であるはずのもうひとりの青年だった。彼は岩の鎧を纏いつつ守護者へと突撃し――その右手を守護者の眼玉の中心にブチ当てる。
「――う、ぉぉおおおおおッッッ!!!」
咆哮とともに繰り出される猛撃に守護者は微かに後ろに後退る――がしかし。完全に体制を崩すまでは至らない。
「後は頼んだぜッ! スロトォッッ!!!」
「仇なす大樹に土還の制裁を――絡みつく死神」
微かな緊張が顔に出てはいるものの、すらりと流れるような準速攻魔法。詠唱が終わると同時に、守護者の足元に浮かび上がった茶色の魔法陣から数本の太い蔦が発生し、脚に絡み付かれた悪魔は地面に突っ伏し、更には四肢を拘束された。
その完璧とも言える連携を見て、この場のほぼ全員が息を飲む。
「これで終わりじゃねーぞ、炎神。もうだいぶ楽になったんじゃねえか?」
「――、」
その一言で頭痛や体の怠さが完全に消えていることに気付き、即座に振り返る。
そこにはこの男の取り巻きの白髪の少女と、例の決闘を申し込んで来た金髪の少女が祈るように立っていた。彼女達の足元にはそれぞれ黄金と水色の魔法陣。そこから放たれる不可思議で優しいベールに触れるたび、体が軽くなるのを感じた。
けれど、だからと言って、この状況を看過出来る訳は――。
「……ふざけんじゃないわよ。アンタ、今すぐ――」
「戻れってんなら戻るぜ犬みたいに。あのオンボロの赤テープの中だろうがな?」
その言葉の意味を理解するより先にまず例の安全地帯を見据えて――息を飲む。何故か、この場では最強の硬度を持つはずのその結界はメチャクチャに破壊されていたのだ。それこそ跡形もなく。そこに何かがあったような形跡一つすら無く。
そして眼を見開くと同時、背後の仲間から悲鳴に似た報告が飛ぶ。
「ふ、副隊長!! さっきの衝撃波でバフが全て解除されています!! それも形式問わず! 本当に全ての強化魔法が解除されていますッ!!」
「――なッ!! そんな馬鹿な話――聞いたことがッ!!」
一度己の身体を確認し、驚愕の表情を浮かべる彼女を見て。
「一応。参考までに教えておくが。俺達はさっきまで結界の中に居たお陰で、縦ロールに掛けてもらったバフが残ってるぜ?」
「…………ッ」
そんなことをのたまう大馬鹿を全力で睨みつける。強化魔法が未だ健在だから何だというのだ。完全に部外者である彼らに何かを任せるなどあってはならない。
即座に立ち退けと口を開くより先に、彼はゆらりと息を吐き。
「確かに今、この場所を取り仕切っているのはお前だよ炎神。外の世界と隔絶されたこの地獄は、言わばお前のキングダムだ。お前がやめろと言うなら頷くし、引っ込めってんなら頭を垂れて視界から消え去ろう。……けどな?」
彼は言う。その真っ黒な瞳を真っ直ぐにこちらへ向けて。
「テメエの言動一つで糞ほど後悔しながら死ぬのは俺らなんだよ」
「――ッッ!」
胸の真ん中を貫かれるようなその言葉に、食い千切る勢いで唇を噛みしめる。
この男はいつもいつも本当に、普段はへらへらと嘯いて、何も考えていないような顔で笑うのに。こういうときに限って今までに見たこともないような、どんな種類の人間も決して見せないような深い黒を瞳の中で覗かせる。
アンタは一体全体何者なんだと、言うより先に。
「ギルッッ! そっち行ったぞッッ!!」
「――!!」
彼は振り向きざまに右拳を叩き込み、真っ青な悪魔の動きを止めるが、奴は即座に他の五本の拳を雨のように地面と例の黒髪めがけて振り下ろす。まるで雨のようなその連撃に、流石の男も舌打ちしながら距離を取り――追撃を頬に一発貰う。
「ギルッ!!」
「ギル様!!」
か、はあ。と大きく息を吸い込みながら、赤い何かを地面に吐き出し彼は笑う。
「……野郎」
あの悪魔は多人数で六本の攻撃を防ぎつつ、アタッカーをその都度入れ替えながら攻略するからこそ抑え込むことが出来るのだが、一人ではそうはいかない。あの悪魔はたった一人でどうにか出来るようなヤワな相手ではない。
この状況は、最悪なこの惨状は、絶対に誰か一人で打開できるものではない。
この場の全員で助け合って、使えるものはすべて使って、全員が全員己の持てる全てを出し切って、それでこそ微かな軌跡がこの手に零れてくるかも知れない。
「ギルもっかい行ったぞッッ!! 野郎畜生! こっち向きやがれッッ!!」
地面に落ちた愛剣を広い、ゆるりと起き上がる。
致し方ない。その程度の軌跡を望むなら、今は縋る以外に術はない。
「燃ゆり盛ゆるは煉獄の調べ――炎奏曲=煉獄」
「な――ッ!!」
瞬間、凄まじい豪炎に守護者の身体が包まれる。それはまるで罪人を焼く終焉の炎のような。うねりを上げて炎が踊り狂う様は何かの狂想曲での奏でているような。凄まじい熱量に包まれて、守護者は地面に膝を付き、全身の炎を消そうと悶え苦しむ。
そしてひとまず守護者の目の前で拳を握っていた黒髪の前髪が少し焼けた。
「あぢぢぢぢッッ!! てッ、石ころ女テメエ殺る気か命の恩人様を焼き殺す気か――って、何なの何故に加害者のお前が既に燃え盛ってんの!?」
「炎の御加護。この状態なら強化魔法は要らないから」
ほうと軽く驚いたような表情を見せる彼を見て、小さく息を吐き捨てた後に燃え盛る直剣を地面に当て、勢いよく振り返る。
「ダルクス! 今からこの場の指揮は貴方に一任する! まずは剥がされたバフを皆に行き渡らせて、その後は状況に応じて指示を!!」
「……ああ、了解した。だがお嬢は?」
「私はひとまずその時間を稼ぐ。あーもう。他人にあれこれ言うよりも、自分で考えて自分が動く方が元々性に合ってるのよね」
すうと息を吐いて、更に火力を増す。そしてぐらぐらと揺れる視界を回し、隣で暑苦しそうに息を吐き捨ててみせる男を再び見て。
「この状態なら炎系統の魔法の使用に魔力を使わなくて済むし、身体能力も防御力も大きく上がる。けど永遠に続くわけじゃないし、ずっと全力じゃあそう長くは持たない。……だから、援護をお願い」
「ああ、任せろ」
そう言って彼は小さく笑い。
「……つかさっきから糞熱いんだけど。もうちっと火力落とせねえの!?」
「煩い。そんなカスみたいな熱量でうじうじ言ってんじゃないわよ。と言うか、そんなことより、今は一つ私に聞かせなさい」
「……。何だよ」
そう言って、彼は少しだけ眉を潜める。そこには何か、言葉と態度以上の何かが含まれているような気がしたけれど――今は時間があまりない。
「アンタの能力。そしてスペック。それだけ教えて」
「…………」
彼は黙り込む。
「この隔絶された地獄は私の王国なんでしょう? 戦うなら私の言うことは聞きなさい。そもそも、私だけこの力の種を明かしてアンタはだんまりって……フェアじゃないんじゃないの?」
そう言うと、流石の彼も小さく肩を竦めて、諦めたように右腕を差し出した。
そして袖を捲くる。すると中から現れたのは繊細な陣と印で紡がれた黒い紋様だった。続けて左腕を捲くると、そこには真っ白で右と同様の紋章が佇んでいた。
「昔々、誰かに掛けられた永久魔法」
「な――」
「左の白陣は触れた魔法式を破壊して、右の黒陣は触れた物の物理現象を――」
瞬間。先の炎が完全に消え去った悪魔が彼の背後に飛来する。
が。
「完全に停止させる」
その黒き右腕を乱雑にぶつけただけで、軽く触れるように撫ぜただけで、悪魔は巨大で堅牢な壁にブチ当たったかの如く動きを止めた。けれど。
(ッ、永久魔法って、そんな馬鹿な――)
「別に信じなくたって良いさ。けど――おら」
「――ッッ」
即座に猛撃を開始しようとする守護者を顎で指し示す男を見て、信じる信じない云々よりも先に、まずはやるべきことがあるだろうと――。
「爆ぜ狂え――炎炎たる翔炎斬ッ――って、あ」
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!!!」
突如として現れた斬撃は爆発に爆発を重ねながら――例の黒髪を見事に巻き込みつつ守護者を飲み込んだ。全身を炎に包まれた一人と一体は全力で炎をもみ消そうと地べたを転がりまわる。
即座にダルクスが水系統魔法で消化するが、既に燃えカスのようになったその男を見て、手を腰に当てたまま私は言う。
「左手で魔法を破壊できるんじゃなかったっけ?」
「いや鬼かテメエはッッ!! 集中しねえと出来ねぇし炎上しながら集中するなんて出来るわけねえに決まってんだろが!!」
「……目の前のモノをよく見てからものは言いいなさいよ」
その一言で、微かに彼が固まったのが分かったから、気だるげにため息を吐き捨ててみせた後。
「任せたわよ」
「……お前もマジで頼むぞ」
その言葉を受けて、私は微かに笑いながら眼の前の敵を見据える。
さっきまでよりも、呼吸が一層楽だ。
けれど。
言い知れぬ不安が突然襲ってきたのも、この時だった。




