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 嫌なことや思い出も、面影のように月日が経てば消えるだろうか?

 ……嫌なことが、あった。

 父さんと母さんが居ないのは、もう仕方ないことなんだ。思い出して悲しかったけど、思い出さない方が辛い。

 嫌なのは、あの光景が思い浮かんでしまうことだった。

 赤い、世界。

 記憶に深く刻まれている。

 できるなら、消したかった。とても辛過ぎたから。


「――晴夏ってば」


「ん? え、何?」


「何、じゃなくて。次、晴夏の番」


「…………どれ?」


「黒板、黒板」


 言われ、黒板を見る。そして、今が授業中であったことを思い出す。教科書は……良かった、授業の物が出ている。

 回答していたのは、前の席の子と後ろの席の子。間の問題が空欄のままなのは、自分の所だから。

 先生が何も言わないのは多分、まだ解いている途中と思ったためだろう。慌てて立ち上がり、解答を書きに行く。

 問題は、課題としてやっていた所だったため、答えはもう分かっていた。

 規則性があって、必ず出る答え。

 彼のことも、記憶のことも、数学のように答えが出せたら楽だと思う。全てが一気に解決出来るだろうし。

 けど、世の中には答えのない問題も多い。

 ……特に、人の心の問題。一番知りたい心ほど、分からなくなる。

 今、一番知りたい心。

 それは、他の誰でもなく。案外、自分の心だったりする。

 そういうものだ。


「ほら、神城。早く解答を書いて席に着け」


「あ、はい。今、答えの数字を………………って?」


 一瞬、チョークを握る左手の向こうに黒板が見えた。

 正確には『向こう』じゃない。

 手を『通り越して』だ。


「……あれ?」


 ふらりと、崩れた。

 多分、世界の方だと思う。




 崩れたのは世界じゃなくて、自分だ……なんて、倒れて気づいた時に、気づくもの。


「――神城さん、ちゃんと寝ていますか?」


「えっと……平均的には」


「その割には、顔色がよくないですよ? 今日はもう帰った方がいいですね」


「いや、あの……それでも、平気なんですけど」


「また倒れるかもしれませんから、今日はダメですよ」


 キッパリと言われる。

 保健の先生の言うことは、ある意味絶対だから、従う。逆らってまで無理をしても、きっとそれは自分のためにならないから。

 教室に戻って、保健の先生からの紙を渡すと、ざっと見て『気をつけて帰れよ』と言われる。あっけないのは多分、こうなるだろうと思っていたらしいと捉えるべきか。

 席に戻り、教科書をまとめる。

 早退なんて、小学校以来だ。


「別に、平気なんだけど……」


 教室までの道も、校門までの道も、至って普通。身体の異変と言う異変は、もうなかった。

 あれは一体何だったのか。

 左手を見る。

 透けない、ちゃんとした手があった。


「……先生の言う通り、寝不足。ただの錯覚だったりして」


 寝不足ゆえの、目の錯覚。そう考えなきゃ、他の理由が見つからない。

 ふるり、と身体が震えた。

 寒い訳じゃない。一瞬、怖い考えを意識してしまったから震えたのだ。


「あり得ない。だって……ここに今、こうして生きているんだよ?」


 誰にでもなく問いかける。

 消えるなんて、あり得るはずがない。

 生きているのに。

 この世界の、この大地を踏みしめて、ここに立っている。

 もしも、生きているのに消えてしまったら、どこへ行ってしまうのだろう。

 映し鏡の世界へ?

 それとも、どこにも行かない?

 左手を見る。



 消えたく、ない――



 誰だってそうなんだ。

 だけど、消えたくないと、強く思ってしまう。

 この先に、何があるのだろうか。




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