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 気がついたとき、背中に温もりを感じた。




「…………間に、あった……か」


 声は、あり得ない。

 こんな所に居る云々より。


「な、んで? しばらく、ムリとか……昨日」


「……オレは平気、だ。キミが、辛い思いをするよりは……ずっと」


 背中から聞こえた声は、やっぱりだけど辛そうだ。昨日の帰り道と、同じ。今朝声をかけた時と、同じ。

 ムリをしている。

 ムリをして、何で居るんだろう?

 何で、背中から抱きしめているの?


「――晴夏、大丈夫?」


「えっと……何が?」


「何がって、急に頭を抱えて倒れたのよ」


「それで、どうしたらいいか分からなくて、救急車を呼ぼうかパニックになってたら……」


 彼が、来たという。

 それにしても――と考える。

 急に頭を抱えて倒れたとか、自覚がない。記憶が確かなら、バスが来ちゃうと引っ張られ、時計を見たのが九時一分。

 あと四分だった。

 今は九時三十二分。バスはもう、行った後。

 空白の三十一分。

 一瞬、何かがフラッシュバックする。

 視界が白く、そして黒くなり……広がって行くのは、赤。

 そこに沈むのは、サイズの違う二つの肌色。

 聞こえたのは、多重のサイレン。競うように激しくなっている。

 漂ったのは、危険な匂い。ツンッとした。


「っ!」


 ズキリッとした痛みに、


「思い、出した」


 どうして忘れていたのか。どうして気にもしなかったのか。

 それは多分、閉じ込めていたもの。

 それはきっと、忘れたかったこと。

 夢じゃなかった。

 全て、現実にあったこと。自覚し、思い出した。


「晴夏?」


「ね、ねぇ、大丈夫? 救急車、呼ばなくていいの?」


「そ、そうだよ。晴夏、病院行こうよ。ちゃんと検査してもらおうよ!」


 戸惑いの声。

 わたしは首を振って、『大丈夫』と言った。これは体調が悪い訳じゃなくて、記憶が戻ったことによる……疲労、だと思う。

 心の。


「本当に大丈夫。朝、少し眩暈がしていたから……多分、風邪でもひいちゃったかも」


「晴夏」


「ごめんね。せっかく遊びに行こうって時に風邪なんか引いちゃって。大丈夫だけど、ごめんね」


 どんなに大丈夫と言っても、友だちは信じてくれない。

 それでも信じてもらえるよう、精一杯笑って『大丈夫だから』と『ごめんね』を伝え続けた。彼の手を握り続けたまま。


「…………今度、必ず埋め合わせしてね」


「約束よ、晴夏」


「分かった。約束する。本当に、台無しにしちゃってごめん」


 月曜日に元気な顔を見せてねと、友だちが帰って行く。


 『またね』も『バイバイ』も、ない。

 こんなもの、なのだろうか。

 その言葉はまだ、言うべきじゃない。

 友だちの姿が見えなくなって、ああ本当に帰ったんだと思うと、少し悲しい気がする。

 だけど『少し』なのは、彼が居るおかげ……かな。


「ベンチまで歩けるか?」


「ん。大丈夫」


 手を引かれ、ゆっくり歩く。

 休日の公園なのに、遊ぶ子どもはなし。散歩をする人も、通り抜ける人も。

 しばらくの沈黙。

 握り続けている手は、何だか勇気を与えてくれている気がした。


「ねぇ、さっき言った辛い思いって……アレ、なんだね。だって、アレは――」


 アレは、血と人だから。

 聞こえた多重のサイレンは、警察と消防と、救急車。

 漂ったのは何の匂いか、まだ分からない。

 広がる赤は間違いなく人間の……血。そこに沈んだサイズの違う二つの手は、


「父さんと母さん。もう、死んでいたんだね」


 間違うはずもない。

 あれは、父さんと母さんだ。万年新婚夫婦で、いつも結婚指輪を身に着けていた。

 もう……居なかった。この世界に存在しない。

 何で、忘れてしまったんだろう。


「思い出してしまったか」


「うん。兄さんは知って……なきゃ、おかしいよね」


「口止めしたのはオレだ」


「え、何で?」


「…………狂った事例を、見てきたから」


 それは、言われた本人が一番辛いことだと言う。

 大切な人を失った人は、生きる糧が必要だ。

 一つが、生きていると思い込むこと。けどそれは、他人から見れば心が病んで痛々しかったり、奇異の目で見られたりする。

 生きることを諦めるよりは、いいのに。

 人は『正常』にしようと踏み込んだりする。本当はもう居ないことを無理やり言い聞かせ、その結果が……狂い、なのだと。

 狂いは、破壊と崩壊しかない。


「……どうして、そこまで」


「約束、だから」


「兄さんと?」


 弱々しくだが『違う』と首を振り、わたしの肩に頭を預けた。

 閉じられた目。心なしか、顔色が悪い。


「約束だからって、身体張らなくてもいいのに。倒れちゃったら守れないよ?」


「……分かっている。オレがそうしたいから……そうするだけ、さ」


「結構、バカだよね」


「……兄さんにも、言われた」


 ポロリと零れた言葉。

 兄さんは、彼の兄さん。そんなのは、確かめなくても聞かなくても分かる。

 見えたようで、まだ見えない彼。

 だけど……だけど、大切な――人。

 ああ、そっか。わたしは彼を、そんな風に思っていたんだ。

 好きとか、嫌いとか言う前に。わたしにとっての彼が、どんな存在なのか。


「ありがとう」


 大切な人が側に居る。


 ただそれだけで、温かかった。





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