17
彼が立ち止まる。
それは突然だった。
いつものように、夕飯の買出しをしていた帰り。この町で、彼を呼び止める人なんて居ない。振り返る彼につられ、振り返ると、
「えーっと?」
「何か、用が?」
身体が透けている女性が立っていた。
間違いようがない。
けど、霊に『霊ですか?』なんて聞くのも気が引ける。
『――――――』
女性が何を言ったのか、やっぱり聞こえない。
「……ここは、霊に会える町として有名な町、迎ヶ町と言えば分かるか?」
『――――――』
「誰か、会いたい人が居るから来た。この町に居る理由はそれしかない」
『――――――』
最後の言葉は、ありがとうと言っていたのは分かった。多分女性はそう言って笑ったのだと思う。そのままどこかへ行ってしまった。
おかしな人だ――というのが、わたしの印象だ。
「ねえ、アナタの言葉から思うに、何かおかしな会話っぽかったけど」
「…………彼女は、無自覚者だ」
「無自覚って、死んでいることに? だからあんなおかしな会話になるんだ」
そんな人に『アナタはもう居ないんです』なんて言えば、もしかすると狂うかもしれない。
もちろん、百パーセント信じてそうなるとは限らないし。笑って、冗談に済まされるかもしれない。
どっちに転んでも、あまりいいことじゃないのは確か。
難しい所だ。
「あの人……どこへ行くのかな?」
「分からない。成仏できないのなら、ずっとこの町に居ることになる。いつかは成仏できるとは思うが、それは何時の話だろう」
「ずっと、か」
成仏出来るまで、どのくらいだろう。
明日か明後日か。一年後かあるいは……、
「それこそ、永遠――なのかもしれない」
取り残されていく、『永遠』という時間。
今、わたしは取り残されているのだろうか?
進むべき未来へ向かっていない気がして、何だか不安になった。
死ぬ瞬間、死後。
想像なんてしない方がいいのだけれど、後悔を残さないようにするには、想像するしかない。
なんて。
「――あの、すみません。この写真の女性を見かけませんでしたか?」
会話が途切れてどれくらい経った頃だろう。
声に振り返ると、少し疲れた様子の青年が、わたしたちに写真を向け尋ねていた。
「あ、さっきの人」
それは無自覚な霊――さっき見かけた女性を写した物だった。
タイミングが悪い。
「…………やっぱり、この町に居たんですね」
「やっぱり?」
「何か、事情がありそうだな」
聞かせて下さいと彼が言うと、青年は考え込み。すぐに何か思いついたのか、返事をした。
「見かけたのは貴方たちだけ。これは何かの縁、かもしれませんね」
青年は大森真哉と名乗り、写真の女性は姉だと言った。言われてみれば、目元とか似ている。
姉は須山華奈美。結婚して一児の母で、一週間前に……亡くなったそうだ。自らの手により――
何故そうしたのか。大森さんは理由が知りたくて、この町に居るかもしれない可能性を思い、来たという。
だけど、その彼女は無自覚者だ。
「それで、どうすれば姉に会えますか?」
「どうすればって……」
「幽霊に会える町だと聞きました。だけど僕は、幽霊に会えていません。だから……」
彼は、答えを言わない。
霊に会えていないのは、大森さんが視えない体質の人間だから。言ったら、落ち込むと思う。
分かってしまった答えの先。
沈黙を破ったのは、やっぱり彼だった。
「――キミは本当に、霊の存在を信じているか?」
静かな声に、大森さんははっきりと返した。
「死んだら人は、それで終わると思っています。だけど僕は、姉がこの町に居ると信じています」
彼は頷き、
「なら、視えるはずだ」
指す方向。
探していたお姉さんは、そこに立っていた。
視える、視えない。それは彼の力だろうか。
多分、違う。
もしかしたら、心の問題なのかもしれない。この町の視えない人は、当たり前すぎて、視界に入るのが嫌だから、居ないものとして?
「姉さん」
大森さんの呟きが聞こえたのか、お姉さん――須山さんの口が、言葉を紡ぐ。
聞こえないのは、わたしと大森さん。彼が通訳する。
「彼女はキミに、何故ここに居るのかを聞いていた」
「そんなことはどうだっていいよ、姉さん! 姉さんは何故、自ら命を?」
『――――――』
須山さんの言葉を聞いた彼は、小さく首を振った。
その問いは無意味だ、と。
「どうしてですか?」
「彼女は、亡くなっていることを自覚していない」
『え?』という表情が重なる。
大森さんの驚きは、無自覚であることに対して。
須山さんの驚きは、亡くなっていることにだ。
どちらの気持ちも分かる。辛いってこと。
「キミはもう、居ない。この町の人が無視をするのは、キミが霊だからだ」
誰かが言わなければならないのは分かっている。分かっているけど何故、彼が告げなければならないのだろう。
義務がある訳じゃない。親切だからでもない。
酷なことを告げる彼の、悲しそうな表情は見たくないのに。
『――――――』
「彼がそれを証明している。それに、嘘を言っても誰も救われない」
そっと、彼は目を伏せる。
どうすれば、誰かを救えるのか。
そして目を開いた時、彼にはもう、悲しみの色はなかった。
「今のオレに、自覚を促す術はない。だから、キミ自身が思い出さなければならない」
言葉は時に凶器で、時に驚かせられる。
その言葉に、優しさも残酷さもない。あるのは、願い。
――イタイと思うのは、彼が言うから?




