第9話 同じ弾かれたものの背中
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「はは、なにやってるんですかって言ったけど、さ。実を言うと僕も人のこと言えないんだよね。仕事でミスしまくって、王都の本店からこんな辺境に飛ばされた身だからさ」
リカルドは手綱を握り直しながら、自嘲気味に、けれどどこか楽しそうに笑った。
「これでも一応、この国、グランベルク王国一の商会、グランベルク商会エスト支部の支部長(所属3名の、だけどね!)をやってるんだけどさ。だから、レン君のその、世界から弾き出されたような顔……なんとなく他人事とは思えなくてね」
彼のその言葉に、僕は包帯でぐるぐる巻きにされた体を少しだけ揺らした。
王都からの厄介払い。このエストという広大な町がそうであるように、ここにいる人たちもまた、何かから弾かれ、逃げて、あるいは流れ着いてここにいるのかもしれない。
そう思うと、あれほど惨めで痛かった胸の奥が、ほんの少しだけ軽くなるような気がした。
行商の青年が運転する荷馬車は、見た目以上に快適だった。
積まれた柔らかい穀物の袋がクッション代わりになって、傷だらけの僕の体を優しく受け止めてくれている。ガタゴトと一定の揺れに身を任せていると、ボロボロになった心と体に、ゆっくりと温かい血が巡っていくのが分かった。
「……ありがとうございます」
「いいってことさ。同じエストの『はぐれ者』同士、助け合いだよ。さあ、もうすぐ中心街だ」
リカルドは振り返ることなく、前を向いたままそう言った。彼の背中は、大商会の支部長という肩書きには似つかわしくないほど、どこか気楽で、それでいて不思議な落ち着きをまとっている。
馬車の車輪が、舗装された石畳へと乗り上げる音が響いた。
ガタガタという小刻みな振動が、穀物の袋を通して背中に伝わってくる。
見覚えのある、あのさびれた石畳の商店街が見えてくる。
一度はすべてを捨てて逃げ出したはずの場所。
何も成し遂げられず、強くなれず、ただ傷を負って戻ってきた僕を、エストの町はただ静かに、一昨日と変わらない空気で迎えいれようとしていた。
西日に照らされた町並みは、どこか眠たげで、相変わらず活気があるとはお世辞にも言えない。くすんだ赤レンガの建物、軒先に干された色褪せた洗濯物、道端で寝そべる野良犬。
現代の日本にあった、あの息が詰まるようなスクランブル交差点や、他人の目を気にして歩く駅のホームとは、あまりにもかけ離れた緩やかな時間がそこには流れていた。
「レン君さ、自分のことを『何もない』って思ってるみたいだけど、この世界じゃ生き残ってるだけで十分才能だよ。スキルがなんだ、加護がなんだって、そんなの王都の偉い奴らが勝手に決めた物差しさ。現に君は、あの凶暴な魔物の爪から逃げ延びて、こうして僕の馬車の上で息をしてる。それだけで立派なもんだよ」
彼の言葉は、傷口に塗られた薬草のように、じわりと僕の心に染み込んでいく。
日本にいた頃の僕は、いつも誰かの作った物差しに怯えていた。
テストの点数、スクールカースト、SNSの『いいね』の数。何一つ持っていない自分は、生きている価値すらないんじゃないかと本気で思い詰めていた。だから、この世界に飛ばされた時、どこかで期待してしまったのだ。ここなら、隠された最強のスキルがあって、特別な自分になれるんじゃないかと。
でも、そんなものはなかった。僕は相変わらず、ただの無力な佐藤蓮だった。
それなのに、リカルドは「生きてるだけで立派だ」と言う。
「……僕、本当にダサいですよね。格好つけて飛び出したのに、一日も持たずにこれですから」
自嘲気味に呟いた僕に、リカルドは声を立てて笑った。
「ハハハ! いいじゃないか、ダサくて。最初から完璧な奴なんて、物語の英雄くらいさ。僕なんてね、王都にいた頃はもっと酷かったよ。大口叩いて仕入れた高級ワインを全部腐らせてさ、商会に大損害を出してこのエストに飛ばされたんだ。あの時は本気で井戸に飛び込もうかと思ったね」
リカルドはそう言って、悪戯っぽくウインクしてみせた。
「でもさ、こうして生きてりゃ、君みたいな面白い迷子を拾うこともある。人生、何が転がるか分からないよ」
馬車はゆっくりと速度を落とし、エストの町の中央にある小さな広場で静止した。
噴水からはちょろちょろと弱々しく水が湧き出ており、その周りで数人の子供たちが無邪気に走り回っている。
「そうだ。よかったら、友達になってくれないか?」
その突拍子もない言葉に、少し驚いた。
人生で、多分友達になってくれなんて言われたことがなかったから、少しうれしかった。
だから、返す返事は、もう決まっていた。
「いいけども。」
リカルドが御者台から飛び降り、荷台の僕に手を差し伸べてくれた。
「よろしくね!僕の人生一人目の友達くん。」
全身の筋肉痛と傷の痛みに耐えながら、僕は彼の手を借りて、ゆっくりと、地に足をつけた。
スニーカー越しに伝わる、エストの土と石畳の硬さ。
一度目は逃げるように歩いたこの道を、今は、しっかりと踏みしめている感覚があった。
「ただいま、戻りました……」
小さく呟いた僕の声は、市場の喧騒にかき消されて誰の耳にも届かなかった。けれど、僕の胸の中には、出発する前にはなかった、ほんの少しの泥臭い覚悟が、静かに芽生え始めていた。
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