第8話 死んだと思った。
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死んだ、と思った。
けれど、どれだけの時間が経っただろうか。次に感覚が戻ってきた時、僕の肌を叩いていたのは冷たい雨ではなく、容赦なく照りつける生暖かい太陽の光だった。
魔物は、しばらく動かなくなった僕を「死体」だと判断したのだろうか。それとも単に、これ以上貪る価値もないと見限ったのか。気配を探るまでもなく、周囲にはもうあの獣の息遣いはなかった。何処かへと去っていったのだ。
「……は、はは……」
指先一つ動かすのにも、激痛が走る。
自分の弱さを知った。いや、知っていたはずなのに、ファンタジーの景色に少しだけ浮かれて、改めて残酷なまでに思い知らされただけだ。僕は特別な主人公なんかじゃない。ただの、無力な佐藤蓮だ。
体は、引き千切られた肉と泥で血まみれだった。
傷口がズキズキと脈打つたびに、意識は今にも飛びそうになる。
遠くで、ガラガラと何かが地面を引く音が聞こえた気がしたけれど、それを確かめる前に、僕の視界は再び真っ暗になった。
「――おい! しっかりしろ! 死んでるのか!?」
頬をパチパチと叩かれる感覚と、強い焦燥を含んだ声で、僕は薄気味悪い覚醒を迎えた。
気がつくと、僕は、荷馬車の荷台の上に寝かされていた。
すぐ横には、大量の荷物を積み上げた馬車を引き連れていた、一人の青年がこちらを覗き込んでいる。身なりからして、街から街へと移動する行商の若者だろう。
「あ……が、は……」
「喋るな、傷が開く。おいおい、なんて無茶な格好でこんな街道を歩いてたんだ。魔物に食い荒らされて骨になるところだったぞ」
青年は手際よく、僕の傷口に気休め程度の薬草をすり込み、包帯を巻いてくれていた。
痛みに顔を歪める僕を見て、青年は呆れたように大きなため息をついた。
「君、冒険者カードは持ってるか? ……あ、これか。ポケットから落ちかかってたぞ。どれどれ……レン、銅級……って、スキルも加護もなし!? 嘘だろ、こんな能力で一人でエストの外縁を歩いてたのか!?」
この世界の〇級とは、冒険者の総合的なランクを評価するときに使うものである。
銅級とは、Eランク。
銀級とは、Dランク、Cランク。
金級とは、Bランク、Aランク、Sランクのことを指す。
つまり僕は、この世界において「最底辺の素人」でしかなかった。
「す、みません……」
「僕に謝られても困るよ! 僕はこれから、グランベル商会エスト支部にぶっとばされて、今行く途中です。こんな大怪我人を見捨てていくわけにもいかないし……まったく、なにやってるんですかほんとうに!」
青年の正論が、傷口よりも深く僕の心に突き刺さる。
本当に、何をやっているんだろう。逃げ出したくて旅に出たのに、最初に出会った魔物に手も足も出ずに敗北して、結局はまた、誰かに迷惑をかけて助けられている。
荷馬車が揺れるたびに、即席の包帯にじわりと血が押し出され、鋭い痛みが全身を駆け巡る。
上を見上げれば、ただ抜けるように青い空が広がっていた。数日前、アルに送られてこの街を出た時のワクワクした気持ちが、今の僕にはひどく滑稽で、恥ずかしくてたまらない。
「おい、死にそうなら声を上げろよ? 気を失うなよ!」
青年は御者台から時折後ろを振り返り、僕にぶっきらぼうな声をかけてくる。
「……名前、は……?」
掠れた声で尋ねると、青年は手綱を握り直しながら「リカルドです。」と短く答えた。
「リカルド……ありがとう、助けてくれて……」
「まったく…結構こっちもびっくりしましたからね。」
リカルドのいうことは正しい。だって、馬車を引いていたら、道のど真ん中に、血と泥だらけの自分より少し下か、同じくらいの人間が、倒れてたらそりゃあ、ほおっておけるわけはないよね。
彼の馬車には、薬や中身は、わからないがいくつかの箱が積みあがっていた。商売の邪魔をしてしまっているという罪悪感が、僕の胸をさらに重く沈ませた。
馬車はガタゴトと音を立てて、来た道を正確に引き返していく。
遠ざかるはずだった、あのさびれた景色が、再び視界の奥に見え始めていた。
小さな集落を越え、
川を越え、
薄暗い森を越え、
もう一度川を越え、
切り立った谷を越え、
そして、僕があの日「これから新しい人生が始まるんだ」と決意を固めて見下ろした、あの険しい山を越えていった。
景色が巻き戻っていく。僕のちっぽけな決意も、歩いた足跡も、すべてが無かったことにされるように。
やがて、見覚えのある灰色の石壁が見えてきた。
結果また、僕はエスト町の中心街へと戻ることに、なってしまった。
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